第50話 女神が魚群探知機の機能を発揮した場合(1)



 危険を知らせるおれの叫びに反応して、ノイハが馬のたてがみを引っ張りながら後ろに下がる。


 それとほぼ同時に、川から大きく開かれた巨大な口が水しぶきとともにあらわれ、ノイハと馬に向かって突き進む。


 下あごも、上あごも、どちらも一メートルは超える。

 ずらりと鋭そうな牙が並ぶ。


 ノイハと馬が噛みつかれる直前に、おれは左足で下あごを踏みつけ、左手で上あごを押さえ、その突進を止める。


 ・・・河大顎です! 獰猛な肉食の動物です!


 かわおおあごって・・・まあいい、ワニだ。


 こいつはワニと言ったら、ワニである。ワニ以外の何者でもない。奴らはワニなのである。名前はまだない。


 初見だと、『鳥瞰図』の『範囲探索』に反応しない。

 危ないところだった。


 ワニのあごの力はかなり強いが、ステータス上ではおれの筋力の方がかなり高い。だから、おれが押さえているワニはそのままで動けない。


 いやあ、レベルが高くて良かった。


 ワニはもがいているが、あごと顔のあたりはまったく動けない。


 とにかく大きいワニだ。

 大きいワニにはちがいない。


 大きいのだけれど。

 今日、見てきたサイとか、ゾウとかと比べると・・・比べると、かなり小さい。


 小さ過ぎる。

 そういう印象のせいか、こっちも余裕がある・・・というわけで、そのまま、おれは右足でワニの横顔をガツンガツンと蹴りまくる。


 同時にスクリーンに目をやり、『範囲探索』をかける。縮尺を操作し、地図をこの付近に設定する。


 すぐ近くに、同じ反応が二つ。

 しかも、こっちに接近中だ。


「ノイハ、気をつけろ! あと二匹、くるぞ!」

「うおっ、もう二匹かよっ?!」


 そうノイハが応えた瞬間。


 さっきと同じように、ざばあっと川から巨大な口を開いて次のワニたちが左右から登場してくる。


 おれは蹴り続けていたワニの上下のあごから手足を離して、さっと飛び退き、身をかわした。


 おれに蹴られていたワニの口が、がちんと音を立てつつ閉じられて・・・。


 その閉じられたばかりの口に、別のワニの口が、がちんと音を立てて噛みつき・・・。


 さらにその上に、もう一匹の口が、がちんと音を立てて重なった。


 ・・・。

 ・・・・・・。

 えっと・・・。


 こいつらって、馬鹿なの?

 馬鹿だよね?


 おれは、重なっているワニ三匹分の口を一番上から思い切り、どしん、と踏みつけた。


 ほんの一瞬の出来事。


 しかし、その一瞬を逃さず、三匹まとめて、その口をぐいっ、ぐいっ、と踏み込んでいく。


 ワニたちは、前足を振り回して、その鋭そうな爪で戦おうとしているようだが・・・。


 ワニの足が短か過ぎる。


 口の長さに対して、約一メートルは、長さが足りない。だから、おれまで、その爪はまったく届かない・・・。


 ぱしゃぱしゃと、前足の回転に合わせて水音が響く。ビート板を股間にはさんでクロールの腕の動きを練習する幼児のような動きだ。


 いや、泣きながら暴れる子どもの両手回しパンチみたいだ。

 大人が頭を押さえると、届かなくて空転する感じの、あれだな。

 泣いた子ども必殺技だ。


 いや、あれは、効き目はないけれど。


 見た感じ、組体操の扇、みたいに三匹のワニがバランスよく分かれて、ぱしゃぱしゃしている。


 セントラエムによると、獰猛な肉食の動物らしいのだけれど、こうしている限り、とりあえずこっちがダメージを受けることはなさそうだ。こいつら、獰猛、というより、なんだ? 愚鈍? いや、鈍くはないのか?


「・・・オーバ、これ、どうすんの?」

「いや、どうしようか?」


 おれに重なった口を踏みつけられたワニたちは、いろいろともがいているようだが、ステータス上、おれの筋力をワニたちは三匹分合わせてでも超えられそうにはない。


 つまり、もがいているが、動けない。

 でも、ものすごく、もがいている。


 その絵面は、笑える、としか、言えない。もはや、笑うしか、ないかもしれない。


 危険を察知して、その結果、笑いにしかならないとは、これ、いかに。


 まあ、そもそも、互いの口に噛みつき合うという間抜けな状態が、通常では考えられない状態なのだろうとは思う。


 いや・・・。

 それは人間の視点か。


 今回のように、同時に獲物を狙った場合、ワニたちの中では、よくあることなのかもしれない。


 獲物の奪い合いのついでに起こること、とも考えられる、かな?


