第3話『クーデターへ』
アストミルガでのクーデターの概要はこうだ。西方からの遠征からの凱旋で、リンドバウム王に謁見に向かう王子一向の道中を襲撃、強襲し、家臣共々刹那に抹殺するということ。襲撃場所はアストミルガが水の豊富な国から、国中を何本と張り巡らされている、橋の一つをポイントとする。一度城に入られたら、暗殺の手立ては一気に難しくなる。王子が城に入る前、王と謁見する前にことを済ませたい。カインは主格となる王子を、スレヴと領主アルトシアサの親衛隊は、周りの臣下達を相手することになった。王子の暗殺が済めば、同時に王の私兵によって、その場は蹂躙される手筈になっている。王子の帰還は、1週間後。アストミルガにいる仲間のレムへの連絡に、手懐けている伝書鷹のスナッチを使って、往復で一日。ここからの移動に二日、現地での準備に二日かかるので少しの間、暇が出来た。カインは野盗退治で溜まった疲れを、公衆浴場で流すことにした。
「カインさん、奇遇ですね」
「むっなんだ、お前か」
カインは浴場に着くなり、入口でサテラと出くわした。風呂桶を持っている。どうやらサテラも、疲れを流すつもりらしい。サテラは北方から旅をしながら、学識を深める、学者ということになっている。領主と話した結果、邸宅の仕事や、小間使いをする代わりに、カールの食客として扱ってもらっているそうだ。サテラが、光の加護を得ている天人だということは、カインとスレヴとの間の、秘密になっている。カインは二日後、アストミルガに向かうので、サテラとはここで別れることになる。ここまで縁があったが、もう二度と会うこともないだろう。
「カインさん、お世話になりました。なんとか一人でもやっていけそうです」
「俺はなにもやってない、感謝するならあの色男にでもするんだな。女好きだが面倒見は良い」
「色男……カインさんお風呂では仮面は取るんですよね?」
「それはそうだ、取らなかったら顔も髪も洗えないだろ?」
「せっかくのチャンスなのにな~。素顔が見れないのが残念です。それだけが気がかりでしたから」
「ここは混浴だぞ」
「え?」
「混浴だ」
「……。」
カインは、脱衣場で着ていた服を脱ぐと、腰にタオルを巻いた。脱衣場の傍に、すぐ洗い場があった。混浴とはいえ、脱衣場と洗い場は男女別で、湯船だけが一緒ということらしい。カインにとっては、なんてことの無いことだったが、サテラは違った。生娘のように顔を真っ赤にして体を洗っていた。
(ど、ど、ど、どうしよう。裸なんて異性に見せたこともないだろうし、こんなタオル一枚で体を隠すなんて無理だ。それに殿方の裸を見るのだってきっと初めてだ)
サテラは想像するだけで、頭から湯気が出そうだった。体を洗い終えると、肢体が見えないように、タオルを体に巻いた。おずおずと壁伝いに湯船の方に向かう。浴場は狭かった。人影は一つだけ。湯に漬かって脱力するような声を聞くに、どうやらカインのようだ。
「カインさん……ゆ、湯加減はどうですか?」
「問題ない、なんだ? 浸からないのか? 結構気持ちが良いぞ」
「私は……い、今、行きます。後ろを向くか目を瞑ってもらえませんか?」
「恥ずかしがっているならこうゆう場所は来るな」
「いいから目を閉じていてください!」
「……わかった」
サテラは、足元からそろりと湯船に入ると、背中越しで近づいた。
「もう目を開けて大丈夫です、でもこっちは見ないでくださいね」
「面倒臭い奴だな。俺ごときに裸を見られるのがそんなに恥ずかしいか?」
「男の人と裸で接するなんて、きっと生まれて初めてだと思います。こんなにドキドキしているんですから」
サテラは背中を向けながら会話を続けた。
「記憶、まだ戻らないのか?」
「そうですね……あ、でも一つ唄を思い出しました。唄って言っても、歌詞をほんの少しですけど」
「天界の唄か、どんなだ?」
「空落ちる時、天使舞い降りる。天使光翼を広げ、地に蔓延る魔を打ち払わん。浄化された世界で新しい命芽吹く。これの名をノリュータス……唄というより詩に近いのかもしれません。聖歌のようにでも捉えられますね」
