第43話 女神があまりにも空気を読まない場合(3)



 さて、剣術修行、三日目。


 今日も、ライムは骨折を繰り返していた。


 そして、昼過ぎ、ナルカン氏族の勇者が現れた。でも、手遅れだった上に、偽物だったけれど。


「あんた、いい加減にしやがれ!」


 ナルカン氏族の成人男性が一人、やってきてそう言った。


「ライムに何の恨みがあるのか知らないが、何度も何度も打ち込んで、痛い思いをさせて! あんたの方が強いなんて、おれたち全員分かってんだよ! でもな、おれたち、ナルカン氏族にだって、氏族の誇りってもんがある! これ以上、ライムに手ぇ出すってんなら、おれが相手になってやる!」


 うん。

 嫌いではない。

 こういう直情的な男は、嫌いではない。


 だが、嫌いではないとはいえ、さて、さすがにどうだろうか。


 そして、君。

 誰だかわからないけれど。


 君は、ライムが、好きなんだね、きっと。

 本当は、氏族の中で、ひっそりと育まれていくはずの、恋物語。


 氏族の期待を背負って嫁に出され、そして、出戻ってしまった不幸な姫と。

 氏族の中心にはなれない分家の、ちょっとさえないけれど、どこか心があったかい青年の。


 そんな、ひっそりとした恋物語・・・のはずが。


 なんだか知らないけれど、どっかの余所者の登場で、エンターテイメント的な作品に格上げになってしまったかのような。


 名前が分からないから、もはや君でいいけれど。


 君から見ると、大切な、憧れの姫様が。

 昼間にはひたすら木剣で打ち据えられて果てなく傷つき。

 夜中は野獣のような男に犯され、汚されている。


 そんな光景が見えているのですね、はい。


 まあ、昨夜は、ライムが、けっこう大きな声を出していたからなあ。

 君には、少し、刺激が強過ぎたのかもしれない。


 ひょっとすると、近くまで、ようすをうかがいに来てしまったのかもしれない。

 テントの中をのぞいてしまったのかも、しれない。


 それは、分からない。


 でも。

 君が思っている、見えていない部分は。

 間違いかもしれないのですよ。


 今朝のライムさんは。

 目覚めた後、起き上っているおれに向かって。

 自分の右手を伸ばして。

 甘えるような目をしながら、ちょっと首をかしげて。


 おれに自分の右手を引っ張り起こさせて立ち上がると、その上で、自分から何度もキスを求めていましたが。


 それでも、君が言うような。

 氏族の誇りに関わる問題なのでしょうか・・・。


「ナイズ、何を言ってるの?」


 君の名は。

 ナイズ。


 ナイスになれない、ナイズくん、ね。確か、バイズやリイズは、ばきばき骨折男ガイズの子だから、おそらく、その兄弟だな。


 叫んだのは、ライム。


 おれでは、もちろん、ない。


「ライム、今、助ける!」


 そう叫んで、ぐいっと進み出たナイズ。

 おれとナイズの間に割って入ったライム。


「ナイズ、馬鹿なこと言ってないで、あっちへ行って!」

「馬鹿なこと、だと? ライム、おまえは、こんな男に、いいようにされて、それでいいのかよ!」


「うるさいわね! わたしは、今、初めて、抱かれたいって思う男に抱かれて、幸せな毎日を過ごしてるの! 邪魔しないで!」

「ら、ライム、お、おお、おまえ・・・」


 うん。

 分かる。


 ナイズくんは、剣術修行のことを言った。あの、「いいようにされて」ってのは、木剣で打ち据えられることを指しています。


 でも、ライムは夜の生活のことで返した。

 ナイズの「いいようにされて」を男の慰み者になっているという意味でとらえたライムは、「幸せ」って言葉を返すことで、ナイズの心に鋭いやりを刺しましたね、はい。

 クリティカルヒット間違いなしですよ、それは。


 会話自体の言葉は成立しているけれど、言いたいことは互いにずれてたよね。


 なんか、昔、授業中の子どもたちのコミュニケーションでよく見たな、こういうずれ。あ、いや、恋愛とかじゃなくて、社会科の議論で、だけれど。


 そして、それは、ナイズくんが、おそらく、一番聞きたくない、言葉だったはずだね。


 うーん。

 どうでしょう。


 分かってはいても、聞きたくないことって、あるよねえ。


 しかも、分かっていた部分に対して、自分自身が思い込んでいた理想的な側面を完全に否定されてしまうってのは、やり場のない思いが出るよねえ。


 ライムがおれに抱かれているってことは、分かっていても、聞きたくないことだったのに。

 ナイズにとって、ライムは嫌々おれに抱かれていなければならなかったのに。


 ライムはおれに抱かれて幸せだって、言ったのだから。


「・・・ライム、おまえには、氏族の誇りはないのか」

「ナイズ、何人もでオオバを不意打ちにして、それなのに返り討ちに合ったあなたたちにだけは言われたくないわ」


「この、わからずやっ!」

「どっちが!?」


 ナイズが木剣・・・とも言えない木の棒を振るう。


 ああ、そういえば、ナイズは以前、おれが叩きのめして銅剣を取り上げたうちの一人だった。

 それであの棒か。


 ナルカン氏族の攻撃力も防御力も、ガタ落ちだな。


 ある意味では、おれの責任だけれど。


 しかし、行き詰った結果、大切だというライムに打ちかかるとは。

 しょせん、ライムを、一人の人間として見ていないってことか。


 ライムの木剣は、ナイズの攻撃をかわす身体の動きと連動して、ナイズの木の棒を持った腕を打ち据え、さらに、ナイズの胴をしたたかに払った。

 見事な体さばきと、剣技だったとしか言えない。


 これは、腕とあばらを骨折したな。


 ナイズは倒れて、動かない。

 ライム自身、驚いたように、立ち尽くしていた。


 おればかり相手にしていて、分からなかったもの。

 それは、氏族の男たちの弱さ。

 そして、自分自身の強さ。


 それに気づいてしまったライムが、これからどう生きていくのか。


 そこまで、おれは責任を持たないし、持てない。





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