第2話 出来ちゃった恋人、略してデキコイ
立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花。
そんな言葉がピッタリと当てはまるような早紀が僕の部屋に来ているという事実が未だに信じられないが……というよりも僕が連れ込んだのだけど、それ以上に信じられないのは先ほどの早紀の言葉である。
〝あなたの赤ちゃんを妊娠したみたいです〟
〝前もそう言って私を襲ったんでしたね〟
これらすべてが聞き間違いだと願いたい。つうか、そういうことにしてくれ、神様。
「……で、さっきのことなんだけどさ」
早紀をテーブルの前に座らせて、冷たい麦茶をコップに注ぎながら僕は恐る恐る尋ねてみる。情けないことに声だけでなく手も震えてしまっている。
「赤ちゃんが出来たという話ですか?」
「そうそれ」
僕は麦茶をテーブルの上に置きながら間髪入れずに答える。すると早紀は顔を赤らめながら下腹部をさすった。制服の上からはお腹が膨らんでいるように見えないが、本当に妊娠しているのだろうか。それともまだ初期段階なのか……?
「2人の愛の結晶だから大切に育てていこうね」
「ちょ、ちょっと待ったァ!」
僕はすかさずストップを入れる。
急に「育てていこうね」とか言われても困るんだよ。別に嫌とかじゃなくて、これは覚悟の問題。心の準備がまだ出来ていないんだ。
「それ本気で言っているのか? 冗談じゃないのか!?」
「やだな、冗談で言うわけがないじゃないですか」
「だよな……冗談なわけがないよな」
確かに冗談で言うような内容ではない。けど冗談であって欲しかった。早紀はそう言って天使のような笑みを見せてくれるけど簡単に納得できるはずもない。まずは落ち着こう。そうだ、麦茶を飲もう。
「……まず、僕の持病というか、信じられないかもしれないけど変な体質について話しておこうと思う」
「変な体質、ですか?」
きょとんとした顔で首をかしげる早紀。
「うん、僕は生まれつき記憶が飛んでしまうことがあってね。早紀と子供を作ったような記憶が無いんだよ」
僕はなるべく真剣な表情を作って喋ることにした。そうしなければ責任逃れをするための冗談と取られてしまうかもしれないからだ。
「そんな、あんなに激しかったのに……」
……何が? とはあえて聞かないでおく。
「大体、早紀とまともに話したのは今日が初めてだと思うんだけど」
そう、僕たちは会話をすること自体これが初めてなのだ。
だって僕と早紀は月とスリッポン。今まで接点が無かった僕がどうやって早紀を妊娠させたのか、皆目見当がつかない。まさか、記憶の飛んでいるうちに僕の知らない恋物語がいつの間にか進んでいたというわけではあるまいな。
早紀の態度を見るからに無理矢理妊娠させたということは無さそうだけど。……無いよね? てか、ありませんように!
そう祈りながら次の早紀の言葉を待つ。
「今から約1ヶ月前……紡くんがさっき教室でやったみたいに、突然私の手を引いて図書室に連れ込んだのも記憶にない?」
「1ヶ月前……てことは4月か。うーん、悪いけど全く記憶にないな。大体、僕はそんな大胆なことするキャラじゃないよね。さっきのは緊急事態だったからああして手を引いたわけだけど。……で、図書室でどうしたん?」
「はい、そうして抵抗も出来ずに連れ込まれた図書室で、私たち……」
意味深な間の後、早紀はポッと顔を赤くする。
そこで僕は察してしまった。
「え!? まさか、そこでやってしまったのか……!?」
黙ってコクリと頷く早紀。
僕は頭を抱える。
なんてこった、記憶のないうちに僕はとんでもないことを……。
よりによって図書室で。シチュエーションモノのエーブイじゃないんだぞ。そんな大事な記憶が無いとか二重の意味で僕は損している。
本当はその時の様子を詳細に聞き出したいのだけど、乙女に直接そんなこと聞くのは色々と問題があるような気がする……ああ、もちろんこれは決してやましい理由などではなく、刑事が事情聴取するような意味でだけど。
「紡くんがあまりにも必死だったから、私も、つい……。べ、別に誰でも良かったわけじゃないよ。紡くんだからです」
「そ、それは僕のことが好きだということなのか?」
「うん。好き……幼稚園のときからずっと!」
「よ、幼稚園のときから……?」
お互いに顔を真っ赤にしながら何を話しているんだろう……そういや幼稚園のときに早紀が居たような、居ないような。ってことは、早紀はそのときからずっと僕のことが好きだったのか!?