 もし、そうなったとしても、通常ではワニが獲物に反撃されることはなく、獲物となるエサの動物をめぐる、ワニ同士の戦いになるのだろう。


 今回、おれがそこに手を加え・・・いや、足を加えたから、ワニたちからしてみるといつもとちがう、おかしな状況なのかもしれない。


「・・・まっ、とりあえず、馬に水でも飲ませっか」


 おい?!

 どうしてそうなるの?


 ノイハは落ち着いてるよな?

 なんでだ?


 この状況は、とりあえず、って切り捨てる場面なのか?


 あ、本当に馬に水を飲ませてやがる。

 しかも、二頭とも。


 馬も、冷静だな。

 ワニは、なんか、変な感じだ。


 下半身・・・下半身というのかどうか、よく分からないが、ワニの下半身がこの状況を抜け出そうともがいて後ろ足からしっぽの先までが左右に動く。

 前足は回転させたままなので、上半身でクロール、下半身で横向きのドルフィンキックをしているかのようだ。上下じゃなくて、左右だから、ちがうか。


 おれとしても、踏みつけているだけで、追加ダメージを与えてはいない。


 でも、足を動かしてしまうと、ワニたちがまた襲いかかってくるかもしれないので、結局、踏みつけ続けなければならない。


「・・・なんか、そいつら、まずそうだよな」

「あっ・・・そこ、か」


 ノイハの奴め。


 冷静だと思ったら、まずそうで、食べたいという気持ちが湧かないから、冷静になれるってことね。


 ノイハの基準は、肉が食べられるかどうか。

 そして、その肉がうまいかどうか。


 そうでした。

 知っていましたよ、はい。


 ノイハと二頭の馬が、河原から離れる。


「よっし、オーバ、馬も、水を飲み終わったぜ」


 それはつまり。

 おれの足を離して、ワニから離れろってことだな?


 でもな、ノイハ。


 おれが、昔、いろいろと調べたところによると、だ。


 社会科教師ってのは、いろいろ調べて雑学が豊富なのが特徴なんだが。


 オーストラリアとかでは、ワニは養殖? 飼育かな? とにかく、食用として育てられているし、鳥肉みたいに淡白で美味しいらしいぞ?


 見た目だけでは判断できない、食べるべき要素が実は満載なのだ。

 これまでにはないタイプで、初めてだから、解体はスキルに頼るとして。


 本日、あきらめ続けた、サイ肉、ゾウ肉に代わって、挑戦するべき食材なのではないか、と思う。


 いや、三匹まとめても、サイ一頭には届かないサイズだし。

 皮革も元の世界では高級品だったんだよな。


 おれはかばんから、竹槍の一番鋭いやつを取り出す。


「えっ? オーバ、それ・・・」


 ノイハの疑問はとりあえず、スルーしておく。


 外皮に弾かれないよう、一点集中。

 力はもちろん必要だが、貫くには、速さ。


 一息で。

 見えないレベルの速さで。


 竹槍を真下へと突き落とした。


 さすがに、三匹全部を一度に貫くには、竹槍では鋭さに限界があったらしい。


 それでも、上あごは二匹分まで貫いたので、両サイドのワニたちの前足も後ろ足も、痛みに反応して動きが激しさを増した。いや、まあ、どんなに暴れても、この状態で竹槍が抜けることはないと思うけれど。


 おれは、刺さった竹槍をドリル状にぐりっ、ぐりっ、と何度も回転させて、さらに三匹目の外皮から上あご、そして、下あごへと突き刺していく。

 下あごに刺していくのは、口の内側からなので、外皮とちがって抵抗が小さい。


 刺さっていく深さが増すたびに、ワニのバタ足が、順番に一匹ずつ、さらに激しくなる。刺さる順に動きが変化するので、どこまで突き刺さったのかもよく分かる。


「うわあ・・・」


 ノイハが、まるで、なんて残酷なやり方を・・・とでも言うように、うめいている。


 いやいや。

 猛毒使いの君にだけは、言われたくないです、はい。


 昨日の君は、毒矢を刺したバッファローを一日中苦しめ、ストーカーのように追い回して、仕留めていたじゃありませんか。最後はでっかい鳥さんに丸ごと持っていかれてしまったけれど。


 ある意味でなら、残酷さはノイハの方がひどいんじゃないでしょうか、ね。


「・・・あれを、自分の口で、やられてっと、思うと、さ」


 確かに。

 それは、嫌だな。

 うん。それは、怖い。怖すぎる。


 そういうことにはならないようにまともな人生を生き抜きたいものだ。


 気をつけよう。





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