第21話
羽菜と乙女の恐怖がそれぞれ落ち着いた頃に、紀衣香が和井田に話を切り出す。
「結局、ゲームの路線で研究するんですか?」
「考えてみたのだが、今の段階で分野やらテーマやらを絞り込もうとて、磯女という種に謎が多すぎるね。ついでに岸里くんも乙女くんも天然極まりない」
「見守っていく方針でいくんですね!」
「何気ないことから紐解いていくのも研究だからね。……実を言えばサンプルがもう少し欲しいが、会話ができる磯女をそうホイホイ用意できるわけもなく」
「私、他の磯女さんに出会ってみたいです! あわよくば天国に!」
「若い身空で片道切符はやめておくれ」
手振りで指示された幹也が紀衣香を座らせる。さすがの取り扱いだ。
幹也は注目を得たついでとばかりに平然として質問する。
「ちなみに、同族さんを浜辺に呼び出すことはできる?」
「……可能だが、同族は人間を襲い、血を吸い尽くすだろうな。昔であればいざ知らず、今のわたしは人に近づいている。呼び出すだけならばともかく、会話は通じぬ」
「! ペナルティーがあるのか。そりゃ無理だ」
「ぺなるてぃ?」
「罰則。さっきの表現は、磯女として外れたことへの代償って感じ?」
「そうか……これはぺなるてぃなのか」
乙女は海から離れて暮らせるようになった代わりに、かつてのような磯女らしい生活が出来なくなったらしい。人間よりは長く潜れるが、海の中で暮らすことはできないとのこと。
海水浴で試してそれを知る悠真は、彼女の手を握る。
「乙女ちゃん……寂しい?」
「構わぬ。我ら磯女に個の概念はない。海に居れば名前すらもないのだから」
「……」
「会話をするとしても、海中での互いの縄張りを荒らさぬよう伝えたくらいだ。……お前にそんな顔をさせる方が寂しい」
そっと握り返して笑う。
「気にしないで良いのだぞ、悠真。わたしはお前を選んだのだから」
「……大切にするね」
耳元でささやくと、彼女が真っ赤になって髪をこわばらせる。
「んふ、ん」
悠真も顔が熱い。
和井田がニヤニヤと口を挟む。
「今日のことも、ぜひ日記に書いてほしいな」
「っ……お、覚えている範囲でなら……」
悠真はそう言ったが、内心では忘れられない出来事ばかりだとはっきり感じている。
「仲睦まじくてあてられるよ。日記を見るだけでよくわかる」
和井田は嬉しそうに《乙女ちゃん観察記》を読み進める。
「これを箇条書きでコンパクトにまとめていたらそうもいかない。情報の取捨選択が入ってしまうから、臨場感も薄れてしまうしね。慣れないうちは、できる限り丸々と書き残すのは良いことだと思う」
「お。第二案採択してくれて良かったっす」
「……砂島くんは生物学科で観察レポートを書き慣れているからお手の物だろう? そのまま工学畑の岸里くんに要求するのはハードルが高いよ」
のんきな砂島に釘を刺すように、少し硬い声で注意する。
「気を付けますね」
「軽いな貴君は……」
ため息をつく。
しかしすぐさま振り払い、悠真へと宣言した。
「ゲームを通して彼女の人となりを探りつつ、観察日記や会話から磯女についての考察を深める。プランはこんなところにしよう」
「はい。ありがとうございました」
「指導教員だからね。……脱線しまくってすまない」
「いえ……」
この場に居る誰もが、脱線と迷走こそが和井田研だとわかっている。
和井田はそのまま楽しそうに表情をゆがめた。
「で、赤嶺くん」
「なんざんしょ、指導教員どの。ロクでもないこと思いついた顔してますぜ」
「わざとらしいぞ研究生くん。……乙女くんがハマったゲームとは何なのかな?」
「《Dust planet》です。ストアで検索したら出ます」
「私もやるー! やりこみ派の赤嶺くんを追い越しちゃうぞ!」
「こいつ性格悪ぅい……」
「私は人の嫌がることをするのが大好きだ。この年まで、幼稚園の先生の言いつけを忠実に遂行している偉い子なんだよ?」
「言いつけを曲解してんじゃねえぞサイコパス」
二人の会話は殺伐としているが、なんだかんだで仲良く温泉まんじゅうを分け合っている。
「幹也。私たちもインストールしましょ」
「金欠」
「私が払うからいいのー! ほら、サイト開いてっ」
「はいはい、ダスプラね。友達がやって――ぐぶ」
「その友達だれ⁉ 私知らないっ!」
「首絞めんな。お前が手洗い行ってるときに教えてもらっただけだよ」
こちらの幼馴染コンビはどこか奇妙だ。
おそらくは執着・嫉妬・独占欲等のよくわからない感情で紀衣香が粗ぶり、幹也は呆れながらもそれをいなす。
絶対に巻き込まれたくないやりとりだった。
「…………」
「? 悠真よ。前が見えぬ」
「見ないで大丈夫だよ」
乙女に見せたくないので抱き寄せて目を塞いでいる。
「むう」
インストール待ちの和井田が、ふと顔をあげて悠真を見た。
「? なんでしょう、先生」
