第19話 離れていても

 家に着く頃には僕の頭の中は早紀のことでいっぱいだった。

 何事も形からとは言うが、あんなトンデモお付き合いから始まったラブストーリーでも僕は早紀にすっかりホの字らしい。ホント、僕ったらチョロインだな。いや、男だからこの場合はチョーローか。


 会えないというだけで僕の心はこんなにも切ない。我ながら女々しくなったものだ。


「……こんなことになるならスマホという文明の利器を持っておくべきだったか」


 そんなことを真剣に考えるくらい心境の変化が起こっている自分に驚かされる。

 暗くなった玄関を進み、リビングのテーブルの上にある照明のリモコンを手探りで見つけ、明かりをつける。慣れたいつもの動作だ。


 明かりをつけて、最初に目に入るのは壁にぶら下げているピンクのノート。

 表紙には『これを見ろ』と、マジックでデカデカと書いてある。これくらい目立たせているのには理由があって、お察しの通り、もう一人の僕と会話をするためのノートだからだ。


 昨日、寝る前に『どうして女子トイレに入ったんだ?』と書き込んでおいたのだけど、朝に見たときは新たな書き込みは無かった。念のため帰宅した今も確認してみたけど変化はない。まあ、1日で結果が出る方がレアだと思うから、もう少しだけ待ってみようと思う。


「さて、そんなことよりもメシだな」


 今は食事だけが寂しさを紛らわせてくれる。食事は僕の数少ない幸福のひと時である。


 一人暮らしをしているから、調理を含め、すべての家事を一人でこなさなければならない。

 複雑なものは作れないが、簡単なものであれば料理を作ることだってできる。というのも、全て祖父の教育のお陰だ。


 僕は生まれてから中学に上がるまで施設で育てられた。

 両親のことはよく覚えていない。今も生きてるのか死んでいるのか、どこでどうしているのか分からないままだ。祖父は死ぬまで両親の話はしなかったから、話すほどの価値がある両親じゃなかったってことなんだろうな。

 そんなことから察するに、恐らく僕は望まれて生まれた子じゃなかったのだろう。捨て猫ならぬ捨て子である。けけけ、僕はなんて不幸な子供だったんでしょう。


 祖父は僕を引き取った時点で病を患っていた。にも関わらず施設から僕を引き取って、こうした生きる術を教えてくれた。本当に感謝しかない。なんで僕を引き取ったのか以前に聞いた事があったけど、まだ小さかったからかはぐらかされてしまったっけ。


 施設での生活……色んなことがあったなあ。

 どっちかっていうと辛い思い出の方が多かった気がする。今の僕がこんな捻くれた性格なのはそんな環境で幼少期を過ごしたからなのかもしれない。三つ子の魂百までって言うし。そういえば、この変な体質になってしまったのも施設で生活している途中からだったっけ……。


 と、その時だ。これが第六感というのかは知らないが、僕の視線は無意識に電話の方へ引き付けられた。それから1、2秒ほど経ってから電話のベルが鳴りだした。


 会話禁止令が出ているからかけてきたのは早紀じゃないよな……誰だ?

 受話器を取る。


「はい、公原です」

『あ、紡くん。早紀です』


 またしても電話の相手は早紀だった。会話禁止令が出ているのに……というか言い出しっぺのくせして、なぜ?


「え、早紀? 会話をするのは禁止されていたはずじゃ……」

『え、えっとですね……直接会話をするのはダメで……こ、これは機械の合成音だからセーフなんです!』

「なるほど。寂しくなって我慢出来ずに電話をかけてきたんだな」

『……紡くんは私と会話するの、嫌でしたか?』

「早紀と話すのは大好物。僕も我慢出来なくなっていたところだ」

『よかった。今、空港に着いたところなの』

「ナイスタイミング。ちょうど僕も今帰ってきたところなんだ」


 嬉しそうに報告する早紀の声を聞きながら、受話器を持ったままソファに寝転がる。ぐるぐる巻きのコードが頬に当たっている。


『そういえば、逢坂先輩とお買い物に行ってきたんですよね。どうでした?』

「アニメとかあまり見ないからよく分かんなかったけど、まあまあ楽しかったよ」

『楽しかったんですか……』


 急にテンションを落とす早紀。僕は何か地雷を踏んでしまったのか!?

 急いで話題を変える。


「あ、そうそう、マニメイトに早紀そっくりのフィギュアが売ってあったんだ」

『へえ、私そっくりのフィギュアかぁ……紡くん、そのフィギュアに変なことしませんでした?』

「早紀、君は千里眼の持ち主か何かか?」



『――国際電話は着信する側も料金がかかるみたいなので、これでお話するのはしばらくお預けですね』

「早紀と話すなら国際電話の料金なんて安いものだけどな。ま、帰って来てからのお土産だと思って楽しみにしているよ」

『はい、紡くん。少しの間ですがお元気で』

「早紀も変な物食べてお腹壊すなよ」

『気を付けます』

「うん」

『あ、最後に……浮気しちゃダメですよ?』

「僕の心は早紀一筋だから安心してくれ」

『ふふっ、信じていますからね』


 そんな言葉を最後に電話は切れた。

やけに念押しに言われているようだけど、そんなに僕は浮気するような男に見えるのだろうか。そもそも逢坂先輩にはちゃんと五樹という好きな相手がいるというのに。余計な心配だっつうの。


 まあ、なんだかんだ言って、こういうのは愛されている証だと思う。だとしたら僕もそれに応えてあげられるようにならなければいけない。

 早紀には逢坂先輩の件で色々と不安にさせたり、迷惑もかけたりしているだろうし、旅行に行く前に約束したデートはせめて楽しませてあげたいな。


 その為には金。世の中何をするにもお金が必要になるわけなのだけれど、こないだ子供用品を爆買いしたせいで絶賛金欠中だ。となれば、この2週間は先輩のリハビリをしながらお金も貯めなければならない。うーん、なかなかハードなスケジュールになりそう。


 学生がお金を稼ぐ方法と言ったら、アルバイトしかない。アルバイト、アルバイトって、そういえば郵便受けにアルバイトの情報誌が突っ込まれていたよな。何か良いアルバイトが無いか探してみるとしよう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る