モジモジと恥ずかしそうに俯く早紀の様子から、とても嘘を言っているようには見えなかった。もしそれが演技だというならドラマにでも出演した方がいい。きっと名女優にだってなれる。あ、エーブイじゃない方のね。
つまり、早紀の言ったことは恐らく真実。認めたくはないけど真実なのだ。
「で、病院には行ったのか?」
「先に紡くんに報告しておこうと思っていたから、病院どころか誰にも話していないです」
「……誰にも話してないっていうけど、さっきみんなの居る前で暴露していたじゃないか。あまりの衝撃に時が止まっていたぞ」
「なかなか話す機会がなくって……ごめんなさい」
本当に申し訳なさそうな顔をするもんだから、こちらとしてもこれ以上強くは言えない。
「しかし、病院に行ってないなら本当に妊娠したのかまだ分からないと思うけどな」
「時期としてもピッタリだし、妊娠後の症状としても当てはまることが多いから、ほぼ確定だと思います」
「ま、マジで……?」
「マジです」
こういうことは女の子の方が詳しいもんな。デリケートな問題だし、男の僕が下手に口を出すべきではないのだろう。
早紀の態度から見て十中八九僕の子で間違いないみたいだけど、十のうち1か2くらいは他の男との子で、早紀が悪意を持って僕を騙しているという可能性だってあるかもしれない。なんせ記憶が無いのだ。こんな可愛い顔をして、裏では僕から金を巻き上げようと企んでいるのかもしれぬ。
真実を確かめる方法と言ったら、やはりDNA検査しかない。
けど、こういうのは夫婦間によくあるトラブルで、旦那が「DNA検査をしよう」と言ったら奥さんが「疑っているのね!?」と怒り出すパターンだ。もっとも僕たちは夫婦ではないわけだけど、早紀だって言われていい気分にならないだろう。
かといって、モヤモヤ状態のまま受け入れることも出来ない。人を信じるというのはこれほどまでに難しいことなのか。
「早紀は産むつもりなんだよな?」
「はい、名前も既に決めています」
元気よく答える早紀。おまけに随分と気が早いな。
産むと言っても、これは僕たちだけで決める問題ではないだろう。未成年で収入がない以上、早紀の両親ともしっかり話し合って決めなければいけない。ただ、彼女の話からすると妊娠は初期段階みたいだし、一日二日で変化があるようなことではない。両親に報告も大事かもしれないけど、まずは考える時間が欲しい。それからどうするか決めたい。
とりあえず、今分かっていることは、お金が必要になるのは間違いないということ。
「じゃあ、今の内にバイトでも探しておかないといけないな……」
僕が誰に言うでもなく呟くと、
「ううん、お金は必要ないですよ」
と答える早紀。意外な答えに拍子抜けしてしまう。
「え? いやだって、必要じゃん。金」
僕がしどろもどろに訊ねると、早紀がきっぱりと言い放つ。
「私は文月財閥の娘なのでお金の心配はいりません。紡くんは私と一緒に居ることだけを考えていてください」
第二の衝撃。
セカンドインパクト到来。
「文月財閥って……ええっ!?」
文月財閥。
それは日本の四大財閥の一つで……えーと、よく分からないけど、とにかくスゲー金持ちってことだけは知っている。
なんとなくお嬢様っぽいなあって思っていたけど、早紀が文月財閥の娘だとは思わなかった。それどころか、ガチモンのお嬢様じゃねえか!
ということは、僕を騙して云々の可能性は一気に低くなる。
だって、金が目的でないのなら、僕を騙す必要なんてこれっぽっちもないじゃんか。やっぱり早紀の言ったことは本当で、僕は知らないうちに早紀を襲ってしまったのか――!?
「あのさ、早紀……もう一度聞くけど、お腹の子が僕の子だっていうのは本当なのか?」
ロボットのようにカタコトで話す僕。大分混乱している。
「もう、さっきからそう言っているじゃないですか。……あ、でも記憶がないなら仕方がないか」
「じゃ、じゃあ……僕が妊娠させたと早紀のお父上様が知ったら、僕はぶちのめされてしまうんじゃないのか?」
「紡くんはお父様にぶちのめされたいのですか?」
「うん、出来れば回避したいですね」
「大丈夫。そうなったときは私が守ってみせるから」
そう言って早紀は制服の袖を捲り、細く色白な腕を見せてくる。
自慢気に見せつけているけど、箸より重いものを持ったことがないようなその腕でどうやって僕を守ってくれるというのか。それともなんだ、美白な腕を僕に自慢しているのか?
「それで……色々やらなければいけないことはあると思うけど、まず差し迫ったものとして明日学校がある。妊娠したとなれば、今まで通り赤の他人でいるわけにもいかないよね」
「では結婚しましょう!」
「待て待て、僕たちはまだ結婚出来る年齢になっていないぞ」
「じゃあ、どうするの?」
「うーん、そうだな。出来ちゃった結婚ならぬ、出来ちゃった恋人にでもなるか?」
「出来ちゃった恋人、ですか?」
「うん。妊娠したことをきっかけに恋人になるから出来ちゃった恋人。強制的になるようで申し訳ないけど、早紀の妊娠の噂も広まっているだろうし、世間体のためにも、こうなってしまった以上これしかないよ。何事も形からっていうし、これから僕たちは恋人のように振る舞うんだ」
「……分かりました。私たちはこれから出来ちゃった恋人ですね」
「そう、出来ちゃった恋人。略してデキコイ」
「デキコイ」
「デキコイ」
……ってな感じで、お互いに暗示をかけるように何度か呟いて、僕たちは出来ちゃった恋人になった。
こう事務的、機械的に恋人になるとは青春もへったくれもないね。まあ僕らしいと言えば僕らしいけど。
「あっ、いけない。そろそろ帰らないと」
壁に掛かっている時計を見て早紀が声を上げる。
「門限?」
「うん、お父さんが厳しくて……」
「き、厳しいのか……」
急に不安がドシリと背中にのしかかる。これは冗談ではなく、本当に僕は殺されてしまうかもしれない。
「ゆっくりとお話が出来て良かったです。麦茶、ごちそうさまでした」
そう言って早紀は立ち上がる。
窓から外の景色を見ると、既に暗くなり始めていたことに気が付いた。僕は急いで早紀の後を追う。
「一人じゃ危ないだろう? 家の近くまで送っていくよ」
僕がそう言うと、早紀は優しく微笑んだ。
「紡くんって優しいんだね」
「べ、別にそんなことはない。……あと、さっきの件だけど、僕はしっかりと責任を取るつもりだから、財閥の金には絶対に頼らないぞ」
早紀の言葉に照れ臭くなりながら、少しだけ距離を空けて、彼女の家まで歩いて行った。
そんな彼女の家を見て驚いたのはまた別のお話。
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