第43話 女神があまりにも空気を読まない場合(2)



 まだ、伸びる可能性だって、ある。


 例えば、剣術以外の、戦闘棒術や弓術を訓練するとか、方法はありそうだ。


 まあ、剣術メインでって、話にしているから、ここまでかもしれない。

 それでも、稽古には付き合ってもらおう。


 生命力とかの数値から考えても、今日はここまでだろう。


「ライム、おいしいか?」

「・・・ぐむっ、おいしい、とても」


 食べながら返事しなくてもいいのに。


 おれは水袋を手渡す。


「水、飲んだ方がいいよ」

「あ、うん」


 ライムが水袋のふたを開けて、一瞬だけためらって、それから、くいっと水袋を傾けた。

 ごくり、ごくり、とライムののどが動く。


「・・・水が、おいしい・・・」

「よく身体を動かしたからね」


「ちがう、そうじゃなくて、水、そのものが、おいしいの」

「・・・そうなの?」

「うん。全くちがう、味」


 大森林の水だから?


 そういうこともあるか。


 この辺の河川の源流。

 絶えず流れ落ちる滝の水。


 ああ、そうか。

 いわゆる、ミネラルウォーターになるのか。


「そっか、そういうことか」

「何?」


「いや、これは大森林の水なんだ。だから、ライムにとっては、おいしいと感じるんだろうね」

「大森林の・・・」


 ライムも納得している。

 水、そのものがちがうのだ。


 昨日のイモのスープがおいしいのも当然だ。


「価値がないようなものでも、場所を変えれば、価値が変化する」

「価値が、変化する?」


「例えば、この水は、おれたちにとっては、ただの水なのに、ライムはおいしい水だと思う。大森林では当たり前のものが、大草原では価値のあるものになる。色川石なんて、そういう例のひとつだろうと思う」


「色川石、あれも素敵よね」

「おれたちからすれば、川に落ちてるただの石だからな」


「そうなの?」

「そうなんだよ」


 当たり前のことだけれど。

 需要と供給の関係で、価格は決まる。


 大草原での最終目標は・・・。


 どうすれば、達成できるのか。






 ドウラとか、ニイムとか、いろいろと話しかけられたけれど、全て、はぐらかして日没までを過ごした。


 まあ、ライムのことは、おれの稽古に付き合わせているって、ことにしてある。

 事実、そう言ったし、ね。


 陽が沈むと、テントにはライムが来た。


 何も言わず、抱き寄せる。


 手首、腕、指・・・。

 今日、骨折させたところに、そっと唇をそえる。


 ライムもそのことに気づいたらしい。

 少しだけ、体を震わせた。


 昨夜と同じように。

 ただ、ひたすらに。

 ゆっくりと、ゆっくりと。


 ライムの身体を大切に愛しいものとして、優しく触れていく。


 唇と唇を重ねたとき、昨日のライムと、今夜のライムがちがう、と、はっきり感じた。思い込みだとすると、大変傲慢なのだが、受け入れられている、という実感が湧いた。


 何が、変わったのだろうか。

 それは考えても、分かるものでもない。


 昼は何度も骨折させるほど厳しく、強く。

 夜は何ひとつ壊さないように優しく、弱く。


 その落差に。

 ライムは戸惑っているだけなのかもしれない。


 おれはライムに優しく触れる。

 ライムがおれの背中に回す腕は、力がこもる。


 おれがライムの中に果てたあと、今夜もライムの寝息はとてもおだやかだった。


 幼くて嫁に出された、後継ぎの双子の姉。

 嫁ぎ先で子を成すことができず、追い返された出戻り娘。


 戻った氏族での立場も、ひたすら弱く、苦しい。


 それでも、この寝息のおだやかさが、ほんの少しでもライムの安心であることを願いたい。


 ・・・やはり、2回目はステータスに変化がありませんね。


 雰囲気、ぶち壊しですよ、セントラエムさん。

 どれだけ研究熱心なんですかね、全く。


 まあ、そういうことを考え続けて、おれたちは生き抜いている訳だから、雰囲気とかそういうことに酔っているおれの方が、この世界に対して甘い考えを持っているのかもしれないけれど。






