第11話 トンデモ騒動

 ………………。


 どれだけ時間が経っただろう。


 パンフレットを4周ほどしたあたりで「文月さんの付き添いの方」と呼ばれ、案内された診察室の中に入る。

 中には既に早紀と、女性の先生が真剣な表情で座っており、その後ろには数名の看護師さんが待機していた。一体何を言われるのかとドキドキしながら突っ立っていると、看護師さんが僕に椅子を用意してくれた。


「ありがとうございます」


 お礼を言うと看護師さんは黙ってニッコリと微笑む。僕が椅子に腰掛け、それから一呼吸置いて先生が話し始めた。


「えー、まず文月早紀さんですが……」


 ゴクリ、という唾を飲み込む音がどこかからか聞こえてくる。

 僕は早く結果が聞きたくて、先生の口ばかりを注視していた。先生の口はゆっくりと母音の形を描いていく。


「妊娠していないですね」


 ――え?


 予想していなかった先生の言葉に僕は耳を疑った。そして聞き返した。


「妊娠していない?」

「ええ、文月さんは妊娠していませんでした。彼女の体も至って健康そのものです」


 先生はさっきと変わらぬ真剣な表情できっぱりと言い放つ。

 表情と言葉があまりにもマッチしていないものだから、先生の言葉を理解するのに時間が掛かってしまった。


「なあ早紀、これってどういうことなんだ?」

「おかしいですね……妊娠していると思ったのですが……」


 早紀は早紀でどうしてこうなったのか分からない、という顔をしている。僕も早紀と同じような顔をしていたと思う。


「先ほど内診もしてみたのですが、膜もありましたし、そもそも性行為自体されていないのでは?」


 膜……膜って、処女膜のことかしらん。とんでもない情報を聞かされてしまったような気がするけど、性行為自体されていないってどういうことなんだ? 僕と早紀は図書室でやってしまったんじゃないのか? 記憶がないので真実は早紀にしか分からない。


 どうなんだ? という意を込めて早紀の方に視線をやる。すると、


「セイコウイ? セイコウイってなんですか?」


 妙なイントネーションで性行為を連呼する早紀。なんだか嫌な予感がしてきた。


「ちょ、ちょっと待ってくれ。早紀はそんなことも知らないのか?」

「……はい、初めて聞きました」

「じゃあ、どうやったら子供が出来ると思っていたんだよ?」

「それは両想いの男女がハグをすれば出来るのではないですか?」


 早紀の言うこともあながち間違いではないが、それは子供に「赤ちゃんの作り方を教えて」と聞かれたときに親が言い訳がましく答えるような言い方だ。

 早紀は恥ずかしがってそんな言い方をしているのではないかとも思ったが、彼女の変なイントネーションを鑑みるに、それを本気で信じてしまっているような気もした。


「早紀、一度立ってみてくれないか?」

「え、あ、はい」


 僕の言われた通り早紀立ち上がり、その場でピンと気を付けをしたまま僕の方を見つめている。僕はおもむろに両手を広げると、そのまま早紀に抱き着いた。


 きゃあ、という可愛らしい早紀の悲鳴が診察室に響く。我ながら大胆な行為だなと思う。


「つ、紡くん。こんなところで何を……! ダメです。赤ちゃんが出来てしまいます!」


 その言葉を聞いて、僕はすぐに早紀から離れる。

 どうですか? と言わんばかりに先生の方を向くと、先生は呆れた顔で早紀のことを見ていた。



 結論から言うと、早紀は赤ちゃんの作り方というのを勘違いしていた。という、なんとも馬鹿馬鹿しいオチである。


 幼い頃に父親から教えてもらった「好きな人とハグをすれば赤ちゃんが出来る」というのをこの歳まで信じていたようで、特別に病院の先生から本当の赤ちゃんの作り方を教わることになった。――真っ赤な顔をしながら話を聞いていた早紀を見れたのは儲けものだったかもしれないが。


 通常であれば中学の保健体育のときに教わるものだが、彼女の中学時代は病弱で学校を休みがちだったので、まともに性教育を受けられなかったらしい。無知は罪なり、というけれど、そんな理由では彼女を責めることも出来ない。


 ちなみに、妊娠特有の症状が現れていたという早紀の話は、想像妊娠によるもので、本当に妊娠していたわけではなかった。



 って、いや、どうすんのよ。これ、どうすんの?


