第4話 グロウスタイン


「錬金術師…」


キョウは復唱してみるも、やはりその正体はよくわからずに、さらなる興味が湧くばかりだった。




「狼ノ国から…来たの?山脈の向こうは狼ノ国だと聞いたことがある。」


ハナが連れていかれたのは狼ノ国だろうか。




「いや、場所自体はそうなんだが今はもう狼ノ国ではないんだ。山脈の向こうはすべて僕たちの国"グロウスタイン"だ。」


男の答えにキョウは再度たまげてしまった。




山脈の向こうがすべてグロウスタイン!?


養護院の図書で地図を見たことがあったが、


山脈の向こうには狼ノ国と他にもいくつか国が存在していたはずだ。それがすべて一つの国になっているというのか!?




「いつの間に…」


キョウのつぶやきに男は乾いた声で笑った。




「まあ突然出来上がったものではないんだけど…。


グロウスタインができたのは10年前ぐらいで、それがここまで大きくなったのはここ最近のことだよ。」






なんと、


すでに国は十二もないということだ。




キョウの疑問は増えるばかりであった。


「それは、


「ちょいちょい」


男がキョウの言葉を遮る。








「君も僕も、かなりダメージがでかいので今日はもう休みましょう。」


男はそう言うとそこらへんに横になった。右腕に気を使っている。






確かに、気づいてみれば手だけでなく体のあちこちが痛む。


キョウは自分の手をまじまじと見た。


掌のただれは男の治療が功を奏し、格段に回復していたが、手首に残るハナの手の跡は痣のようにくっきりと残っているのであった。




「ハナは助かる?」


男はすでに目を瞑っていたがキョウは構わず問いかけた。




「絶対とは言えない。あくまで可能性がある程度のことだ。あとはあの子の生命力次第だね。しかしこれが最善の選択であったことは間違いない。いくら君と言えどあのままで彼を救うことはできなかったと思うよ。」


彼は片目を開けてキョウを見た。




「…殺すのはね、簡単なんだよ、本当に難しいのは救うってことなんだ。ましてや完全に救うなんてのは奇跡に近い。」




男は真っ暗な空を見上げた。星など見えない完全な暗闇である。






「それから、一つ言えることがあるとすれば、今の君には何もすることはないってことだよ。気持ちはわかるけどこの先のためにも休んだ方がいい。」


そう言ったあとはキョウがどう声をかけても応えることはなかった。
















ハナ。


ハナがいるから俺は生きるんだ。


お前が死んだら今度こそ俺も死んでやる。










新月の暗闇の中で、焚き火の灯りとそのパチパチと鳴る音だけが、今、ここに唯一存在するものとして証していた。






「のど乾いた。」


キョウがつぶやいた。


男はこちらに背を向けて横になりながらも自らの鞄から水を取り出してキョウの方に投げた。






起きてるんかい。






受け取った水を一口飲んだ。ひんやりとのどが潤っていく。


一息つくとキョウも横になった。






揺らめく焔が近くで眠るミヤマの頬を照らす。


その様子にキョウは少しの安堵を持って眠りにつけるのであった。

















「キョウ」




ハナの声がする。


声のする方に顔を向けるとハナがいた。




「ハナ、お前助かったのか…」


ハナのもとへ一歩踏み出すとハナはキョウを制止するように左手を前に出した。


その掌は赤く光っている。というより赤く光る何かがハナの掌で輝いていた。




次第にその光は強くなり、キョウはあまりの眩しさに顔をそむけるしかなかった。


赤い光が落ち着いたのを感じ、顔を上げる。




するとあたりはいつの間にか暗闇に包まれていた。




「ハナ、こっちに来い。俺と帰ろう。」


得体のしれない不安に襲われたキョウがそう声をかけるもハナはその場を動こうとしない。




ハナの表情はひどく悲しげだった。




「キョウ、―――――――。」








「なに、聞こえな―――」


キョウがもう一度ハナのもとへ足を踏み出した時だった。




ハナの後ろで何かがむくむくと湧き起こりだした。








闇だ。




あの時の、どす黒い雨雲のような闇である。むくむくと広がり始めた闇は上に上に細長く蛇行しながらゆらゆら伸びていき、ふと止まると今度は急降下を始め、下にいたハナを丸ごと呑み込んだ。




「ハナ!」


キョウは走り出した。


しかしどんなに走っても闇には届かない。




「キョウ」


ハナの声だけが聞こえる。








「キョウ」










「キョウ」


















「キョウ!」


突然ミヤマの顔面が視界いっぱいに広がった。






日が昇っている。ミヤマの顔をしばらく眺め、


ああ、夢だったんだな


と気づいてホッとした。




「起きた?」


ミヤマの問いかけに答える代わりに両手で大福のようなほっぺたを挟んでムニムニした。




体を起こす。まだ朝のようで辺りはひんやりと涼やかな空気に包まれていた。


「眠れた?」


昨日の男が笑いかけた。




「意外にも。」




「じゃあ早速だけど出発しようか。」


男はそういうとキョウに水と手ぬぐいを渡した。


「キョウ、汗すごいよ。」


それを受け取ったのはミヤマで、その手ぬぐいでキョウの額を押さえた。








「これから僕たちはとりあえず街へ出る。そこできちんと旅の準備をしてからグロウスタインへ向かうよ。このままじゃ少なくとも僕は鯉ノ国を通過できないかもしれないからね。あ、それからニトリとあの子はとりあえずグロウスタインについたようだ。あとは可能性を信じるしかない。」






