第27話
研究室から出てすぐに辿り着いたのはコンピュータルーム。生徒が自習に使う部屋で、名前の通りに複数台のデスクトップやノートが用意されている。
人影のない室内を進み、死角となる奥の空間で乙女と向き合う。
「……放せ」
「うん」
言われるままに力を緩めると、彼女は手を開いた。
爪が食い込んだ傷跡から血が出るが、構わない。
「先に言うね」
「何をだ」
「いつもキミから言ってもらってばかりだから」
「…………」
彼女は泣き出しそうな顔を自らの黒髪で覆う。
「……うむ……」
「ありがとう」
平静を装っても心臓は跳ねまわり、思考はオーバーヒートしている。
深呼吸をして言葉を紡ぐ。
「僕は気が利かない。空気も読めない。あとちょっと常識と倫理が危うい」
「……知っておるわ」
「ごめん。……だから僕は……言われないと何もわからない。キミが何を思っているのかも、逐一言われなきゃわからない」
「……」
空気を読もうとするほど泥沼に落ちていく悠真にとってはやろうとしてもできない。
当然ながら、彼に友人はいない。
「乙女ちゃんが口に出したくないのなら、筆談でもいい。……メールでもチャットでも」
「…………。ああ、ほんに、解らぬか」
「ごめん。……質問形式でも大丈夫です」
「わかっておるわ。そういう男だとわかって告白したのだ」
涙声で問う。
「なぜ口出しをためらった。……お前はわたしより、ずっとずーっと、モノづくりに詳しかろうに。あの戦車が走れぬこともわかっていたのではないか?」
「壊れることまでわかってたわけじゃない。けど……上手くいかないだろうと予測した」
「うむ」
「もしも失敗したらアドバイスして、二人で作ればいいと思った。……言い出せないまま、あのモーターが外見以上の馬力で走らせちゃうとは思わなくて……」
「……失敗したら、一緒に作るつもりだったのか」
頷く。
「わたしが最初からそうしていたかったとは、予測しなかったのか?」
首を横に振る。
彼女の悲しみをようやく理解して、悠真は椅子の上で膝につかんばかりに頭を下げる。
「ごめんなさい」
「……説明までもためらった。……そんなにも、嫌かと。無知なわたしに説明するのが面倒にでもなったのか」
「そんなこと、一度も思ったことなんかない‼」
大声を出してしまい、はっとする。
「……。ごめん」
「良い。誰もおらんゆえ、このまま話せ」
「……僕は誰かと一緒にモノづくりをした経験がない」
「そうであろうな」
「乙女ちゃんが楽しそうにしているのに口を挟みたくなかっ……いや、上手く指摘する自信もなかったし、一緒に作るのが楽しかったからそれで満足してて……」
自分と歩調を合わせてくれる彼女の存在に浮かれていた。
「生まれて初めて、この人に嫌われたくないって思ったんだ」
悠真は、今までどんな相手であろうと、気になったことがあれば指摘し、空気を悪くしてきた。小中高の全てでそれがあてはまってきた自分が躊躇ったのだ。
今回の胸の痛みは明らかな異常動作であり、簡単には解決できないエラーだった。
「……僕は空気を読めない人でなしだけど。空気を感じることだけ得意だ」
他人の視線から意図を感じるのはむしろ鋭敏だった。
「乙女ちゃんに一瞬でもそういう目をされたくないって、思った」
「……」
ついには泣き出した彼女は、手に持っていたポンチョで顔を拭う。
「そんな目をすると思っていたのか。つくづく度し難い男よな」
「ごめんなさい」
「……まあ良い。数々の助言を受けたというに、取り乱したわたしが愚かであった」
「?」
顔を隠していた黒髪を払う。
凛然としたかんばせがあらわとなり、こんな状況だというのに見惚れてしまう。
「悠真はわたしのことを知ろうと努力してくれた。快適な生活のためにどれほど気を配ってくれたか。これは決して忘れ得ぬ」
「…………」
「……お前に何ができるかと考えるのに、わたしは上手くいかない。問えば『居るだけでいい』と言う。作るのが好きだというのに誘いを避けられる」
悠真は自分のふるまいを振り返って胸が押し潰されるようだった。
「本心からわたしのことが好きなのかと……毎夜の吸血がなくなるだけでお前の心はぼやけ、気持ちが鈍る。拒んだのはわたしだというのに」
「違う……それは違うよ。だって僕は、乙女ちゃんにばかりくみ取ってもらって……」
吸血を乞うたのは乙女だったが、以降は悠真が彼女に願う形で続いていた。口下手を言い訳に、彼女が磯女であることに甘えていたのだ。
「ごめん」
もう一度深く下げた悠真の頭を、彼女の黒髪が叩く。
「わたしのどういうところが好きか、言え」
「優しいところ可愛いところ美味しい料理を作ってくれるところ一緒に笑ってくれるところ好奇心旺盛で勉強熱心なところ――」
「そ、それ以上は要らぬ!」
全力で述べようとしたところ、顔を上げさせられて見えたのは耳まで真っ赤な乙女だった。
「……」
今度は胸が鷲掴みにされて苦しい。
「……とにかく。お前はわたしを好きでいてくれるのだな」
「心から愛しています」
「……わたしはお前が好きな料理すらも知らない女だから……」
「本当に、キミがそばに居てくれるだけですごく嬉しいんだ。どの料理もおいしいから順位なんてつけられないし! 笑う顔が最高に可愛いから文句なんてない‼」
「んふん……」
久しぶりのこの声を堪能する心の余裕などなく、悠真は思いなおす。
こんな返答ばかりだからすれ違うのだと。
「いや……」
「?」
「実は、出会った初日に食べさせてくれたカツオのたたきが好きです」
どれも甲乙つけがたい乙女の料理だが、貧血を補うためにと作ってくれたそれは、思い出の味として格別だった。
「覚えておく」
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