第12話 僕のラブコメは上手くいかない


 清々しい月曜日の朝。

 清々しい気分で清々しい足取りで学校に向かっていると、今日も清々しく交差点で五樹とエンカウントしたので一緒に登校することになった。


「全部、彼女の勘違いだったんだ」

「は?」


 出会って一口目がこれ。朝にしては少々刺激が強すぎるかもしれないが、僕は突然この話題を切り出した。半分自暴自棄だった。


「早紀は妊娠していなかった。っていうか、子供の作り方すら知らなかったんだ」


 僕がそう言うと、五樹は理解するのに時間が掛かっているのか、口をポカーって開けたまま固まっている。見事なアホ面だ。


それから3秒くらい経って、五樹が大きな叫び声をあげた。


「え、えーーっ!? ま、マジかよ!!」

「マジなんだよな、これが」


 そんな大声で叫んだら近くの登校中の生徒が驚いてしまうだろうでしょうが、って苦笑いを浮かべたけど、みんな特に気にする様子も無く歩き続けている。意外とみんな他人には無関心なのね。


「今時そんな子がいるとか……良かったような、悪かったようなだな」

「まあな。それと、早紀と正式な恋人関係になったよ」

「へえ……そりゃ目出度いけど、紡に彼女って想像出来ねえ」

「だよな」

「ましてや早紀ちゃんが彼女とか釣り合わないだろ」

「傷つくこと平気で言ってくれるな」

「ハハ、悪い悪い。しかし、人生っていうのは何が起こるか分からないもんだな。ぜってえ俺の方が先に彼女が出来るって思っていたのによ」


 そう言って、五樹は両手を頭の後ろで組みながら青い空を見つめている。今日は雲一つない快晴だ。

 それから、ふと何かを思い出したように僕の方に向きなおって歯を見せながら意地の悪い笑みを作った。


「思ったけど、これって早紀ちゃんの作戦だったんじゃないか?」

「なにが?」

「妊娠したってみんなの前で告白したのは、紡と恋人関係になるための嘘だったんじゃないかってことだよ」

「なるほど。だとすると僕は早紀の作戦にまんまと嵌められたというわけか」

「そうそう。あんな可愛い顔して、実はメチャクチャ計算高い悪女だったりするんじゃねえの?」


 僕は五樹がさっきまで見つめていた青い空を見つめながら、こう答えた。


「ま、それならそれで引っかかってみるのも一興だ」





「紡くん、おはよう!」


 教室に入るなり、早紀が僕の胸に飛び込んでくる。

 それはもう肉食獣のような俊敏さで、僕が学校に来たことを嗅覚で嗅ぎつけて、ずっと教室の入り口付近で待機していたんじゃないかと思うくらいのナイスタイミング、ナイスジャンプ。ってことは僕は草食動物か、ぎゃあ。


 早紀と正式な恋人になり、初めての登校日ということで多少は期待していたけど、こんなにも大胆な行動をしてくるとは思わなかったな。いや、嬉しいんだけどね。


 苦痛からの解放、と言えば大袈裟かもしれないけど、妊娠は勘違いということで終わり、肩の荷が下りたような気分なのはお互い同じなのだろう。抑えつけていたものが無くなった今、気持ちに歯止めが利かなくなっているんだ。


 だから僕も――。


「おはよう早紀!!」


 思い切り早紀を抱きしめてやった。

 初めて味わう女の子の感触。って言うとなんだか卑猥な響きだけど、すげえ柔らかい。あとシャンプーのいい匂いがする。


 早紀の後方――教室の中にいるクラスメイト達の方を見ると、バカップルを見るような呆れた顔で僕たちを見ている。……ふん、いいだろう。見せつけてやろうぜ。彼女がいる僕に恐いものなどない。僕は無敵だった。


「この前言ったこと、あれ全部嘘だからー!!」


 教室の中のみんなに向かって、僕は大声で叫んだ。

どよめきが起こり「え? マジで?」「どゆこと?」という会話がちらほらと聞こえ始める。中でもクラスの積極的な誰かさんが「嘘ってどこからどこまでだよー!?」と訊いてきた。


僕が再び叫んで返そうとしたら、早紀が口元に人差し指を当て、いたずらな笑みを浮かべながら僕に「待って」の合図を送る。そして、


「全部です! 妊娠したことも全て私の勘違いでしたー!!」


 と、続けるように早紀が叫んだ。

 早紀本人が言ったことで、教室内は更に大きなどよめきが起きる。内容にも十分驚かされたのかもしれないが、お淑やかな性格の早紀が叫んだこと驚いた人も大勢いるのではないだろうか。


 しばらくして、クラスの他の誰かさんが「ちゃんとゴム付けねーからだぞ!」と僕たちを揶揄うように叫んだので、


「僕はまだ童貞だよコノヤロー!!」


 と大きな声で返してやった。


 そしたらどっと教室内で笑いが沸き起こったもんだから、僕たちも釣られるように笑ってしまった。なんだか僕たちがクラスの空気の支配者になったようで可笑しかったんだ。


「フフッ、とんだお騒がせカップルだよな、僕たちって」

「そうですね、でも楽しいです」


 つまらないルーティンワークのような学園生活に、彼女というスパイスを加えただけで、世界はこんなにも簡単に変わってしまう。あれだけ嫌だった学校も早紀がいれば楽しめるような気がしたんだ。


