第43話 女神があまりにも空気を読まない場合(1)
さて、とりあえず。
ライムより先に起き出したおれは、薄暗いテントの中で、ライムの寝顔を確認する。
おだやかな寝息は、朝になっても変わらなかった。
寝顔もかわいい。
リイムとエイムによく似ている。
氏族とは、やはり血族なのだと、はっきりと分かる。
美しい娘だった。
別に、リイムとエイムが二人で寄り添ってきた、あのとき、惜しいことをした、と思っていたとか、そういうことでこうなったということではない・・・ということにしたい。
おれは音を立てずに、ライムの隣から出て、さらにはテントを出た。『隠密行動』スキルの力が発揮され、ライムは全く気づかない。
大草原の朝は、大森林とは雰囲気が異なる。
視界が広いから、かもしれない。地平線が緩やかなカーブを描く。この異世界も、地球のような球体の上にあるのだと、理解できる。
薄明るい紫の影が、見渡せる範囲の草原に広がる。太陽が昇る直前の、消え去る闇の残滓。
白い光の一点が、次第に大きく、光を広げていく。
寒気を振り払い、草原が少しずつ熱を帯び始める。
それでも、まだ寒い。昨晩は人肌があって良かったと心から思う。
おれが生きていた日本の感覚では、ただの浮気者だろうと思うし、そういう気持ちもある。
ただ、ここは原始社会か、古代社会か、それくらいは現代とはかけ離れた世界。氏族のさらに上に立つ、統括者を宿泊させて、そこに女をあてがうのが当然の社会。
その女の子を冷たく追い払うというのも、無粋なこと・・・なんて、全てはただの言い訳なのかもしれない。
強い男に魅かれる、という女性の本能が強すぎる気はする。
それでも、心の中の葛藤や、男というものに対する怒り、悲しみ、苦しみなんかをライムからは感じた。
妻の妊娠中の浮気という最低行為なのだが、妻の妊娠中の欲求不満が限界だったとも言える。
やれやれ。
セントラエムがそういう方面では全く責めないことが、実際、ありがたい。
まずは、無心になろう。
おれは、ジッドから教わった剣術の型を思い返しながら、ひたすら木剣を振り続けた。
「オオバさま・・・」
一時間ほど経ってから、起き出してきたライムが、木剣を振るうおれを見つけて、駆け寄ってきた。
昨夜のやり取りのときと、雰囲気がちがう。
一夜を共に過ごしたからか。
声の調子に、しっとりとしたつながりを感じる。
おれは、ひょいっと、木剣を投げ渡した。
「さま、はいらない。これから剣の修行をしようってのに、「さま」なんて付ける相手に本気で打ちかかることなんてできないだろう?」
とっさのことにもかかわらず、あっさり片手で投げられた木剣を受け取ったライム。
うん、運動センス、かなり高いよね、それ。
「・・・振ってみて」
「はい」
ライムは木剣を振るった。
英傑と呼ばれたニイムに仕込まれたという剣術。
実際に、使ったことはないらしい。
まあ、うちの村みたいに、実戦練習をしていたら、氏族の者が怪我だらけだよね。
さて、剣筋は、と。
時計盤で言えば、12時から6時と、10時から4時の二本。
右利きの片手剣なら、そうなのかもしれない。
ジッドは、2時から8時と、横薙ぎとなる3時から9時、そして9時から3時も加えて、五つの剣筋を基本とした上で、振り上げる4時から10時と8時から2時も、型としては練習させていた。時計盤の説明はジッドのものではないけれど。
天才剣士の正体は、他の者よりも多い剣筋を身に付けるための、何本もの素振り、だったのかもしれない。
まあ、実際に、使わせてみるのが早いか。
おれはかばんから、予備の木剣を取り出した。
「ライム、本気で打ちかかってくること。ただし、こっちも打ち返す。痛いのは、我慢しろよ」
「え・・・はい・・・」
不安そうに、ライムが返事をした。
「いいから、遠慮なく、本気でこいよ」
おれは無造作に、そう言った。
黙ってうなずいたライムが木剣を構える。
まだ、目が真剣とは言えない。
甘い。
ライムはまっすぐ振り上げて、まっすぐ振り下ろす、素直な剣筋。
おれは左上に振り上げつつ、左にかわして、右下に振り下ろす。
振り下ろしたライムの右手首をおれの木剣が強打する。
ライムが木剣を落とす。