 すっかり早紀が妊娠しているものだと思って、クラスのみんなの前で叫んで宣言したというのに、これじゃあただの痛い人じゃん。馬鹿みたいじゃん。というか僕は馬鹿だ。僕の奇行、もう絶対学校中に広まっているだろうな。


 あと、早紀と一緒に子供用の服とか買いに行ったのも全くの無駄だった。生活費削って1ヶ月間もやし生活になるのを覚悟してお金を払ったというのに、ただ損をしただけで終わってしまった。まあそれはいい。よくないけど、もやし生活くらいなら耐えられる。


 問題は僕の学校での立場である。全てを敵に回してでも家族を守る気でいたのに、守る家族がそもそも存在しなかったどころか、敵を作るだけで終わってしまった。まさに八方塞がり、孤立無援。ぎゃあ。もう恥ずかしくてもう学校に行けねえよ。最初から孤立気味だったのに、更に孤立しちまうよ。孤立し過ぎて地球の重量からも見放されてしまいそうだよ。


 もう闇堕ち確定、絶対にグレてやる。髪型もリーゼント頭にしてやる。そして、夜の校舎窓ガラス壊しながら回ってやる。おれは健康優良不良少年だぜ。


 そんなことを考えながら病院を出る。僕の心は嵐の時の海のように荒れていた。


「紡くん……」


 病院から出てすぐ早紀は立ち止まり、申し訳なさそうな顔をしながら僕の方に向き直る。


 そして――。


「ごめんなさいっっ」


 角度90度の綺麗なお辞儀だった。

 頭をあまりにも下にさげるもんだから早紀の長い髪が地面に触れてしまっている。僕はそんな早紀を見て溜息を吐く。


「くるしゅうない。面を上げい」

「は、はい……」


 怯えるような表情で僕を見る早紀。その動作は小動物を彷彿させる。


「済んだことは仕方がない。僕たち学生に子育ては早すぎたんだ。お互いにまだまだ知らないことが多すぎるし、こんなんじゃ子供は育てられないよ」


 僕が諭すように言い聞かせると、早紀はしゅんと俯く。

 荒れていても海は海。僕は海のような寛大な心で謝罪を受け入れることにした。それから、僕たちは自分の住んでいる町に帰るべく駅に向かって歩き出すのだった。


「でも安心したな。早紀の身に危険が及ぶようなことが無くて」

「はい……」


 本当にそれがなによりだった。自分のせいで早紀の身に危険が及ぶようなことがあれば、生きた心地がしなかっただろう。それが無いと分かっただけでも、今日、ここに来て良かったと思う。


 別人格の僕がした行動に疑問は残るけど……。


 駅に入ろうとしたところで、早紀が呼び止める。


「……あの、私たちこれからどうなるんでしょうか?」

「どうって?」

「妊娠していないと分かってしまった今、私と紡くんを繋ぎ止めるものは無くなってしまいました。……今日、これで家に帰ってしまえば、私たちはまた赤の他人に戻ってしまうんでしょうか?」


 僕は、あー、と言いながら頭を掻く。

 そのことについて全然考えていなかった。


「今までは出来ちゃった恋人っていう曖昧な関係だったからなあ。あんな風に半強制的に恋人になるのはちょっと違うような気がするんだよ」

「そ、そうですよね……」


 なんて同調しながらも、残念そうに項垂れる早紀。


 とは言ったものの、今更赤の他人に戻る必要も無いと思う。なんだかんだで早紀と過ごす時間は楽しかったし、きっかけは勘違いだったけど、ここから始まるラブストーリーがあっても良いと思っている。……少なくとも僕は、だけど。



 そのことを伝えようと、言葉が喉元まできたが、早紀の方が早かった。


「……嫌です。このまま赤の他人になんて戻りたくないです! ここ数日、本当に短い間でしたが紡くんと一緒に過ごして、本当に楽しかったんです。私の勘違いで、紡くんに迷惑をかけて、こんなことを言うのは厚かましいのは分かっています。……それでも、私はまだ紡くんと一緒にいたい。これからも一緒にいたいと思っているんです。だから、今度は……本当の恋人になってくれませんか!?」


 突然の早紀の告白に、僕は豆鉄砲を食らった鳩のような表情をしていたと思う。大きな声で叫ぶもんだから、通行人なんかが驚いた顔で僕たちの方を見ている。


 早紀は再び頭を下げて、両手を僕の目の前に突き出して、僕の返事を待っている。僕が手を取ってくれるのを待っているんだ。


 僕が今、その手を取れば今度こそ僕たちは本当の恋人同士になるのだろう。今度は強制的にでも、成り行きにでもない、正真正銘の正式な恋人になるのだろう。


 答えは既に決まっていた。


 今度は自分の意思で、僕は早紀の手を取った。

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