「聞き忘れていた。乙女くんの散髪の件は?」
「あ……切ろうとしたら乙女ちゃんが恥ずかしがるので、またの機会にしました」
「おやおや」
「ハサミが冷たくて驚いちゃうんです。それが恥ずかしいみたいで」
乙女はゲームオープニングの鼻歌を歌いながら、黒髪で悠真の顔に触れてくる。
「なので、今はお風呂上りに椿油で梳かすところから始めて、髪に触れられることと、ハサミで切ることにゆっくり慣らしていこう、と」
「わかったよ。夫婦でゆっくりとイチャつくといい」
「は、はい……? ……あっ」
触れ合いは習慣と化しており、ここが自宅ではないという違和感に気付けなかった。
「ああああ……」
「気にしないで。やらかしは誰にだってあるさ」
そう言われてもかなりのダメージだった。
沈む悠真と上機嫌な乙女の対比に大いに笑い、和井田はゼミを締めにかかる。
「今日のゼミはこんなところでいいだろう。いいよね諸君?」
「うぁーい」
「はーい」
「ういっすー」
研究生たちからのおざなりな了承に苦笑する。
「では、好きなタイミングで解散してくれたまえ。私はこれからやりこむのでね」
愛用のパソコンを駆ってゲームに没入し始めた。
そんな和井田に、羽菜は不機嫌さを隠さない。
「……羽菜先輩、どうしたんです?」
疑問に思った悠真がこそっと問いかけると、羽菜が叫ぶ。
「なんか、よーく考えたら和井田先生と同じゲームやるの不愉快なんだけど!」
「えええ⁉」
その叫びは当然のことながら相手に聞こえており、彼女は不快になるでもなく応じた。
「和井田先生は悲しいよ」
「……先生、どんなゲームであろうとやりこみまくるでしょ。そんで私のこと追い抜くって言ってたからには余裕で追い抜くんでしょ」
「うん!」
「そうやって即答するから嫌だ! この野郎、前も、私が必死で考えてた謎解きを目の前で解いていきやがって……!」
「だって、赤嶺くんが悩むなんて相当に面白……赤嶺くんが可哀想だったから」
「うるせー! 二時間も悩んでた論理パズルを、ものの三分で解かれた私のむなしさが分かるかこのばっきゃろう!」
「プログラム組めばよかったじゃないか。貴君なら容易いだろうに」
「手作業が良かったんだにゃあ‼」
和井田はいわゆる生まれつきの天才児で、知能と引き換えに人間性を失っていると本人が公言している。
それに対して羽菜は努力で上へと登りつめていく秀才。正反対だ。
しかし、二人について乙女は端的にこう評した。
「仲良しであるな」
「え? あ、ああ……うん」
羽菜は和井田が研究室を開いた年から研究生として在籍している。
年齢が近い分、精神的な距離も近く、先生と生徒というより友人同士のようにじゃれ合っているように見える。
悠真の受けるその感覚と、心をある程度感じ取れる乙女の感想は遠いものではないようだ。
「才能に嫉妬をしつつも、心の底から尊敬している。同じ研究者として並び立とうという気概さえ見える。良い関係だ」
「……うん。僕もそう思うよ」
またも聞こえてしまった和井田が、今度はヘッドフォンで耳を塞いで羽菜から顔を背けた。
赤面していた羽菜は乙女を睨みかけるも、彼女に悪気はないと思いなおして息を吐く。
「あのさ、悠真くん。そーいうお話は、内緒話にしてよね」
「すみません……」
「……勉強では足元にも及ばないのは知ってるけど、先生ってば子どもみたいだにゃー……」
「あやつの心の内は『別に嬉しくなんかないもん! いやでもちょっと嬉しいかも』で揺れておるぞ」
和井田はついに席を移動した。聞いていたらしい。
「ああもう……乙女ちゃん! 人の心の中って、そう簡単に読み取っていいものじゃないし、人にバラしていいものでもないんだよっ!」
「んむ。そうなのか?」
恥じらいではなく怒りで顔を赤くして、乙女と悠真を叱りつける。
「そうなのだよ! っていうか、悠真くんもきちんと教えなきゃダメでしょ⁉」
「え? 心を読んではいけないという法律があるんですか⁉」
悠真は頭の中の六法全書を全力でめくったが、そういった文言はどこにも見当たらなかった。
「屁理屈じゃなく本気で言うのが恐ろしい……」
「法律に従えば間違いないのなら、法で定義されていない部分は自由なのかなと……」
「悠真くんがハード屋で良かったよ……これでプログラマーだったら、世界最悪のサイバーテロリストになってたかもにゃー」
「……すみません……」
悠真は人並みの倫理観を上手く身につけられない。
乙女は生来が妖怪であり、倫理観と常識が人間のものから外れている。
それ自体は羽菜も知っているため、必要以上に責めることはしない。
「乙女ちゃんは緊急時以外に心を読むの禁止」
「む……」
「前に頼っておいてなんだけど、最初にきちんと言うべきだった。心が暴かれるって、人によってはすごく傷つくよ」
「……。うむ」
「ごめんね」
「わたしも、無神経であったな」
