第24話

 ここ最近の乙女は、吸血を拒むようになった。いつもなら二人で触れ合い、髪を悠真の腕へと通す場面であっても、ぐっとこらえて我慢するようになった。初めは衝撃を受けて泣きそうになった悠真に、彼女は言った。

 羽菜に言われたことが気になっているのだと。

 つまり――吸血に頼っているせいで、言葉のコミュニケーションが減っているのではないかと、彼女は仮説を述べた。

「わたしは、悠真の血を吸うことで気持ちがわかる。……わたしに興味を持ち、あ、愛してくれていることも……わかるのだ」

「……ならどうして……?」

「…………」

 乙女は少し悲しそうに髪の毛をしんなりさせた。

「わたしはお前のことを知らぬ」

「え? 血を吸ってるならわかるんじゃ……」

「吸うても近いうちの記憶しかわからぬのだ。奥深くまで知りたければ、血を吸いつくすほかない。さすればお前は死んでしまう。そんなことはしたくないのだ」

 戸惑う悠真に、乙女が咳払いして問う。

「お前はいつもわたしのことばかりだ。……お前のことを知りたい」

「僕の、こと」

「なんでもよいのだ。好きな食べ物だとか」

 悠真は即答する。

「乙女ちゃんの料理なら何でも好きだよ」

「むうっ……」

 少し喜んだ乙女だったが、すぐに首を振った。

「で、では嫌いな食べ物でもよい」

「苦い・辛い・酸っぱいがいき過ぎた味付けでなければなんでも食べられるよ」

「……そういうことではない。人となりを知りたいのだ」

「人となり……」

 戸惑い悩んで固まった悠真に、乙女は顔を曇らせる。

「…………。何か、わたしにしてほしいことでも良いのだぞ?」

「だ、大丈夫だよ。いつもありがとう」

 悠真の答えに肩を落とし、彼女は座布団の上で身を縮こめた。

「乙女ちゃん?」

「……少し、疲れただけだ」

 悠真は、つい三日前に言われたこの言葉が胸に刺さって抜けないのだ。

「……」

 話し合いの前からもやんわりと断られていたため、彼女はかれこれ一週間以上は吸血をしていない。

 新鮮な魚さえ食べていれば吸血をしなくとも健康に問題はない。自分で釣る魚の他、バイト先で分けてもらう魚もさばいて食べるので、食糧補給にも支障はない。

 実際に問題がないことを確認すれば吸血をする理由もなくなる。

 その日から彼女と何を話していいかわからなくなった。

「……どうしよう」

 バイトも大学もないある日の土曜日。

 リビング横の乙女の部屋の前で立ち止まる。

 出会ったばかりの頃、悠真は彼女が快適かつ安全に暮らせるようリスニングを行ったが、今ではそれをする機会も少ない。

 ゲームについては、探索・工作の要素とシステムともに羽菜の方が造詣が深く、好奇心も強いのであちらの方が相談しやすい。

 女性特有の美容では紀衣香に及ぶはずもなく。

 話のきっかけに迷いつつも、半開きのドアから室内を覗き込む。

「ふんふんふーん……♪」

 銀太郎に向き合う乙女の後ろ姿は変わらず愛しい。

 しかし、かつては何か作るたび悠真に見せに来てくれたのに、今では彼女からそうすることはなくなってしまった。

「お、乙女ちゃん」

「……なんぞ」

 振り向かない彼女に、質問を投げかけようとして気付いた。

 自分は彼女に質問してばかりだと。

「……あ……」

 きっと――「好き」や「いつもありがとう」と言ったり、質問したりするのは、彼女の求めていることではない。いつも言っていることではなく、彼女は他の言葉を望んでいる。

 してはいけないことには直感が働くのに、どうすべきかはわからなかった。

「悠真?」

「えっと……ごめん……」

 このときばかりは、自分の国語能力の低さを恨んでしまう。

 間を持たせるトーク力などなく、沈黙の時間が過ぎる。

「……」

 乙女は座布団の上でくるりと回って悠真を見据えた。

 待っていてくれる優しさを感じるのと同時に、自分の不器用さのせいで待たせてしまっていることを痛感する。

 深呼吸で緊張を無理やり振り払い、質問ではなく意思を伝える。

「今日のお昼、僕が作るね」

「できるのか?」

「で、できるよ。乙女ちゃんと比べたら、簡単なものだけど……」

 彼女と暮らすまでコンビニかスーパーの弁当ばかりだったが、今では自力でパスタを作れる程度には上達した。

「教えてくれたおかげ。ありがとう」

「……ふふ。どういたしまして」

 久方ぶりに見る彼女の朗らかな表情に安堵する。

 見惚れていると、乙女は銀太郎の充電コードを引っこ抜いて画面を見せてくれた。

「岩場を探索していたら、このようなものを見つけた」

「?」

 ゴム質の黄色いヒレ、少しデコボコになった円筒型のボンベ。そこから繋がるホースとマウスピース。ゴーグルやウェットスーツまでついてきている。

 そばに朽ちた白骨があるからには、骨の持ち主が使っていたものなのだろう。

「ゲームからの表示では何やら特別な素材らしいのだが……これはなんぞ?」

「酸素ボンベと付属品。直して使えば海に潜れるんじゃないかな」

「! この貧弱なアバターでも潜れるのか」

「人間は呼吸の効率が良くないから、許してあげて……」

 このゲームでは海のあちこちが瓦礫で埋まっており、人間が生身で潜るのは難しい。

