第14話 女神が見ている前で一線を越えてしまった場合(3)



 かさっ、という音で目を開く。

 アイラが、四つん這いで、おれの方へ近づいてきた。


 その後ろを見ると、もう一人の少女、シエラはまだ眠っているようだ。

 しかし、その格好だと、胸が丸見えなんだが・・・。


「ダリの泉の神さま・・・」


 まだ、勘違いをしているらしい。


「おれは、神様じゃない」

「でも、こんなところに、人がいる訳がないわ」

「いるんだよ」


「わたしたちの怪我を治してくれた」

「女神の力を借りただけだ」


「女神さまの?」

「そう」

「でも、あなたが治してくれたことに変わりはないわ」


 アイラが近い。


 確かに、大怪我をしていたし、衰弱していたし、その上昏倒していたのを何とかしたのは事実だ。


「でも、おれは神様じゃない」

「わたしはアイラ。ダリの泉の村、カガザの子、アイラ。あの子は妹のシエラ」

「おれは、オオバだ」


「オーバ、わたしと妹を助けてくれたこと、感謝するわ。あなたが自分で神様じゃないと言っても、わたしたちにとって、あなたは神様よ」

「ダリの泉の村は、ノイハやセイハ、クマラと同じ村だよな」


「セイハを知ってるの?」

「今は、おれの村にいる。ダリの泉の村は全滅したよ」

「そう・・・」


 アイラはうつむいた。


「妹さんが起きたら、食事にしよう。食べたら、気をつけて花咲池の村へ戻れよ」

「・・・あの村へは、戻れないわね」


 アイラは吐き捨てるように言う。「それに、もう、森の中をどっちに行けばいいのか、分からないもの」


 何か事情がある、とは思っていたけど・・・。


 聞いても仕方がないので黙っていたのだが、アイラの方から、ぽつり、ぽつりと話し出した。


 アイラとシエラは、既に父も母も亡くしていた。

 父のカガザは花咲池の村の出身で、ダリの泉の村にやってきて母のニエラと結ばれたのだが、ダリの泉の村の者たちは、あまりカガザに優しくなかったらしい。まあ、余所者だもんな。


 母が亡くなり、父も死んだ後、ダリの泉の村での生活は、途端に厳しいものになった。妹のシエラを守り、毎日の食料を得るため、アイラは強くなるしかなかった。

 魚やウサギという獲物の奪い合い、夜になるとテントにもぐりこんでくるろくでなしの村の若者たち。

 そんな連中を撃退していくうちに、アイラは村の誰よりも強くなっていたという。


 村落の生活は助け合いの精神かと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。まさか、若者たちって、セイハやノイハじゃないだろうな。年も近そうだし。心配だ。


「オギ沼の村からヨルって女の子がやってきて、大牙虎の群れが襲ってくると聞いたとき、戦うか、逃げるか、好きにしていいと、村は決めたわ。

 わたしは村で一番強かったの。

 でも、村のために戦う気にはなれなかった。

 だから、シエラを連れて花咲池の村へ逃げたのよ。カガザの生まれた村だし」


 なじめなかった生まれた村で、必死に生きてきたアイラ。


 村から受けた仕打ちは、アイラにとって、ふるさとを捨てることに、何のためらいも抱かせなかったらしい。


「セイハやノイハも、ひどかったのか」

「あの子たちはわたしより年下だもの。何もないわ。それに、セイハたちは戦うのが嫌で大草原へ逃げたはずよ。ノイハは、戦ったはずだけど、全滅していった中で、よく生き残ったわね」


「まあ、運が良かったんだろう」

「そうね」


 良かった。

 セイハやノイハがろくでもない連中とは違っていて。


 でも、今度はなんで、花咲池の村を出たんだろ?


 おれの心の疑問が伝わってしまったらしく、アイラは続きを語り出した。


「花咲池の村は、父カガザの村。助けてもらえると思ってたけど、あまり歓迎されなかったわ・・・」


 カガザは、嫌われ者だったようで、逃げるように花咲池の村を出て、ダリの泉の村にたどり着いたらしい。

 死んだ父が実は生まれた村でうとまれていたなんて、知りたくもなかっただろうに。


 それでも、とりあえず、村はずれに泊めてもらえたらしい。


 しかし・・・。


 ここでも、男たちが夜な夜な現れる。


 まあ、それは。

 原始社会の在り方のひとつなんだろうけど。


 食べ物と引き換えに身体を要求されるようにもなってきたという。

 それでも、アイラが気に入った男はいなかった、ということらしいのだ。


 うとましかったカガザの娘たちだってことや、何より、アイラが美しく、魅力的なプロポーションの女性だってことも影響があったに違いない。


 アイラたちはどこにいても気が休まらない。

 そして・・・。


「あの晩、わたしにのしかかってきたのは村長のイイザだった。もちろん、ぶっ飛ばしてやったけど、その時、シエラにも男が襲いかかってたの・・・」


 なんとも最低な感じだ。

 そんなところにいたい訳がない。


 シエラに襲いかかったのは、村長の息子のララザだったという。

 とんでもない親子だ・・・。


 いつか出会ったら、おれもぶん殴ることにしよう。


「手加減なしで、ララザをぶちのめしたわ。殺したかもしれないと思って、シエラを抱いて逃げ出したの。もう行き場はないし、森に入るしかなくて・・・」


 水もない。

 食料もない。

 行くあてもない。

 しかも、逃げなければならない。


 森の奥へと入っていったが、方角はつかめない。

 昼でも薄暗い。


 このあたりのことはよく覚えていないらしい。意識がもうろうとしていたのだろう。


 そして、崖から落ちて、今に至る。


 生き抜くことが厳しい、そういう世界の姿が分かった。


 不意に、温かい感触がやってきた。

 どうやら、唇を奪われたらしい。そのまま、唇を吸われ続ける。


 押しあてられる胸が柔らかい。

 アイラの目がうるんでいる。

 生命の危機に際して、種の保存を優先するとかなんとか、そういう奴か?


 おれは、そっと、アイラの肩に触れ、唇を離す。

 アイラは抱きついてきて、さらに唇を重ねてくる。


 そして、言った。


「生きていくにしても、ろくな男がいないもの。どうせ、いつか、誰かに抱かれるなら。それなら、せめて、一度くらい、神様に抱かれてみたいと思うのよ。お願い。わたしを・・・」


 いや、なんというか。

 何も言えない。


 前世の倫理観と、この世界との違いについて。

 出会ったばかりだろ、とか。

 神様じゃない、とか。

 男と女について。

 人間の欲望について。


 頭の中がぐるぐるして。


 ・・・とりあえず、おれは考えるのを止めようと思ったのだった。





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