「不吉な唄だ。さしずめ地に蔓延る魔というのは、今大地で暮らす地上人のことかも知れんな」
「そんな! 天界、ペプルスチカナと地上にはそんなに深い隔たりがあるんですか?」
「そうだな……一概には言えんが、天人は、いつまでも戦争を続ける地上人を見限って、天に逃げたという説もあるし、逆に発達した文明を恐れられて、天に追いやられたという説もあるからな。地上人を憎んでいても不思議ではない」
「悲しい歴史ですね、私は……記憶が戻ったら地上人とは敵対するんでしょうか」
「さぁな、まぁ敵になろうがなるまいが、俺には関係ないことだ。お前とはこの街で別れるんだから。二日後アストミルガに出る」
「え? 本当ですか? 二日後なら私も一緒です」
「なにっどうゆうことだ!」
「わわっこっち向かないでくださいっ! ってあれ?仮面着けてる」
「当たり前だ、顔と髪はもう洗ったからな。そんなことより……」
「だからこっち向かないでください! カインさんのエッチ!」
サテラは、カインの頬を勢いよく平手打ちすると、慌てて脱衣場に向かってしまった。
アストミルガまでの馬車内の雰囲気は、何とも言えないものだった。公衆浴場が混浴だったとはいえ、至近距離で、裸を見られたサテラは、羞恥の塊のようになってしまい、カインとは一切、口を利かなかった。それでいてカインの様子は、いつもと変わり無いから、それがさらにサテラの胸中を荒立てた。カールは、そんなサテラとカインの間にあったことを、執拗に聞いてくる。スレヴは、それを呑気に眺め、カモシナはただ静黙していた。
「それで、嬢ちゃん。アストミルガには何の用なんだい?」
スレヴは、立派に蓄えた髭を弄りながら、それとなくサテラに質問する。
「……メイドさん達に頼まれて塩の買い付けをします。大量に仕入れるので、アストミルガには一日滞在します。皆さんは……大事なお仕事か何かですよね」
カールは、カインの肩にまわしていた腕を解くと、冗談めかしくサテラに言った。
「宿舎は別でも月夜を共にすることは出来る。君が望めば俺は一っ跳びで駆けつけるよ、レディ」
「あははは、ありがとうございます。カールさんにはとても良くして貰いました。このご恩はいつか返したいと思います」
サテラは、あまり男に免疫はないようだが、自分の懐に入ってきてもいい者なのか、そうでないのかは感覚でわかるみたいだった。ただ礼儀と礼節は、きちんと重んじている。案外育ちはいいのかも知れない、そうゆう気骨がサテラにはあった。それに人を不快にさせず、温かい気持ちにする空気を持っている。自身の心が豊かじゃなければ出来ないことだ。さっきからプリプリと怒っているが、カインはサテラと一緒にいて、それを感心し、評価を改めた。
「いつかとは言わず、今でも俺は一向に構いませんよ。サテラ嬢は、いつまで我が領地に滞在を? これもいつまででも構わないことだが」
カールが歌うように言う。
「旅の準備と恩義が返せれば、出来ればすぐにでも出発したいです。急ぐ旅ではないですが、一つ所に長く留まろうとは思っていません」
「可愛い子には旅をさせろという諺もある」
ぼそりとカモシナが呟く。
「カモシナがおなごを口説くとは、サテラ嬢の美しさの成せる業か」
キザったらしくカールが髪を掻き上げていった。
「だったら色気が足りないだろ、出るところも出ていないし。領主も任務と小間使いを、一緒くたにするなんていい加減だな」
毒づくカイン。サテラは収まりかけた激情をますます高めた。
「四六時中仮面を着けている人に言われても、何とも思いません。よっぽどお顔に自信がないんでしょうね」
サテラも裸を見られて、出るところが出ていないなどと、失礼なことを言うカインに、毒で返す。
「そうだな、お前の素顔は一度拝見しておきたいものだ。気兼ねなく見せてくれても構わないのだぞ?」
カールはカインの素顔にも興味津々のようだ。
「気兼ねしている訳じゃない、レムが仮面を外すときは死した後くらいだ」
「寝るときもしてるんですか? 鏡を見ても自分の顔がわからなくなりそうですね」