 適度な縛りと設定がよく作りこまれていると思う。

「修復の素材は……足りるな」

「待ち時間あるの?」

「いや、探索用アイテムは一瞬なのだ」

「ほんとだ!」

「そんな様子では、最初の火打石も作っておらんな?」

 好奇心旺盛な乙女は、道具や各種材料を見つけて新たな場所へと進むことを楽しんでいる。

 悠真は気ままに散歩する程度しかプレイしていない。

「う……ごめん」

「まあ良い。こうして一緒に遊べるのならば良し!」

 ここ最近で一番に機嫌がいい乙女は、早速とばかりに修理を終えた装備を身に着け、アバターを岩場から飛び込ませる。

 差し込まれたムービーにより一時的に操作が離れる。

 アバターの目をカメラにして、瓦礫で光が遮られる海中を進んでいく。

「灰がこぼれ落ちていくな。まるで炎が降ったあの日々のように……」

「あ……乙女ちゃん、戦時を体験してるんだっけ……」

「うむ」

 アバターはとびきり大きな瓦礫――飛行機の破片をドアから潜り抜け、開けた場所に出る。

 そこには、一面のエメラルドグリーンが広がっている。

「すごい……」

 作り物だとわかっていても、その景色は美しかった。

 瓦礫には海藻やフジツボがこびりつき、隙間を魚がすいすいと泳いでいく。

「……死の星であるというのに、この海のなんと美しいことか」

 乙女のそのセリフには、幾許かの感傷が込められているように思えた。

「……」

 悠真は彼女の肩にそっと手を置く。

 気付いた彼女は柔く微笑んだ。

「現実でも、お前と見てみたいものだ」

「僕も見てみたいな」

「明日行ってみるか?」

「……。勘違いされてたらちょっと困るから言うけど、僕、生身で潜水できない……」

 ついでに、5月の海は悠真にとっては非常に冷たい。

 すっぽりと頭から抜けていたらしい乙女が、少し涙目で頷く。

「そ、そうであったな。……寂しい」

「でもほら、このアバターと同じ装備で、素人でもダイビングできる場所もあるから……それで一緒に見よう?」

「うむ……」

 カメラはズームアウトし、いつもの俯瞰の視点でアバターが進んでいく。

 それを見ながら、悠真は幹也に九州でダイビングできる場所はないか聞こうと思った。

「まだ進めぬところがあるのだな」

 エメラルドグリーンが闇と混ざっていく先に、ぽっかりと空いた穴があった。穴を調べると、暗すぎて進めないというメッセージが表示される。

「そうだね」

「羽菜にチャットしておこう」

「……そういえば、さっきから気になったんだけど、右上のゲージって酸素の残り?」

 ゲージはボンベの形をしており、視界の端で3分の2程度まで減っていた。

「……酸素がないと窒息する……?」

「た、たぶん?」

「これ、わたしのアバターだぞ? わたし磯女なのだぞ? 海で暮らせぬとはいえ、この時間で息が上がるはずがない。泳ぎは仕方ないとしても、潜っていられないのは甘えではないか!」

「……残念だけど、プレイヤーが磯女だってことは反映してないと思う」

「なんと不便な生き物か、人間……!」

「どうか人間を許してあげて……貧弱な性能を、道具で必死に補ってるんだ……」

 憤慨しつつ来た道を戻る乙女に、ふと質問する。

「そういえば、このゲームって死んだらどうなるの?」

「基地のベッドで目覚め、『なんだ夢だったのか』とセリフが流れる。……ようわからん」

 死に戻りの夢落ちは、磯女には今一つぴんと来ないらしい。

「そ、そっか……」

「む」

 ゲージの残りが3分の1にまで減った頃、羽菜からのメッセージがゲーム内チャットに届く。

 どうやら羽菜もプレイ中だったらしい。

「暗闇を進むのに潜水艇が必要なのか」

「……そんなものまで作れるんだ」

 動力のないモノづくりには食指が動かなかった悠真だが、少々の興味を惹かれた。

 乙女も潜水艇自体は知っているらしく、興奮気味に言う。

「わかった。魚雷を撃ち放つあれだな! 発射してみたい!」

「僕もやってみたいな」

 魚雷が作れるのかもわからないが、やってみたくはある。

 アバターの移動で出口も近づいてきたところで、行きのムービーでは見えなかった光るものを見つけた。

 調べるコマンドを押すと、アイテムゲットのウィンドウがポップアップする。

「これはなんぞ?」

 黒く平べったい金属の箱から、数本の突起――電極が伸びている。

 悠真にとっては見慣れたものだった。

「バッテリーだね。形状からして、強力な電池」

「電池とな。……しかし、これのみでは意味がないのではないか?」

「たぶん、近いうちにこれを活かせるアイテムを見つけられると思うよ」

 こういったゲームで、苦労した探索が無意味な発見になることはまずない。必ずユーザに達成感を与える仕組みがあるはずだ。

 悠真がそう思ってアドバイスすると、彼女は嬉しそうに画面をなぞった。

「……楽しみだ」

「うん。……僕もゲーム進めてみるよ」

「! 嬉しい」

 二人で過ごすと、やはり楽しい。

 悠真は楽しく感じながら安堵もしていた。

 なんだ、喋れるじゃないか――と。

 その日は吸血こそはなかったものの、和やかに過ごせた。

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