第4話 女神とともに半月過ごして話しやすくなった場合(2)
その日は食材を増やそうと、きのこ類の調査を進めていた。
きのこの群生地を探し、見つけたら『神界辞典』で食べられるかどうか、どの樹木に寄生しているのか、どのくらいで成長するのかを調べていく。
群生地のきのこでも、採り尽くしたら、後がなくなる。
食べられるきのこを数種類見つけた上で、それをローテーションで採取し、今後、巡回して回復度合いを確認することで、採取する適量を割り出す。
アコンの木の群生地から北に三時間ほど調査しながら移動して、ヒラタケ、オオエノキ、キシメジという食べられるきのこ類の群生地をいくつか発見した。
食材はいもと魚と野草ときのこ。
今のところ調味料は岩塩のみ。
しょうゆやみそ、ソースなんかが懐かしい。
まあ、ぜいたくは言えない。
そのうち、ウサギやイノシシを捕まえて、繁殖させてみようとたくらんでいるが、まだ実現には至っていない。
アコンの群生地の近くには土兎というウサギ、それから森小猪という小さなイノシシがいることは分かっている。
そうすれば肉も食料となる。
まあ、生き物をシメる勇気がまだないし、ウサギやイノシシを捕まえる方法もまだ考案中なので、これはまだまだ先のことだ。
アコンの群生地の南側、ビワ畑予定地のさらに外は、農園地帯にして、混合農業のようなイメージで食料生産ができればいいな、と考えている。
イネか、ムギを発見できれば、そのどちらかを中心作物として栽培しながら、すでに発見済みの豆類を第二作物として育てる。
休耕地でウサギとイノシシを放牧して地力の回復に努める。
気候的にはムギよりもイネが適しているはずなので、イネが発見出来たら二期作でもいい。ただし、その場合は洞窟滝からのかんがい設備が必要だろう。
そんなことを考えながら、オオエノキを採取していたら、パキン、という枯れ枝を踏む小さな音が聞こえた気がした。
作業の手を止めて、姿勢を低くする。
音のした方向を中心に、周囲を確認する。
そして、小さな声でセントラエルに話しかける。
「セントラエル、危険はせまってないか?」
・・・いいえ。
「この近くに生き物はいるか?」
・・・はい。
近くに何かがいる。
でも、それはセントラエルの考えによると、おれに危険がある訳ではない。
いつものウサギか小さいイノシシなら、もっとはっきりと音を立てて逃げているはず。
本当に、危険はないのだろうか。
守護神のセントラエルが、おれを守るのは当然として考えてきたが、「見守る」のがセントラエルの役割だったとしたら、危険があっても、おれに伝えないかもしれない。
いや、それはないか。
それなら、これまでの手助けも、いらないものになる。
セントラエルが危険はないというのなら、危険ではないはずだ。
ただ、初めて探索に来た一帯だから、不安が強くなっているのだろう。これまでで一番、アコンの群生地からは離れたところに来ている。
「いるのは、ウサギやイノシシか?」
・・・いいえ。
やはり違うらしい。
危険がない、という程度の動物なら、こっちから思い切って飛び出した方が早い。
そうすれば、慌てて逃げ出すはず。
そうと決めたら、即、行動に移る。
二、三歩、助走して、思い切って跳ぶ。運動スキルが最大レベルの上に、跳躍スキルもあるので、前世の常識とはかけ離れたジャンプ力が発揮される。高さはおよそ三メートル、距離は軽く十メートルくらい跳んだ。
あっという間に、物音がしたところへと着地した。
驚いた。
向こうも驚いているが、こっちも驚いた。
そこには子どもがいた。
人間の子どもだ。
この異世界に来て十六日目、おれはついに異世界の住人と出会った。
それは、傷だらけの二人の子どもだった。
どちらも、女の子のように見える。
幼稚園から小学校低学年くらいだろうか。
びっくりし過ぎて、動けないようだ。
もちろん、逃げたとしても、すぐに捕まえられるが、そうなると互いの関係はいいものにはできないだろう。
動物の皮を使った服はぼろぼろになっている。
腕や足に、いくつも傷がある。
不意に、後ろにいた小さい方の子が、身をひるがえし、逃げようとした。
しかし、足がもつれて、倒れた。
背中が見えた。
大きな三本の爪痕があり、血がにじんでいる。
もう一人が、倒れた子を振り返り、それからおれを見た。
何かを決心したかのように、仁王立ちになって両腕を開いた。
「&%#$!」
残念ながら、何を言っているのか、よく分からなかったが、おそらく、「逃げろ」みたいなことを言ったのだろう。
おれは共通語のスキルを強く意識した。
子どもがもう一度叫ぶ。
「逃げろ!」
あ、やっぱりね。
そういう表情をしているもの。
しかし、そんなに怖れられてしまったか。
跳躍で突然前に出たのがまずかった。まあ、人間とは思ってなかったから、獣を追い払うつもりだったんだけどね。
小さい子の方が、よろよろと立ち上がる。
もう一人はまっすぐおれを見据え、目を離さない。
「やめなさい。その怪我では逃げても遠くまでは行けない。逃げるだけ無駄です。そもそも、逃げる必要はありません。こちらに、あなたたちを害する気はありません。」
「・・・?」
伝わらなかったかな?
