第20話
和井田は言う。
「仮テーマには軽いやつを用意したいところ。岸里くんと他の3人の時間も食わないくらいの手軽なものがいい」
「けっこう無茶ぶりっすよね」
「幹也、しー。お口チャックして」
「…………」
「はーい、よくできましたー☆」
黙り込んだ幹也を、紀衣香が楽しそうに撫で始める。
羽菜はスルーを決めて挙手した。
「それこそゲームはどうでしょ?」
「ああ、観察日記にも書いていたね」
「はい。乙女ちゃんはパソコンの銀太郎くんをけっこう気に入ってくれてますし。ドはまりしたのは探索&工作のゲーム。色んな意味でうってつけかと」
「よろしい。それでいこう」
納得した様子の二人だが、悠真にはよくわからない。
「……? ゲームがテーマなんですか?」
「おやおや、不勉強だぞ岸里くん」
「す、すみません」
「……いやごめん。貴君が勉強熱心なのは知っているのに、つい……うん。貴君をからかうのやめることにする。難し過ぎる」
「?」
和井田は皮肉やからかいを理解できない悠真に乾いた笑みを見せるも、すぐに振り払う。
そして、いつも通り、相手と学問に向き合う。
「紀衣香くんが常々言うように、趣味嗜好を知ってこそ互いの理解が深まる。ここに異存はないだろう。ゲームはそれにぴったりだと思わないかね? ゲームを通して協力も競争もできるんだ。感情の共有に向いている」
「そう、ですね……」
実は昨日、ホラーゲームの続きを二人でプレイしていた。
しばらくは悠真が驚いて慌てる展開が続いたものの、物理的に追いかけてくる敵が出てからは状況が一変。敵への恐怖や驚き、アイテムを見つけて謎を解く喜びと達成感を乙女と共有し、さらに仲が深まったと感じている。
吸血されながらのそれは濃密な体験で、日記には書ききれなかったほどだった。
ゲームには、心を動かす力があるのだと改めて実感したのだ。
「……吸血されながらとか、私には想像できないプレイングなんだが」
「あれ⁉」
自分なりに感動したエピソードを伝えたはずが、和井田は少し引いていた。
「合理的サイコの岸里悠真が恋人と感情を共有していく流れは良かったんだ。ただ……最後の最後で、変な前提条件を暴露されると、ちょっと」
「うう……ダメなんですか吸血……頭すっきりするのに」
涙目になる悠真の隣で、頬を染める乙女がもじもじと口を開く。
「悠真の方が怖がりなのに、わたしのことばかり心配して……寄り添おうとしてくれた。血を吸うと事細かにわかってしまうがゆえ、わたしはもうメロメロなのだ……」
「っ……あう。あうあう」
仲睦まじい二人に嘆息した羽菜が「いつものことっぽいんで」と伝えると、和井田は困惑しつつも頷いた。
「まあいい。仕方ない。……感情共有のしやすい要素を含み、かつクラフト要素のあるゲームだというのなら、創造性を測ることもできるね。実に有意義な研究方法だ」
「創造性ですか。測ると良いことが?」
悠真の問いから、専門の近い紀衣香が補足する。
「絵や粘土、時にはゲームによる工作を通して創造性を測る実験があるの。それこそ心理と教育の分野で、子どもに絵を描かせて心理状態を見たりなんてこともするのよ」
「あ……何かの本で読みました。不気味な絵を描いた子が、家庭環境が良くない子で……」
「そうね。過去何人もの人たちが、子どもを傷つけない形で寄り添おうと努力してきた。絵を描いてもらう実験はその手法の一つ」
「……はい」
「目的と手段によって使われ方は少しずつ違うけど、創作物には作った人の好み・気分・常識・想像力のすべてが表れるの。私も好きな実験だよ」
