第13話 目覚めた場所は女子トイレ
どこから話せばいいだろう。
自分でもどうしてこうなってしまったのか分からないけど、今起こっている事実を淡々と述べるとすれば、僕は今、学校の女子トイレの個室で弁当を食べている。というか、食べていた。
夢じゃないのかと思って頬を引っ張ってみたけど普通に痛い。床のタイルもピンク色だし、男子トイレの個室には無いはずの小さなごみ箱みたいなのもあるから、ここは女子トイレで間違いないと思う。
それも生徒が使うようなトイレじゃなくて、教室から離れた場所にある1階の職員が使うトイレの個室である。まあ、その職員自体あまりトイレを使わないようなので、ボッチ界隈では『食堂』と呼ばれているくらい便所飯には適した場所なのだけれど、便所飯のために訪れた記憶などない。本来なら教室で早紀の手作り弁当を味わいながら食べているはずなのに、僕はどうしてこんなところにいるのだろう。
腕時計で現在の時間を確認すると、昼休みはまだ始まったばかり。
百歩譲って便所飯はいい、だけど何故に女子トイレなのか。意味が分からなかった。
こんな通常では考えられないことが起こっているということは、また記憶が飛んだのだろうな。
一難去ってまた一難。最近の記憶飛んでいる間の僕――もとい別人格の僕の行動は謎が多すぎる。また変なトラブルに巻き込まれるのは御免だ。今度こそは平和に暮らしていけると思っていたのに、最近の僕は本当にどうかしている。
滅多に使われない職員用トイレだが、女子トイレということに変わりは無いわけで、もし女子トイレにいるのがバレたら僕は社会的に終わる。下手したら停学処分が下りそう。ただでさえ早紀の妊娠勘違い事件で注目を浴びているというのに、これ以上変な噂が立ってしまったら早紀にも愛想を尽かれ、僕の居場所は完全に無くなってしまうだろう。……そんなバッドエンドは何としても回避したい。
となれば、悠長に早紀の手作り弁当なんか食べている場合ではないわけで、いつ誰がトイレに入って来るかも分からないこの状況。乙女の楽園を穢さぬよう、とにかく1秒でも早くここから脱出しなければいけない。善は急げ。入っている時点で悪? そんなの知るか。僕は電光石火の速さでトイレの個室から飛び出した。それと同時になぜか隣の個室のドアも開いた。……って、ええっ、なんで!?
隣の個室から出てきたのは、高校生にしてはやけに背の低い、茶髪のポニーテールが揺れる女子生徒。身長の割に体の発育が良く、制服の下から二つの双丘がこれでもかと言うくらい主張している。
なんて冷静に分析している場合ではない。僕は見られた。女子トイレに入っていたところを見られてしまった。つうか、隣に入っていたのかよ!!
誰かが入ってくることばかりに恐れて、中に誰もいないのか確認をしなかったことが悔まれる。
しかし、後悔しても遅い。時間は不可逆性、戻ることは有り得ないのだ。だからこそ、その後の対応が大切なわけなのだけれど……はてさて僕はどうしたらいいのだろう。女子トイレに男子が間違えて入ってしまったときの対処法とか、マニュアルとかありましたっけ。ないね。
その女子生徒は僕を見るなり、目をこれでもかというくらい見開き「どうしてここに男子生徒が!?」という驚愕の表情に顔を歪ませている。それもそうだ。女子トイレとは言わば男子禁制の聖域。男が居ることなど有り得ないのだ。
そんなあり得ない現場を目の当たりにしたその女子生徒は、まさに叫び出す3秒前と言ったところで……だーいかんいかん。こんなところで叫ばれたら僕の人生は終わってしまう。いいや、終わらせてなるものか。
彼女が叫び出す直前、僕は咄嗟の判断・行動で彼女の口を手で塞ぐことに成功する。が、いつまでもこのままでいるわけにはいかないんですよね。
それに、他の誰かがトイレに入ってきて、こんなことをしている姿を見られてしまっては今度こそ対処のしようがない。しょうがないので彼女の口を押さえたままトイレの個室に押し戻して、そして鍵をかける。……うん、なんだか状況が段々と悪化しているような気がするな。借金を返すために借金を重ねる、みたいな。まあ、考えたところで手遅れなのだけれど。