 次の日も、剣の修行に打ち込んでいく。


 ライムには、本当はいろいろと役割があるようなのだが、おれの滞在中は、おれの専属ということにニイムがしてしまったらしい。


 生娘を送り込もうとたくらんでいた、と考えられるニイムからすると、ドウラが送り込んだライムがおれに気に入られたというのは、残念な気持ちもあるらしい。

 ニイムにしてみると、妊娠しない娘をおれに差し出すことに意味はないからだ。


 そのへんをおれに対する感情で、より強い関係性を持たないようにと動いたドウラは、本質的には族長失格なのだが、おれ個人としては、その方が助かっている。


 ライムを気に入った、というのは誤解だと、言っておきたい。


 そのとき、その場での、その人の役割を尊重した、ただそれだけなのだ。

 しかし、同時に、そのときの、そして、それまでの、その人のことを少しだけ、思って行動しただけ、である。


 おれがライムを、というより、ライムがおれを、という可能性も忘れてはならない。


 今朝、おれが起き出そうとすると、ライムもすぐに目覚めて、そのまま、ライムの方からおはようのキスをしてきた、その後、自分の行動に気づいて、一人で真っ赤になっていた、という事実をここに提示しておく。


 で、今は、七回目の骨折での『神聖魔法:治癒』の使用中である。


「なんか、だんだん、痛みの感覚が、よく分からなくなってきたみたい・・・」


 そんなことをライムが言う。


 それは、『苦痛耐性』スキルのスキルレベルが向上しているのだと考えられます、はい。

 本当に、ろくでもないスキルだよな、あれは。


 今日は、レベルアップはしていない。

 おそらく、しないだろうと思う。


 剣速は格段に速くなり、剣筋は二本から四本に増えた。まあ、増やした剣筋の方は、まだまだ素振りが足りないだろうと思うけれど、実戦での牽制にはいいと思う。


 剣術のスキルレベルも、特訓の成果で上がっているのではないだろうか。

 セントラエムによると、おれの『教授』スキルや『教導』スキルの影響が大きいらしい。


 自分が強くなっている、という実感がライムにあるのかどうかは、微妙。


 相手が、おれだから、ね。

 一本も、取れない。


 だから、分からない。


 骨折を癒して、土器を火にかける。今日は、かぼちゃの煮込みをごちそうしようと思う。おれとライムは、ナルカン氏族と食事が別になっている。


 剣の稽古に打ち込むため、だとしているが、正直なところ、ナルカン氏族の食事には関わりたくない、というのが本音だ。

 そりゃあ、リイムやエイム、ガウラたちから、さんざんアコンの村の食事はすごい、アコンの村の食事はおいしい、と聞かされ続けたら、ナルカン氏族の食事に対して、いったいどういう味なんだろうかと怖れをいだくというものだろう。


 そして、十八回目の骨折を癒して、かぼちゃを食べたライムからも・・・。


「アコンの村の食べ物って、すごくおいしい。びっくりするくらい」


 そうしておれは、ナルカン氏族滞在中の食事については、自炊するのだと心に決めた。


 ドウラのもう出て行ってほしいみたいな雰囲気も、ニイムの別の娘はどうかみたいなアピールも、一切無視して、夜のテントは、ライムと過ごす。


 ライムとしては、ドウラの意を受けて、ということで、他の氏族との婚姻に必要になる娘をおれに差し出させる訳にはいかない、という理由が、言い訳になっているようだ。


「本当に強い男って、優しいのね」


 ライムがぼそり、とそう言った。

 おれは何も答えずに、ただ、そっとライムの背中をなでた。


 よっぽど、ろくでもない男が相手だったのだろうと思う。





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