熱海大事件
フロントで手続きをする僕、浴衣を選ぶのに真剣な幸子
宿帳に幸子の名前を書く必要はなかったが、もし記入欄があれば僕は幸子を“妻”と称したと思う
僕達が思う以上に二人は夫婦には見えていないだろう
幸子は僕用に紺、自分ようには朱色の浴衣を選び満足気だ
部屋には少し大き目のシングルベッドが並んでいた
僕はすぐにでも幸子を抱きたかったが、落ち着いている素振りで
僕 とりあえず温泉に行こう
幸 そうしましょw
大浴場に行く前に部屋で浴衣を着替えようか迷った
僕はこんな時の作法を全く知らない
幸子が着替えずに浴衣を抱えて移動しようとしていたので、僕も合わせて浴衣を持って行った
ホテル内には風呂場への順路看板が点在している
大浴場→
でも僕には
大欲情↑
と、見えていたような気がした事は幸子に言わなかった
僕 多分、先に上がるから鍵は預かるね
幸 うん、部屋で待っててね
“部屋で待っててね”
ごく普通の会話にも、いちいち興奮する僕
頭がおかしいのだと、自分で思う
先に部屋に戻りベッドの上で横になりテレビを見ていたが、どんな番組だったか一切覚えていない
落ち着いて待つ間もなく、部屋のチャイムが鳴り浴衣姿の幸子が戻って来た
僕 すっぴん?
幸 お風呂上りに化粧はしません
僕 ホントに?
幸 してません!
コンタクトを外した、初めて見るメガネの幸子
少し火照って赤みを帯びた幸子の浴衣姿
すっぴんでも変わらない美しさ
幸 さっきのお酒飲もうよ
僕 うん
幸子は僕をソファーに促す
二人とも緊張していたのか、いつもより会話が弾まない
普段見ないテレビ番組を見ながら、テレビの内容に沿った他愛もない話しをする
酒も大して進まない
日付の変わる少し前、番組の終わりを合図にするように、僕は灯りを消した
布団に逃げるように潜る幸子を僕は追い、引き寄せて包むように抱きしめた
僕 とうとう来ちゃったねw
幸 うん、どうしましょうね
僕 どうしようか
幸 どうしたいの?
暗闇の中、幸子シルエットを引き寄せ唇を重ねる
・・・
・・・
・・・
ん?
何故か唇が重ならない
今度は幸子のアゴを引き上げ、唇を重ねようとするが、それも上手くいかない
僕 どうした?
幸 ダーメw
僕 え?
幸 ダメなの・・・
?
意味が分からない・・・
幸子は僕に背を向けたので、後ろから包み込むように抱きしめた
そこに拒絶は感じられないのだ
サッパリわからない
一緒に旅行はするけど、一線は超えられないのか?
何か理由でもあるのか?
以前、観覧車に乗った時もキスは拒絶された
でも、あの時と今では二人の関係は全く違う
幸 ごめんね・・・
僕 いいよ
僕 幸子が嫌がる事はしない、心配しないで
幸 ありがとう、うれしい
幸子は反転し、僕の胸に顔をうずめ抱き着いてくる
僕はそれ以上は何もせず、ただ抱きしめるだけだった
勿論、二人とも浴衣を脱いではいない
小一時間くらい経っただろうか
僕は、もう1つのベッドに戻った
アラームより少し早く目が覚めた僕は、隣のベッドで眠る幸子をただ見つめながら考えていた
僕は幸子と泊まった
泊まったけど、超えなかった
これは不倫なのだろうか?
そもそも、何処からが不倫なのだろうか?
妻に嘘をついて旅行に行ってる時点か?
それとも幸子に好きだと告白した時点か?
或いは、未だ超えていないからセーフなのか・・・
不毛な問答をしているとアラームが鳴り、目覚めた幸子が僕に気づいた
幸 おはよう
僕 おはよう
幸 もしかして、ずっと見てた?
僕 見てたよ
幸 恥ずかしいw
僕 大丈夫、綺麗だから
泊まって超えた二人の様だった
後に、この時の真相も幸子に聞いてみた
僕 熱海の夜は何故拒絶したの?
幸 拒絶なんてしてない、する訳がないよ
僕 したじゃん
幸 してない、義明が勝手に拗ねて自分のベッドに行っただけだよ
僕 キスもさせなかったくせに?
幸 キスは好きじゃないからね
僕 キスより先は好きなの?
幸 嫌いではないよw
僕 好きなの?
幸 好きかもw
なんじゃそりゃ?
僕 だったらそう言ってくれれば良いのに
幸 いやいや・・・多少は焦らさないと
僕 あの時しかチャンスは無かったかもしれないのに?
幸 そんな事はないよ
僕 幸子・・・それはあまりに難しい判断を強いてないか?
幸 そうかなー
僕 そうだよ!
幸 でも、義明がやさしいのは良く分かったよw
僕は、僕の性分に従い無理強いはしなかった
この性分を呪った事もあるけど、思えばこれも恋愛の過程のワンピースなのだろう
僕にとって恋愛は実に久しぶり
軽く10年以上はブランクがある
おまけに自由にできない枷もあり、極めて難解な恋愛だ
勢いだけで進めるわけではなかった
泊まったけど
超えなかった
決して互いの立場や自分の保身が理由ではない
幸子の気まぐれな焦らし
僕の妙な性分
進まない理由は互いの枷ではない
僕は既に、地獄の窯の蓋を開けていた
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