「っ・・・」
痛すぎると、本当は、声らしい声など、出ない。
骨折は間違いない。
そのまま膝をついて、左手で右手首を押さえるライム。苦痛に顔が歪んでいる。
おれは、ライムに歩み寄ってひざまずくと、『神聖魔法:治癒』のスキルを使い、光でライムを包む。
「あた、たかい・・・?」
ライムの手首の骨折が完治していく。
「これは、あのときの、光・・・」
「女神の癒しの力を借りているだけだけどね」
「女神さま・・・」
「手首がかたいよ、ライム。剣は、握っているか、いないか、分からないくらい、そっと優しく握って構える。振り上げて、振り下ろして、最後の相手を打つ一瞬、剣を握りつぶすように思い切り握る。そうやってみて」
おれは、ライムの前で、ゆっくりとした振り上げ、振り下ろしの中に、手首の締めを加えて、やってみせる。
ライムも木剣を拾い、言われた通りに、繰り返す。
「あっ・・・」
剣速が上がったことがライムにも分かったらしい。
何度も振って、確かめている。
・・・ま、それだけじゃ、ダメなんだけれど、ね。
三十分ほど、ライムの素振りを見届けて、再び立ち合う。
向き合って、12時から6時、素直で美しい剣筋だ。
一本目を木剣で受ける。
剣速はさっきとは全くちがう。
そのまま10時に振り上げて、4時に振り下ろす。
二本目も木剣で受ける。
これも剣速はかなりのものだ。
言われたことは、すぐに吸収できる。
奇数は12時から6時、偶数は10時から4時。
教えられた通り。
練習した通り。
筋は悪くない。
悪くないんだけれど、実戦的ではない。
十本以上、受け続けているが、ライムの剣筋では、おれの態勢はひとつも崩せない。
二十本目。
おれは振り下ろされてくる一瞬を前に詰めて、ライムの木剣にカウンターを当てる。
ライムの右手から、木剣は弾き飛ばされた。
そのまま、ライムの首に木剣を寸止め。
「剣速は、手首の意識、それで速くなる。けれど、打点をずらされたら?」
「くっ・・・力を入れていないから、剣を離して、しまう、でしょうか?」
「そう。利点は欠点。どちらにもなる。どうすればいい?」
「どうすれば・・・」
「もう一度、拾って、ひたすら、振ることだね」
うなずいたライムは、木剣を拾い、再び振り始める。
素直で、熱心だ。
おれの稽古に付き合えって、言ったんだけれど、ね・・・。
いったいどっちの稽古なんだか。
ま、もともと、そういうつもりだったし、いいんだよ、これで。
朝から、ひたすら、剣術に打ち込んで。
夕方には、ライムの骨折は十七回目になった。
この子は、それでも文句ひとつ、言わない。
『神聖魔法:治癒』のスキルで、今までと同じように、骨折を治療する。
十二回目の骨折のときに仕込んでおいた焼き芋がとてもいい感じになっている。
おれは、治療を終えた後で、出来上がった焼き芋を半分に割って、ライムに渡した。
「ほら」
「あ、ありがとう」
いつの間にか、敬語はなくなっていた。
焼き芋の甘い匂いに、ライムの表情が緩む。
おれは『対人評価』で、ライムの状態をチェックする。
名前:ライム 種族:人間(大草原:ナルカン氏族) 職業:覇王の側女、大草原の女剣士
レベル8 生命力27/110、精神力39/110、忍耐力21/110
筋力57、知力74、敏捷59、巧緻69、魔力46、幸運22
一般スキル・基礎スキル(3)裁縫、運動、説得、応用スキル(1)羊料理、発展スキル(2)剣術、苦痛耐性、特殊スキル(1)、固有スキル(1)
うーん。
予想はしていたけれど。
『苦痛耐性』スキルで、レベル上げしちゃったね。
あれだけ骨折すれば、ね。
手首、腕、鎖骨、あばら、指、などなど。
痛かっただろうねえ。
本当によく我慢していたし。
職業欄に、何か、増えているし、ねえ。
剣術のスキルレベルはともかく。
レベルは大草原の天才剣士ジッドと同じところまで。
まあ、反則っぽい、レベル上げなんだけれども。
少なくとも、最高レベルが6のナルカン氏族や、最高レベルが4のチルカン氏族では、手が届かないレベルの存在になった。
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