「紡くん、なんだか幸せそうな顔をしています」

「幸せそうな、じゃなくて幸せなんだよ」

「私もです!」


 そう言って早紀は微笑む。

 いつまでもくっついているわけにもいかないので「荷物を置かなきゃ」と言って早紀から離れ、自分の席に移動する。


 鞄から荷物を取り出して机の中に入れていると、早紀が目の前にやってきた。


「問題です。私は何を持っているでしょうか?」


 そんな彼女の両手は後ろで、顔はニヤニヤと小悪魔的な笑みを浮かべて、後ろに何かを隠しているように見える。


「何かを持っているように見せかけて実は手錠で繋がれている、というプレイを僕に持ちかけてきたとか」

「ブブー、外れです。正解はお弁当箱でした! 今日は紡くんの為にお弁当を作って来たのです!」


 僕のギャグを華麗にスルーしながら、早紀はピンク色の可愛らしい箱を僕に手渡してきた。重箱式で、中には具材が沢山詰まっているのか中々重い。スルーされたのはショックだけど、こういうのを貰うとテンションが上がるなあ。


「僕の為に? 愛されているなあ」

「その……恋人ですから」


 なぜかそこで照れる早紀。


「すげーズッシリしているし、こんなに沢山作るの大変だっただろう」

「えっと、それは、冷凍食品なので……紡くん、冷凍食品でも食べられますか?」

「少しくらい冷凍食品を使っていても僕は気にしないよ。早紀の手料理が食べられるなんて僕は幸せだ」

「あの……そうではなくて、全部冷凍食品なのです……」

「ぜ、全部? あー、うん。冷凍食品でも嬉しいよ。超嬉しい」


 笑った顔を作ってみせたのだけど、僕は上手く笑えているだろうか。自信がない。


 冷凍食品だろうが何だろうが関係ない。大切なのは愛なのだ。

 早紀が冷凍食品を選び、早紀が冷凍食品を温めて(温めたのは恐らく電子レンジだろうけど)、早紀が弁当箱に詰め込んだという事実が重要なのであり、決して手抜きとか、そんなことを考えてはいけない。いけないんだ、僕。


「これだけ量があるということは2人分だよね。昼休みは一緒に食べよう」


 僕が言うと、


「あ、その……ごめんなさい。今週は委員会の活動があって昼休みは一緒に居られないんです。今週は紡くん一人で食べてください」


 と、申し訳なさそうに早紀が言ってくる。


 うーん、微妙に上手くいかない僕のラブコメである。しかし、これだけの量がある冷凍食品……早紀の愛妻弁当を一人で食べるとなると中々厳しいな。初日から愛がいっぱいだ。いっぱい過ぎて胸焼けしそう。


「そっか、委員会があるなら仕方がないね。来週からは一緒に食べようね」

「はいっ! その時には手料理も少しずつ増やしていきますね!」

「そりゃ楽しみだ」


 意気込む早紀。ほどなくして朝のホームルーム開始のチャイムが鳴り、早紀は急いで自分の席に戻って行く。

 早紀とは席が離れているので、ゆっくりと会話が出来るのはこの先、昼休みくらいしかない。昼休みと言っても委員会の活動があるらしいから、実質放課後までお預けか。寂しいね。


 そんな早紀は環境委員会に所属している。主にゴミ拾いとか、花壇の整備とか、そんな自然に優しい活動をしているのだと聞いた。自然っていいよね。生まれ変わったら僕は木になりたい。


 ちなみに僕はというと、委員会は強制じゃないので入っていない。無気力人間、ダメ人間、踊るダメ人間である。強制でもないのに入るなんて早紀は真面目だね。そもそも人間の作りからして違うのだろうな。クラスのマドンナと言われていたくらいだし。


 妊娠を告白した今では彼氏の存在が発覚したアイドルのように人気が落ちてしまったわけだけど、かつてはクラスのマドンナとして多くの男子から好かれていたわけだし、やっぱり好かれる人間っていうのはカリスマ性というか、生まれ持ったソウルみたいなのがあるよね。


 それに比べて僕は人を避けるように、なるべく関わらないように生活しているわけだから、まだ土俵にすら入っていない。いや、むしろ土俵から逃げていると言うべきか。


 古風にカッコつけて言えば「栄光ある孤立」、今風に言えば「ぼっち」という情けない三文字で片付いてしまう僕の生活スタイル。


 一体、いつからこんな孤立政策を取り始めたのだろう。小学校時代まではそこそこ友達がいたような気がする。中学からは減ってきたけど喋る人はいた。本格的にこうなってしまったのは高校に入ってからだ。周りとノリが合わないなあって感じ始めた僕は、無理に人と付き合うことをやめて、一人で過ごすことが多くなっていた。普通の人ならそこから仲良くなろうと努力するんだろうけど、僕には出来なかった。


 なんていうのかな。自己評価が低いのが根本的な問題だと思う。自分が何か行動を起こそうとしても、周りとは全然違う、空回り。間違ったことをしているようで自信が持てないんだよね。そうして何もしないで逃げて、もう一人でもいいやって諦めてしまう。悲しきかな、我が人生。ってそこまで悲観しているわけでもないけど。


 そんな感じに、今までの僕というものを振り返りながら午前の授業をぼーっと受けていた。こんなことを考えてしまうくらい授業は退屈だったのだ。


 自分で言うと嫌味ったらしく聞こえるからこういうことはあまり言いたくないのだけど、僕は真面目に勉強をせずとも人よりも勉強が出来るタイプなのだよね。

 予習とか、効率的な勉強をしているわけでもなし。生まれつき、というか両親のDNAのお陰か。ロクでもない両親なのかもしれないけど、そこは感謝しておかなければいけない。


 昼休み。

 委員会に向かう早紀の背中を見送っていたのを最後に、僕の記憶はプツリと、停電か、ブレイカーが落ちてしまった時のテレビのように突然途絶えてしまった。


 ……つまり、また記憶が飛んでしまったのだ。

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