幹也を撫でまわしながらの発言だが、普段より2割増しで発言がまともであると感じた。
悠真は感動して頭を下げる。
「悠真くんったら礼儀正しいよねー。私も見習わなくっちゃ」
べたべたと撫でられる幹也は「喋っていい?」と書かれたメモを紀衣香に掲げている。お口チャックの効果が未だに続いていたらしい。
「あ、ごめんね。喋っていいよ」
「どうも」
「…………」
やはりあんまりまともではなかった。
反応に困っていると、紀衣香は乙女に視線を向けた。
「私ね、生態に吸血が含まれる乙女ちゃんの心理はすごく興味があるのー!」
「む」
和井田も頷く。
「そうだね。乙女くんが作りたがるものとか超絶気になる。……ってなわけでゲームしてくれていいよ」
「嬉しいが……ネット環境がないと、
「なんだそんなことか! この部屋WiFi通してあるんだよ! ほら、これがパスワードだよ乙女くん!」
「ぐ、ぐいぐい押してくるのう……では」
ネットワーク名とパスワードの書かれたカードを受け取り、銀太郎を起動する。
「うむ……この、わいだけん? だとかいうので良いのだな?」
「うん」
乙女は一本指でキーを押し込み、文字列を入力していく。
また、和井田に許可を取った上でパスワードをメモに取った。
「乙女ちゃん、ローマ字入力なのね」
「うむ。いつか役立つからと、悠真が教えてくれている」
「ラブラブであてられちゃう」
「んぐ……」
悠真は熱くなる頬を緑茶で冷ます。
「げーむすたーと」
中断地点へと画面が切り替わった。
「む、作りかけであった。あと少しであるゆえ、完成させてしまっても良いか?」
「もちろんどうぞ」
基地から少し離れたこの地点は、彼女が丹念に瓦礫を撤去して作り上げた作業スペースだ。
「乙女ちゃん、何つくってたの?」
「神社だ」
「……ほんとだ」
朱色の鳥居から石畳が続いて、木で組まれた本殿がどどんと建っている。かなりのクオリティだった。
乙女は嬉しそうに胸を張る。
「悠真の本、《木造建築のすべて》を参考に頑張ったのだぞ。結婚するならば神社が良いと思ってな」
「あふん可愛い!」
「…………。まあ、動機が岸里くんに集約する限りはそうなるか」
冷静になった和井田は、もう一度《乙女ちゃん観察記》を――特に、ゲームをしている描写を重点的に読み返す。
「ん? ホラーゲーム……って、赤嶺くんが持ち込んだのか。自殺志願者なの?」
「3人でやれば大丈夫だと思ったんですもん! 赤信号みんなで渡れば怖くない‼」
「そんなこと私に言い張られても」
観察日記では羽菜とのゲームの思い出が淡々と綴られている。悠真の文章は、乙女への恋心が絡まない限りは生来の真面目さが前面に出るためわかりやすい。
悠真と羽菜ばかりが怖がって、乙女は然程であったと書かれていた。
「……磯女は夜目が利くのか」
乙女が主人公に言い放った罵倒を見て笑う。
読み進めて前日、ゲームを進めて出現した敵の描写にさしかかる。
「して、敵は物理的な存在なわけだね」
【廊下沿いの障子の向こうにロウソクの炎がゆらゆら揺れて、床板が軋む音がする。耳の良い乙女ちゃんはすぐに気づいて歩みを止めた。
別の部屋に動こうとした瞬間、ナタを持った人物が戸を割り破って飛び込んでくる。狐面で顔は見えないながら、確かな狂気が見え隠れする着物の男。ゲームであるとわかっていても恐ろしかった】
ゲームの演出を知らない面々に、和井田が抜粋して読み上げる。
「……こわい……」
羽菜は涙目でパーカーのフードを被った。
「男に興味はないわ。可愛い女の子がいいです!」
「んなもん誰だって怖いって感じっすね」