なぜそんなことがわかるのか。


怪訝な表情のキョウに気づいた男は言った。




「ああ、少々”眼”がいいもんでね。」










こうして一行は鯉ノ国手前、虎ノ国南東の街、ガンデンに向かうこととなった。

















ガンデンに向かいながら、男はグロウスタインについて軽く教えてくれた。






グロウスタイン。


10年前に狼ノ国にできた新興国。今ではかつての蛇ノ国、猪ノ国、鷹ノ国の旧四国の領土をグロウスタインが一国として治めている。


”神族と人間が平等に共生する社会”を掲げており、そのための施策に熱心だという。特に魔力の研究が盛んに行われ、その研究院は国の中心的な機関となっている。




「僕はその研究院で、昨日ちょっと説明した再現研究というのを行っていて、それを専門とした研究所の所長をしているんだ。


あ、そういえば僕、名乗った?」


ハッと思い出したように男がキョウに尋ねた。




キョウは首を振る。




「そっかあ。ごめんごめん、すっかり名乗った気になっていたよ。僕の名前はアイザックと言います。よろしく。」




いまさら、自己紹介をされた。




「俺はキョウ、こっちはミヤマ、で先にあなたの国へ行ったのがハナ。」


「うんうん、知ってる知ってる~何度も呼んでたからね。」




アイザックは再現の研究をしていて、魔力を正しい手順を踏めば誰もが常に必ず同じ効力で何度でも使えるようにしたいらしい。




キョウの心にむくむくと新しい感情が芽生え始めた。どきどきと心が高鳴る。




「それが錬金術…。」


言葉がポツリとこぼれた。




「お、興味あるかい?新しい研究員は大歓迎だよ。」


アイザックが両手を広げた。






キョウはもう一つ、昨日から気になっていたことについて彼に聞いた。


「あなたの右手のそれも再現研究と関係あるの?」




アイザックの右腕は昨日のハナの毒で服が溶け切ってしまっている。今になっては腕の炎症もだいぶましになっているがキョウの関心は肘から下にあった。手は手袋をしているのでよくわからないが、アイザックの手から肘にかけて、黒くなっているのだ。昨晩の化け物の炭のようなボロボロの手とは異なり、真っ黒な痣が肘から下を覆っているようだ。そしてそこに青い筋が血管のようにうっすらと伸びている。




昨日見たときから地味に気になっていたのだ。




「これは、」


アイザックはその黒い痣を左手でそっと撫でた。




「これは再現なんかじゃない。…気にしないで、なんでもないから。」


それだけ言うと前を向いて、また歩き始めた。








するとそれまで黙ってアイザックとキョウの後ろをついてきていたミヤマがキョウの袖を引っ張って、小さな声で囁いた。






「俺、昨日、夜中目が覚めたの。あの人、右手の黒い痣のとこ、抱えて苦しんでた。痛そうにしてたよ。」







そうか、


きっとただの痣ではないのだろう。










「そういえば、ミヤマ、昨日のこと、どこまで覚えてるんだ?」


ミヤマは朝起きて、特に騒ぐことも慌てることもなく、後についてきた。




「アイザックが助けてくれたとこまで。次に気づいたときに、アイザックが苦しそうにしてるの見たんだ。すごく怖かったんだけど、しばらくしたら起きた俺に気づいて全部話してくれた。」




そうだったのか。まったく、頑固なのか聞きわけがいいのかわからんな。




キョウはミヤマの右頬をつまんで引っ張った。




「いたい!!!!」


ミヤマはキョウの手をはたいて頬をさする。






「そういえば、俺、街へ行くの初めてだ。」


キョウは生まれてからこれまで街へ出た記憶がない。




「俺も街は初めてだ。村とは違うのかな。」

ミヤマもうんうんと頷いた。

ミヤマは虎ノ国の村出身だというのを前に聞いたことがある。



それを聞いたアイザックはガンデンについて少し説明してくれた。

「ガンデンは土地は広いけど多くの人が住んでるわけではないからそこまでにぎやかな街ではないね。七日森とは少し違うけどあそこも土が恒常的に固いんだ。だからそれに負けない硬い木が育つんだけどそれがまた香木揃いでさ、そんで水分を多く蓄えてるもんだからその木の皮で肉やら何やら巻いて焼くと香りがよくて肉もふわふわでめちゃくちゃ美味いらしいんだ。それ食べようね。」


早口でそう言うと、アイザックの口からヨダレがこぼれた。




本当にこぼした、拭け。






しかしキョウもミヤマも昨晩から何も食べていなかったのでアイザックの話はかなり魅力的だった。






「その木の皮自体が名産品だから、服とかには不向きだけど、鞄なんかは丈夫だしいい香りだし人気だよ。それも買おうね。」






「ガンデンに行ったことあるの?」


ミヤマが聞いた。




「いや、僕はないんだが、研究員の中にガンデン出身がいてね、その子に教えてもらったんだ。は~楽しみだねえ。」


アイザックがスキップした。




ミヤマも目がキラキラ輝いている。




そしてキョウもアイザックの話に、初めて訪れる街という、想像だけだった世界に足を踏み入れることに僅かながら期待しているのであった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る