「仕事をするようになってからは、欠かさず着けている。恨み辛みを抱える業だ。俺を殺したい奴は、国中に腐るほどいるからな」
「そんな過酷な人生辛くはないんですか? もっと人に好かれるような、生き方だってあるでしょうに」
「俺はこの生き方に誇りを持っている。それに他人の人生観なぞ、他人がとやかく言うことじゃない」
「それにしては、私のこと毛嫌いしているようですけど」
「嫌いなんじゃない、認めないだけだ」
「一緒のことです」
サテラは不満げに頬を膨らませ、カインは退屈そうに足を組んだ。
「まぁまぁそれくらいにしとけ。旅は楽しいものだ、景気付けに歌でも歌おうじゃないか。カイン、レムは確か郷土の特有の楽器を持っているんじゃなかったか?」
カールが身振り手振りを加えて聞いた。
「ハーモニカのことか?」
「そうそうハーモニカだ。一曲頼むよ、儀式の時にしか吹かないなんて、野暮なことは言うなよ」
「いいだろう」
カインは、懐にしまっていたハーモニカを取り出すと、軽く試し弾きした。重なる金属質な口笛のような高音が響いた。
「どこか懐かしさを感じます」
「郷愁を誘う音じゃ」
そのままカインは、ふと目を伏せると、一曲演奏してみせた。故郷の晴れた冬の空を、唄った童歌。吐く息は白く、冷たくて乾いていて、でも澄んでいる空気。秋に収穫した作物や、果実を天日に干して、余分な水分を抜く。生気の薄い世界で、生き物は土にこもり、温かな春を待つ。子供たちは頬を真っ赤にして、寒空の下、戯れる。そんな情景が浮かんでくる。
「素敵な曲ですね、心が洗われていくようです」
先ほどの機嫌の悪さも忘れるほどに、その音色は美しかった。カールも感傷に浸るように頷いて言った。
「殺すことしか知らんと思っていたが、意外に情緒もわかるんだな……だが」
「なんだ?」
「歌を着けるなら、もっと流行りの曲調があるだろう。ヴェルデーとかルフランとか」
「だったらホルトーやノヴリスのが好みだな」
「嗜好が渋いな。ならそれを頼む、歌は俺がメインだ」
カインはリズミカルに演奏すると、カールは高らかに歌い上げた。
関所につくと、サテラは持っていた通行証を使って、馬車を入国させた。カールとカモシナは、積み荷を守る用心棒を装った。塩を入れる樽の中身を、検閲されないように、カールは守衛に、銀貨を握らせた。アストミルガに送る、調度品と一緒の樽に、カインとスレヴは、万が一にでも素性が知れないように、身を潜めていたからだ。カールとカモシナは、面が割れているので仕方ないが、レム一族であるカインは、知れればその筋の者に、緊張を走らせてしまう。街は荒れた内政とは裏腹に、賑わっていた。ハイミル王子による、侵略に次ぐ侵略で、領土を拡大した成果だろう。市には、所々に国旗がかかり、王子の凱旋を待ちわびている様子だ。門を抜け樽から出だしたカインとスレヴは、身を隠しつつも、馬車の荷車に腰を落ち着けた。
「ふぃ~狭いところに押し込められて肩も腰もバキバキじゃ」
「お疲れ様です。もうじき私が泊まる宿に着きます。スレヴさん、カインさん。今度こそお別れですね」
「嬢ちゃんには世話になったからの、別れが寂しいわい。息災でいろよ」
「ご苦労だったな。お前の旅は続くが。達者でな」
天人のルーツを辿る旅、生半可なものではないだろう。待ち受ける障害は数えきれないほどある。それを一人で切り抜けて、もしペプルスチカナに行く方法があったとして……。
『偶然ほど怖いものはない、あるいは運命かもな』
聞き覚えのある声がした気がして、カインはハッと我にかえると、頭の中に浮かんだものを振り払った。そして、それ以上考えるのをやめた。もう縁のないことだ、助けてやる義理もない。人には深入りしない。今まで心がけてきた生き方。それはあるいは、呪いに近いのかもしれない。カインは剣を抜き、反射する自分の顔を見つめた。
「……怖い顔」
それは、カールの呟きも聞こえぬほどに、窮迫しているように見えた。
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