第6問 論理的競争

第30話

 ついに迎えた金曜日のゼミ当日。

 いつもより一講義分ほど早く研究室についた悠真は、最後まで調整を繰り返していた。

 隣の乙女は徹夜に付き合ったせいか、眠たそうな目をこすっている。

「やっぱりキーボード操作は難しいかな……」

「……のう、悠真」

「なに、乙女ちゃん?」

「わたしは……わたしがお前に料理を教えるときのように……おまえにモノづくりを教えてほしかった」

「……」

「ここ数日で夢が叶ったゆえ、伝えておくぞ」

「…………あ……ちょ、待って。……なんか泣きそうだから待って……」

「なぜに」

「なんでだろ、涙が止まらない」

 乙女の言葉に、これまでの自分が報われたような気がした。

「……お前の記憶や感情を読んだから言うが……お前と同じくらいの真剣さでモノづくりに向き合う相手ならば、ミスの指摘や改良を提案しても良かったのではないかな」

「……そうなのかな」

「おそらくは。確かにむっとしてしまうこともあるだろうが、わたしはそれくらいでお前を見限ったりなどせぬ」

「…………」

「泣くな、悠真」

 ティッシュで鼻をかむ。

 涙に滲む声を、精いっぱいの勇気を出して絞り出す。

「乙女ちゃんが望むなら、次は現実でも……」

「ほんとうか?」

「……今度こそ、本当の意味で一緒に作りたいんだ」

「うむ……では……便利な家電でもよいのか?」

「できる範囲でなら、もちろん。創作意欲がわいてくるよ」

「待っている」

「…………ずびっ」

 乙女は笑いながら悠真の顔にティッシュを押し付ける。

「……して、調整はどうか?」

「うん。操作は難しいままだけど」

「ならば練習しよう」

 愛用のゲーミングコントローラを銀太郎に接続する。

「……大丈夫?」

「言っておくがわたしはお前より操縦が上手いぞ」

「うぐう……」

 モノづくりが得意であっても、悠真はモノを使うのが得意なわけではなかった。その点では乙女の方が圧倒的に上だ。

「……あと少しでお披露目か」

 和井田には、戦車を改良することを事前にチャットで知らせてあった。

 彼女からの返事は「コースを準備しておこう」のみ。おそらく、彼女がKY号で走ってみせたあのコースを走らされる。

「参加者一組の品評会って緊張するなあ……」

「まあ良かろ。勝敗が着くわけでもない。二人で作ったものがこうして動いているだけでも、わたしは満足している」

 画面内の戦車はでこぼこ道を乗り越えていく。

「乙女ちゃん……」

「わがままはもうやめだ。夫婦になるのなら、お互いを思いやらねば」

「言って」

「……」

「わがままも言えない夫婦関係は嫌だよ」

「……んふん……」

「末永くよろしくお願いします」

「ふ、不束者だが……こちらこそ、よろしくお願いひまひゅ!」

 乙女が噛んだところで、ドアの開く音がした。

「……なんでプロポーズしてんの?」

「ほぐぁ」

 猫耳パーカーの羽菜と、その背後に和井田。

「やあ、お二方。こっそり準備しようと思ってたのに先を越されるとは思わなかった」

「準備……あ、接続ですか? お手伝いしますね」

「岸里くん、くまが出来ているが寝不足かね? 何の準備かってなれば、貴君らの戦車と私の戦車が一騎打ちをするコースの表示方法に決まっているだろう?」

「あー……コースですか。確かに、一人の画面から映すとカメラの追っかけ――って今なんかすごいこと言いませんでしたか。一騎打ちとか」

「読んでそのままだ。あんな勝負を挑まれて受けない私ではないよ」

 そこはかとなくウキウキしている和井田を前に、悠真は乙女と顔を見合わせた。

 羽菜が申し訳なさそうにため息をつく。

「……なんかごめん……飽き性が出ないように『二人、なんだか頑張ってるみたいですよ』って言ったら、変な方向に爆発しちゃった」

「えっ」

 なぜか和井田はうんうん頷いている。

「謝ることはないよ。私は貴君に言われて考え直した。教え子を焚きつけておいて、作品を偉そうに評論するだけなんて非人道的な行いだとね!」

「非道なのは知ってるっつの……」

 羽菜のパソコンがモニターにつながれる。

 そこに映し出されたのはウサギ侍アバターと、瓦礫で作られたサーキット。

「公平を期して、コースは赤嶺くんのフィールドで赤嶺くんに作ってもらったよ」

「え……先生。これから、レースですか……?」

 徹夜明けでよぼよぼの悠真に、和井田は容赦なく告げる。

「もちろん。乙女くんが私を驚かせるつもりならば、私も歓迎しなくては」