「教えなきゃわからないことだもん。周りの人、つまりは私たちの怠慢。気に病まないで」
乙女への注意を終えて、悠真を振り向く。
「悠真くんも。乙女ちゃんの吸血にコミュニケーションを頼りすぎないんだよ?」
「えっ、はははははい……」
「……なんでこう、頭はいいのに悠真くんは……」
磯女が汗や血から記憶と感情を読み取るのならば、毎日のように吸血する悠真の気持ちは乙女に筒抜けだ。かといっても口頭でのコミュニケーションは欠かさない方が望ましいのはわかっているが、口下手な悠真には難しかった。
「口で言わなきゃ不安になっちゃうと思うんだけどにゃあ」
羽菜は呆れてため息をついた。
彼女の肩を、乙女がちょいちょいと指でつつく。
「羽菜よ」
「ん、なに、乙女ちゃん?」
「うむ。お前とこみゅにけーしょんをしたい」
「うわやっべ超かわ。……何かな?」
少しばかり吸血を警戒する羽菜に淡く笑う。
「吸血などせぬよ。……このゲームで牛車を作れるのか、教えてほしいのだ」
「牛車? ……似た感じになら」
「それでもよい」
警戒を解いて、乙女の隣の席に移動してくる。
悠真にとっては、銀太郎を覗き込む二人の光景はなんとも心温まるものだった。
「じゃ、まずは車輪つくってみよう」
「車輪。どうやって作る?」
「木と少しの鉄材があればいいんだけど……お、足りてるにゃー。メニューから、製法ってコマンド選択して」
「製法。使っておらんかった」
このゲームでは作れる物体のパーツがおおよそ決まっており、必要な素材数を満たすことでレシピが解放されていくらしい。乙女が今まで制作したものは木材や石材を切断して組み立てる建物ばかりであったためか、そういった機能は利用していなかったようだ。
「便利だから、これからは活用してくといいよ。えーと、車輪は車のタブの左上に……」
「これか」
「そうそれ。ダブルクリックして、材料の使用を承認。作るもの次第で、完成までの待ち時間が発生するよ」
「5分で出来上がるとは、なかなか早い」
「一番シンプルな車輪だからねー。鉄板とゴムを加工するタイヤとなれば、1時間くらい待ちが出る」
「ほう……まだ見つけていない素材だ」
「ふっふふ。先輩ですものにゃあ」
本日はサメパーカーの羽菜が満足げに頷く。
「木材で箱を作れば、あとは車輪をくっつけるだけでOK。お手軽でしょ」
「教えてくれてありがとう。これで牛車を作れる」
「いえいえ。……なんで牛車?」
「夫婦の旅は、ゆったりと牛が良いのだ。神社に飾りたい」
「お熱いことだにゃん」
二人の会話で悶える悠真に、ヘッドフォンを外す和井田がぽつりと言う。
「結婚のために神社だとか、夫婦で牛車に乗りたいだとか……感性や常識は人間と同じだね。やはり、幼少期を人間社会で過ごすだけある」
「そうみたいです。……」
返事をしてから、夫婦の文言ごと肯定してしまったことに気付き、さらにじたばたする。
和井田はニヤニヤと笑いかけたが、ふと真顔に戻って思考する。
「しかし……他の磯女、つまり伝承に出てくる彼女たちも乙女くんと同じような出生で育ったとして。成長すると人間に襲い掛かるのはなぜだ? そこだけは推測が難しいところだな」
「あの……まだ、日記に書ききれていないことがありまして……」
「教えてくれたまえ」
「はい」
姿勢を正して椅子に座り直した。
「これは羽菜先輩と乙女ちゃんの対談でわかったことなんですが、磯女は人としての名前をもらうことで婚約になるんだそうです」
対談の内容はレポートにまとめ直して提出するつもりだったが、和井田の推論の助けになるならばと口頭でかいつまんで伝える。
「ふーむ?」
「ですから……もしも『名前を持っていると人間に近づく』のなら……幼少期も父母から人名をもらうでしょうし、名前を持っている間は、人らしい感覚を得るのではと思います」
悠真なりに立てた仮説だった。
「では、海に帰るときに名を捨てるわけか。……となれば……人を襲うのは、幼少期を懐かしんで記憶を恋しがっているからかもしれないね」
「……」
そう考えると切ない気持ちになる。
「悠真、悠真っ」
「? なに、乙女ちゃん」
肩を突いてきた乙女は、嬉しそうに銀太郎の画面を見せてくる。
「羽菜が二人で乗れるように作ってくれたぞ。牛がおらぬゆえ、進みはせぬが……」
「きゃわゆい!」
感傷も吹き飛ぶ可憐さに甲高い声をあげてしまう。
「貴君のそういうところ、面白くて好ましいよ」
インストールを終えた和井田はチュートリアルをさっさと終わらせ、あちこちへの探検作業を始める。
幼馴染コンビも言い争いをしながらチュートリアルを進めている。
悠真は、これでこそいつもの騒がしい和井田研だと、感慨をもって眺めた。
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