ざっくり言葉を短くしてみよう。
「逃げるな」
「・・・」
「森、危ない」
「・・・」
「けが、痛い」
「・・・」
仁王立ちの少女の表情が少し変わる。
「食べる、か?」
何言ってんだ、こいつ?
「おまえ、わたし、食べるか?」
おれが、人間の子どもを食べるのかどうか、知りたいみたいだ。
いやいや、食べませんよ。
ウサギやイノシシもまだ、シメる勇気がないのに。
人間の共食いなんてありえない。
「食べない」
おれは、両手を軽く上げて、手のひらを開いた。
何もしない、という意味をこめているが、伝わるかどうかは分からない。
「おれ、おまえたち、食べない」
「おまえ、わたしたち、食べない?」
「食べない」
二度、三度、うなずいてみせる。
片言なら通じる。
どうも、共通語とは少し違う言葉のようだ。
さっきみたいな長文の丁寧語では全く通じなかったのだろう。
「おまえ、わたし、殺す、か?」
おいおいおい。
食べないのに、殺すかもしれないっての?
この世界はおれの想像以上に暴力的なのだろうか。
「おれ、お前たち、殺さない」
「殺さない・・・」
少女は、少し、息を吐いて、両腕をおろした。
「ちかえ」
「ん?」
なんだ?
「氏族に、ちかえ!」
「ちかえ?」
「そう」
ひょっとして、誓う、という意味だろうか。
殺さないと、氏族に誓えってことかな。
待て待て。
おれの氏族ってなんだ?
この異世界に来てから、ずっと一人だしな。
「おれ、ひとり」
「なに?」
「氏族、いない」
「いない?」
「氏族、ちかえない」
少女の表情が明らかに変わった。
ああ、同情されている。
一族が滅ぼされた~、みたいに思ってやがる。
いや。
逆か。
この子たちこそ、一族が滅ぼされた、のではないか。
こんな森の奥に、小さな子どもがたった二人で、傷だらけでいることの方がおかしい。
「おまえ、わたしたち、殺さない、か?」
「殺さない」
おれは腰の水袋を出し、ふたを外した。水を少し、出して見せる。
「これ、水」
おれは自分の手に水をそそぎ、それを飲む。
「水、おいしい」
少女が思わず、一歩、前に出た。
「手、出せ」
少女が手を伸ばす。
おれはその手のひらに水をそっとそそいだ。
「飲め」
少女がおそるおそる、手のひらの水を口に含む。
しかし、口に含むだけで飲み干さない。小さいのにしっかりしている。大した警戒心だ。
おかしな味はしないはず。
やがて、少女はのどを動かす。
「両手、出せ」
今度は、少女が両手を出してくる。
さっきよりも多く、水をそそぐ。
迷わず飲み干す。
「もう一人も、こっちに」
少女の横に、もう一人も進み出る。
「両手、出せ」
大人しく両手を出す。
小さな手だ。
水をそそぐ。
小さい子は、少女の顔をうかがう。
少女がうなずくと、小さい子も水を飲んだ。
「おい、しい・・・」
水は偉大だ。
水で信頼を得られたようだ。
まだ警戒はしているが、さっきのような敵対心は感じない。
水を分け与える存在は、敵ではないという認識らしい。
「ついて、こい」
おれは子どもたちに背中を向けて、歩き始めた。
大人しく、ついてきている。
よかった。
アコンの群生地まで、戻ろう。
歩かせてみたが、元々、体力の限界が近かったようだ。
小さい子が一時間もしないうちに、限界がきた。
おれはしゃがんで、背中に乗るように言った。
少女が小さい子をおれの背中に乗せた。
それからは二人で歩き続けたが、二度、三度と、少女がふらついて転んだ。
こっちも限界のようだ。
おれは一度、小さい子を背中からおろし、二人に水を飲ませた。
そして少女を背中に、小さい子を前に抱きかかえて、歩き始めた。
片言で、いろいろと話をしているうちに、
『「南方諸部族語」スキルを獲得した』
この子たちの言葉のスキルを獲得したらしい。
そのせいか、ずいぶんと話をしやすくなった。
村が獣の群れに襲われたらしい。
つたない説明だったが、どうやら虎の群れだったようだ。
虎って群れるのだろうか。
なんか、一匹狼的なイメージがあるけど。オオカミじゃなくて虎だよね。
散り散りに獣から逃げて、森に入ったらしい。
夢中で逃げて、森で迷って。
五日目におれと出会った。
子どもの足で五日。
迷いながら、か。
アコンの群生地から北へ二、三日歩けば、森を出て集落があるのかもしれない。
話しかけても返事がないと思ったら、いつの間にか、二人とも眠ったようだ。
少なくとも五日間、安心して眠れることがなかったのだろうと思う。
アコンの群生地まで、あと一時間というところだろうか。
「セントラエル、危険はないか」
・・・はい。危険、あり、ま、・・・せ、ん。
そうか。
とりあえず、この子たちをアコンの群生地までは安全に連れて帰れそうだ。
しかし、ずっと、アコンの群生地で面倒見るってのも、どうかなあ・・・。
・・・って、あれ?
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