「……最初は鼻を明かしてやろうと思ったが、悠真に諭されてお前の凄まじさに納得した。ゆえ、今はきちんと戦車が作れるようになったと伝えるつもりで――」

「え、悔しくなかったんだ?」

 乙女の髪の毛がぶわりと膨らむ。

「……なんと?」

「いや、私だったら誰に諭されようと悔しくてたまらないからさ。……諦める程度か」

「…………」

 疲労も眠気も一気に吹き飛んだ悠真は、乙女を横目で見やる。

 彼女は出会ったあの日のように、黒い瞳に底知れぬ不気味さと美しさをたたえて微笑んでいた。

 怒りの形相をされるよりもいっそ恐ろしい。

「レースしないんだって。赤嶺くん、徹夜させて悪かったね」

「見切り発車で徹夜させんじゃねえよ」

 羽菜はぶちぶち言いながら自分のパソコンに触れる。

 しかし、ケーブルを抜こうとした手は黒髪に制止された。

「……? どした、乙女ちゃん」

「良い。れーす、するぞ。してやろう」

「…………」

 乙女の迫力を感じ取ってか、羽菜は軽口を言うことなくケーブルから手を離す。

 和井田一人がはしゃいでいる。

「お、やる気出た? いいねいいね。私も戦車を作ってきたかいがあるというもの!」

「昨日の戦車で良かろうに」

「だって大破したし、モーター8つ全部ロストしちゃったしで。レースするなら新しく作るしかないよ」

 8つものモーターを無駄にしたことをあっけらかんと言ってのける。

 悪気がないとはいえ、彼女はモーター一つ失って右往左往した悠真と乙女の闘志に火をつけることに成功していた。

「「…………」」

「おお? 嬉しいな、やる気に満ちて。どうしたのかね?」

「……大丈夫です」

「うむ。正々堂々と戦おう」

「こちらこそだ」

 握手をした直後、和井田が付け足しで話し出す。

「ああ、そうだ。4時間かけた大作が砕け散ったのはさすがの私もショッキングだったので、前回の反省を活かしてゴール地点は平地にしてある。コースの形はそのままだから安心だよ」

「こやつ、こやつ……! 本当にわざとではないのか⁉」

 乙女の髪がついに逆立ち始めた。

「わざとだったらとっくに私が刺し殺してるって」

 助手を務めることの多い羽菜がもっともなことを言っていたが、和井田が聞くはずもない。

 悠真の元にやってきて、戦車をじっと観察する。

「……私のよりも一回り小さいが、コース幅にゆとりを持たせたのは正解だったかな」

「でしたら、わざと体当たりするようなことはナシでお願いします」

「かけっこで相手の妨害はしないよ」

「良かった……」

 レースの詳細を詰めていると、幹也と紀衣香が入室する。

「うわ……遅刻しちった?」

「集合時間が実は早いとか、そういうことはないですよね?」

「ないよ」

 和井田の応答にほっと息をつく。

 二人は羽菜が調整する画面を見て、続いて悠真を見る。

 乙女のアバターにモーターを提供したことから、現状を予測しているのだろう。

「……また走るんすね」

「乙女くんと岸里くんで作った戦車と、私のとでレースだ」

「わー、いいですね。……幹也、実況して?」

「うん」

 本日も駄菓子を取り出しマイク代わりにする。

「羽菜ちゃん先輩、準備大丈夫です?」

 カメラ役となる羽菜のアバターは、高い鉄塔の上に立ち、コース全体を見下ろせる視点を確保していた。

「おっけい」

「あ、砂島くん。ゴールは赤い旗を目印にしてくれたまえ」

「ういっす。で、先生の戦車名は?」

「新生KY号」

「じゃあKY号って呼びますね」

 聞いておいて前半をばっさり切るのは実に幹也らしいと悠真は思った。

 凹む和井田を捨て置き、乙女に問う。

「乙女さんの方はどう?」

「名前などなくともよいが……ここは、設計者の名をとって――」

「乙女ちゃん号でお願いします!」

「悠真⁉」

「ほいほい、乙女ちゃん号ね」

 勝手に名を冠された乙女は、怒りのあまり黒髪を悠真の手首に通す。

「っ……」

 久しぶりの感覚に、悠真の胸が高鳴る。

 血を吸う彼女はしばらくもじもじしていたが、やがてぽっと頬を染めた。

「ん……い、家でも好きと……口で言ってほしい」

「うん」

 吸血では磯女である彼女を変わらず好きでいると表明しただけだ。

 勝負が終わって、帰ったらまた伝えるつもりでいる。

「岸里、羽菜ちゃん先輩に訪問申請出して。接続確認する」

「あ、はい」

 フレンド欄から《アカハナさん》に申請を飛ばす。

 承認の直後、乙女アバターは戦車用の材料と共に羽菜のフィールドへと降り立った。

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