第10話 病院の付き添いはデートに入りますか?
僕たちの住んでいる町は、田舎というにはゴチャゴチャしているし、都会というには何か物足りない、中途半端な町だった。
大きな病院やデパートも隣町まで行かなければ無く、これから向かう産婦人科も隣町にあった。不便と言えば不便だが、生まれたときからこんな感じなのですっかり慣れてしまっている。それどころか、最近では割といい町なんじゃないかとも思い始めてきた。住めば都とは言うけれど、いやあ、慣れって怖いね。
さて、現在の時刻は午前8時45分。待ち合わせにはちょうど良い時間である。待たせる男よりも待つ男になれ、それがデキる男の秘訣らしいのだが……。
なんと、駅の前には既に早紀の姿が。
彼女の趣味なのか知らないけど、普段よりも肌の露出が多いヒラヒラ服を着て、しきりに時計を気にしながら待っている。
この状況、完全に僕が待ち合わせに遅れてしまったパターンじゃねえの? うわあ、ヤバイ。
デキる男どころか、彼女を待たせるダメな男である。やっちまったなあ、と思いつつ早紀のもとへ急ぐ。
「ごめん、待たせた?」
「ううん、今来たところです」
早紀は少しも怒っている様子はなく、いつものニパーっとした笑顔を向けてくれる。
今来たところだよって、本当ならそのセリフを言うのは僕だったのに。なんだか負けた気分だ。
早紀と待ち合わせをするときは15分前行動ではいけない。これからは30分前行動を心がけねば。
そう心に決めていると、早紀は鞄から小さな紙切れを取り出して僕の方に差し出してきた。
「先に切符を買っておきましたので、どうぞ」
「お、気が利くなあ」
「えへへ……」
「早紀は将来気遣い上手のいいお嫁さんになれるよ」
「そ、そこまで言われると照れてしまいます」
体をくねらせながら照れる早紀を横目に、受け取った切符を見て「ん?」となる。
「切符を買った時刻が8時3分。一体いつから待っていたんだ?」
僕が指摘すると、早紀は気まずそうに視線を逸らした。それからも負けじと早紀を見つめ続けていると、やがて耐えきれなくなったのか白状した。
「じ、実は遅刻しないように7時半から……」
「ってことは90分近く待っていたのか」
これは予想出来なかった。
7時半て、今来たばかりの範疇を超えているよ。30分前行動どころか90分前行動だよ。
「それは流石に早すぎでしょう」
「初めてのデートだから……」
「デートじゃない。病院だ」
そうツッコミを入れるのだけど、早紀は少しも気にする様子もなく、にへらっとしている。
「どうせなら駅の中で待っていれば良かったのに。中なら座る場所もあっただろう?」
「外で待っていた方が紡くんをより早く見つけられるので、中では駄目です」
「確かにそうかもしれないけど、ずっと立っていて疲れただろう。あまり無理したら駄目だぞ」
「無理じゃないです。愛のパワーがあればなんとでもなります」
「愛のパワーすげーな」
やがて電車も予定通りの時刻に到着し、予定通り発車する。それから10分ほど電車に揺られ、隣町の駅に到着。産婦人科のある病院は駅から5分圏内。何度も来たことがある町なので病院はすぐに見つかった。
「病院って怖いイメージだったけど、なんだか明るい雰囲気ですね」
「言われてみるとそうだな。産婦人科だからか?」
病院内は清潔感のある薄桃色を基調とした内装で、ソファも薄いパステルカラーで統一されている。早紀が受付を済ませている間、僕は座る場所を2人分確保しておくことにした。
改めて院内を見回してみると、当たり前だけど女性が多い。っていうか、スタッフも含め、全員女性で男は僕しかいない。
早紀の付き添いとして来たはいいけど、なんだか女湯に間違えて入ってしまったような変な気分である。はたして自分という存在はここに居てもいいのだろうか? なんて、自分の存在に疑問を感じてしまう。
そういえば、男性の付き添いNGの産婦人科もあったんだよな……ホームページには何も書かれていなかったけど、どうなんだろう。
不安になったので、早紀が戻ってきてから受付の人に聞いてみることにした。
「あのう、彼女の付き添いとして来たんですけど、大丈夫でしょうか?」
「ええ、問題ありませんよ」
「僕、こう見えて男なんですけど」
「大丈夫です。彼女の付き添いなんて優しい彼氏さんですね」
受付の人がニコニコと笑顔で答えてくれたので多分大丈夫。僕が女に間違われていた、ということもない。
もし眉を八の字にして、すげー嫌そうな顔をして言われたら、恐らく僕は帰っていた。やっぱ笑顔って大事。
座っていた場所に戻り、壁に貼ってあるポスターなんかを見ながら時間を潰していると、突然早紀がお腹を抱えながら震えだした。
「どうした早紀。まさか陣痛……? いや、それは早すぎるか」
「い、いえ、緊張しちゃって……」
早紀は震えながらも頑張って笑顔を作ろうとする。
緊張しているのは僕も一緒でとても不安だ。だけど一番不安なのは当然早紀だろう。こんな時こそ僕が堂々としていなければ、早紀は余計不安になってしまう。
「大丈夫。今までに500億人もの女性が経験していたんだ。怖いことはないよ」
僕は精一杯の笑顔を作り、彼女の背中を撫でてやる。
励ましの言葉としては微妙だし、こんなんで緊張を解せたのか分からないけど、少しだけ早紀の表情が緩んだような気がしたので良かった、と思う。
ほどなくして早紀の名前が呼ばれる。
まずは妊娠の検査をするそうで、早紀だけが連れて行かれ、僕はそのまま待合室で待機、という形になる。
早紀も一人になって、さぞ心細いことだろう。出来るなら変わってあげたい気分だった。
こういう時の時間って異様に長く感じられるもので、暇つぶしに置いてあるパンフレットを読んでいてもまったく頭に入ってこない。右から入って左からそのまま抜けていくような感覚。僕の頭のメモリは別のことに使用されて、他のことを考えることは出来なかった。
妊娠1ヶ月程度でどれほどお腹の赤ちゃんのことが分かるのかは不明だが、何の問題もないことがなによりだ。今はただ祈ることしか出来ない。
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