そしたら彼女が抵抗してきたので、僕は無理矢理にでもそれを押さえつける。押さえつけたら更に暴れ出したので、どう押さえればいいのか迷っているうちに、女性特有の柔らかい部分を触ってしまったり、彼女の脚の間に僕の右足が入り込んだりと、女体に絡みつく蛇みたいな、なんだかすげえ格好になってしまっているけど、大行は細謹を顧みず。だけど、こんな光景を見られたら通報されちまうだろうな。
「ん、んんーーーーッ!?」
その女子生徒はパニック状態に陥り、野生動物の鳴き声を通り越して、スーパーカーのエンジン音のような声を出している。もし僕が手で口を押さえていなかったら、彼女の叫びは校舎中に響き渡っていたのではなかろうか。
「ちょ、ちょっと落ち着いてくれ。別に君を襲うつもりはないんだ。それと、女子トイレに入っていたのは深い事情があるんだよ!!」
ジタバタと暴れる彼女を押さえつけながらそう伝えたのだけど、我ながらやっていることと言っていることが一致していない。彼女は依然として興奮した状態が続き、僕の声が耳に入っていない様子だった。
そのまま彼女を壁に押し付けてどうにか興奮が収まるのを待つ。そうして大人しくなってきた頃合い、っていうか疲れ果てたんだと思うけど、「僕が離すから叫ばないでくれ」と伝えて、コクリと頷いたのを確認。ようやく彼女を解放することにした。
◆
「――ごめんなさいッ!!」
トイレの個室で狭い中、僕は出来る限り頭を下げて彼女に謝る。頭を下げるだけでは物足りないように感じたので、一礼二拍手。頭の上でパンパンと手を叩いてみる。僕は出来る限りの誠意というものを彼女に見せつけた。
「あんなことをしておいて許すと思う?」
「許してくれるような優しい世界であってほしいです」
「……大体、あなたはどうしてこんなところにいるの?」
そんなの自分でも分かんねえよ。むしろ僕が聞きたいくらいだよ。という心の叫びを抑えて、まずは彼女の姿をじっくりと観察してみる。
身長は150センチも無さそうな小柄な女子だけど、敵意たっぷりの視線で気は強そうなイメージ。んで、暴れたからか服装が少しだけ乱れている。そんな彼女の制服のリボンの色を見て気付いたのだけど、この人は2年の先輩だ。僕はつくづく先輩に縁があるなと思う。
先輩は大量の汗をかいて、ハァハァと色っぽい声を出している。汗のせいでうっすらと下着の水色が透けて見えているけど、それは言わない方がいいよね。
「実は僕……記憶が飛んでしまう変な体質の持ち主でして、気が付いたらここにいたのです」
「そんな嘘、信じると思う?」
「本当なんです。信じてください」
ギロリと鋭い視線で僕を睨む先輩。
初めて聞く人からしたら、こんなの信じられるわけがない。犯人がよく言う「魔が差した」より低レベルな言い訳だよな、これって。
「よく見たらあなた……同級生の子を妊娠させたって噂になっていた人よね。学校中に広まっていたわよ」
「恐縮です」
「今度は強姦未遂で有名になりたいのかしら?」
「あ、それはどうか勘弁していただきたいですね」
……まずいな、このままでは性犯罪者の烙印が押されてしまう。
謝罪をしても受け入れてもらえる様子はない。となれば何か別の方法を考えなければ――そう思い、辺りを見回すと先輩の手に直方体の箱が握られていることに気が付いた。
「あれ? 先輩の手に持っているのって弁当箱ですよね?」
「うっ……そうだけど……」
僕が訊ねると、先輩は心臓を撃ち抜かれたかのような声を出す。まるで、そのことについて触れられたくなかったような……うん、これはいける。
「先輩、どうしてトイレに弁当箱なんか持ってきているんですか?」
「……突然お腹が痛くなったから、慌てて持ってきちゃっていたのよ」
「でもここ、職員用トイレですよ。2年生のトイレは3階にあるじゃないですか」
「そ、それは……3階のトイレは満員だったのよ」
「それなら他の階のトイレを使えばいいでしょう。わざわざこんな遠い場所のトイレを使う必要なんてありますか?」
「他の階も満員だったの!」
「へえ、本当かなあ? 弁当を持って、わざわざねえ……そういえば出るときに水を流す音が聞こえなかったなあ」
僕は手を顎にやりながら、ニヤニヤと笑みを浮かべながら話す。先輩は自分でも言い訳に無理があると分かっているのか目が泳いでいる。窮鼠猫を嚙むとは言ったもので、一転して攻勢である。
「……あ、あなただってそうじゃない! なによ、その弁当箱は!」
「僕はさっきも言った通り、記憶が飛んで気が付いたらここに居たんです。こんなところで好き好んで彼女の手作り弁当を食べるわけがないじゃないですか、やだなーもー」
「そ、そうよね……って、あなたね、自分のしたことが分かっているの?」
「ええ、分かっていますよ。女子トイレに侵入して、先輩を暴れないように押さえつけたりしました」
「自慢気に言わないの!」
だって、そこで弱気になったら絶対につけ上がって来るでしょう。そうさせないためにこうやってマウント合戦、心理戦を行っているのですよ。……まあ、元凶は僕なんだけど。
「そういえばここ、ボッチの間では食堂と言われている有名な場所らしいですね」
「だ、だから何よ……私がボッチだとでも言いたいの?」
「そうは言っていないですよ。ただ、ボッチの人が弁当を食べる場所だって教えただけです」
「嘘よ。本当は私のことをボッチだと思っているでしょう! 勘違いしないで欲しいんだけど、私はボッチじゃないから! 絶対にボッチではないんだからっ!!」
この慌て具合。そうボッチボッチ連呼されると、自分がボッチだって告白しているようなものなんだけどな。
「なるほど、教室で一人で食べているところを見られたくないから、ここで便所飯をしていたんですね」
「うるさいうるさい! 私はボッチじゃないって言っているでしょう!!」
目を不等号のようにして叫ぶ先輩。どうやら図星のようだね。
さーて、感情が揺さぶられている今がチャンス。ここで一気に決めるぞ。
「じゃあ取引しましょう。先輩が便所飯していたことを黙っていてあげるので、先輩もさっきのことは忘れてください」
「え、ホント? それなら忘れてあげても……って危ない危ない。危うく騙されるところだったわ。そんなの受け入れるわけないでしょう!」
急にシラフに戻る先輩。
くそ、これを餌にうまく口封じに出来ると思ったんだけどな。さすが年上ってだけあって、簡単にはいかないか。
「取引か……そういえばあなた、いつも一緒に登校している人がいたわよね?」
「ああ、五樹ですか? よく知っていますね」
「う、うん。登校中によく見かけるのよ」
「で、五樹がどうかしたんですか?」
「私……彼のことが好きなの」
先輩はモジモジと脚を動かしながら顔を赤くする。それはまるで恋する乙女そのものだった。つうかこの学校、年下を好きになる奴多くねーか。
「先輩、告白する相手を間違えていませんか? 僕は紡です」
「そんなの知っているわよ。つまり、私が言いたいのは……」
「分かった。僕が五樹に先輩の告白を伝えればいいんですね?」
「それはだめ。告白はちゃんと自分でするって決めているんだから」
「健気だなあ。じゃあどうすればいいんですか?」
「実は私、人付き合いが苦手で恋人はおろか友達も出来たことが無いのね」
「やっぱりボッチじゃないですか」
「う、うるさいわね! そうよ、私はボッチよ! 笑いたければ笑えばいいじゃない!」
今度は開き直りやがった。
最初からそうやって素直になっておけば良かったのに。ボッチは変なプライドがあるから駄目なんだよ。元ボッチが言うのだから間違いない。
「安心してください。僕もボッチみたいなものですから。お互いボッチ同士、腹を割って話しましょうよ」
「あなたと同類にされるのは嫌なのだけれど……。ならいいわ、取引よ。あなたが女子トイレに入っていたことを黙っていてあげる代わりに――」
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