紀衣香と幹也は各々で感想を述べる。
「砂島くんの言う通りだ。ナタを持って追いかけてくる人物がいれば当然に恐怖を抱くだろう。オバケが怖いっていうのとはまた違うかな」
「殺意を向けられるのは気分が良いものではない」
「だねえ……赤嶺くんが無条件でホラーを怖がるのと同じように、乙女くんも何か特定のものに恐怖を感じることはあるのかな?」
神社が完成して一息ついた乙女。
しばし悩んでから、むすっとして答える。
「わたしは雷が好かん」
「ん? ゲームで雷鳴を見たのではないのかね?」
「あれは銀太郎の中でのことゆえ、大して驚きはせぬ。……しかし、現実での雷鳴と稲光は、なんとも恐ろしく感じてしまうのだ」
「おお、これは新たな発見だ」
話を聞いていた羽菜が疑問を口にする。
「海に雷が落ちたらどうなるんでしたっけ? 通電します?」
「電気のほとんどは海面で散らされてしまうから、海中の影響はほとんどないよ。代わりに水上が危険だが」
「あー……電気が走るのか。危ない」
「そう、海は素人の想像よりもずっと危険なんだ。みんなも海水浴では気を付けるよう……いや待てよ。そういうことか?」
「?」
和井田は再び乙女に向き直る。
「エラもない。クジラやイルカのように鼻が頭上についているわけでもない。だというのに、磯女はどうやって呼吸しているのか」
「む」
「磯女は髪の毛で海面までの距離を測り、自らも浮上して酸素を取り入れている。海面を走る電撃は致命傷だから雷が怖い。どうだ⁉」
「……おそらくは、正解だ」
「よっしゃ!」
大いに喜ぶ彼女に向けて、乙女は眉間にしわを寄せたまま唇を尖らせる。
「本能的な恐怖というか……あれを聞くと、急いで潜らねば。移動せねばと焦ってしまうのだ。理屈もわからず恐れてしまう」
「遺伝子に刻まれた恐怖なんだね。理屈を考えるより先に、その場からの退避を優先させる恐怖……うーん、面白い」
「面白くて良かったのう……」
「ああ、すまないね。私は謎を解明すると興奮してしまうんだ。生態だから諦めてくれたまえ」
恍惚とした笑みを浮かべたまま乙女に一礼する。
「雷ってそんなに危ないんすか」
幹也の呟きを拾って、和井田は羽菜との会話の内容を膨らませる。
「海面に落ちると、散らばるようにして表面に電気が放たれる。落ちた場所が陸地近くであれば、湿った砂浜まで到達することも。海に浮かんでいたら直撃だよ」
「致命傷……」
「うん。火が通ったように焼け焦げてしまうね。電気を外へ逃がせる条件が整ってでもいれば別だが……海では難しいかな」
「磯女は呼吸しようと浮上してたら当たっちゃう感じなんでしょうか」
「おそらくは。……酸素補給が短時間で済むような体の仕組みもありそうだ」
「つまりは肺呼吸のイルカとクジラ辺り……そこまでいくと解剖が必要になっちゃいますよ」
「そう。だから絶対にしない」
会話を聞くうちに、恐怖を思い出してかプルプルし始めた乙女に気付き、抱き寄せる。
「お、乙女ちゃん。大丈夫?」
「うむ……」
「今は晴天だから、落ち着いて。雷ないよ」
「わかっておる……」
笑みを消して和井田が付け足す。
「磯女の髪の毛は、感覚器であり狩猟のための武器でもある。それが電気で焼けてしまえば大変なこと……恐怖するのは自然だよ。さっきはからかってすまなかったね」
「……和井田よ。いま、初めてお前を尊敬した」
「喜ぶべきかどうか迷いどころだが一応ありがとう」
「いままで、雷が落ちるたびわけもわからぬ恐怖を感じていた……理由が分かったのなら、少しは心が軽くなるというもの……」
「貴君、すごい震えてるね」
黒髪も悠真に巻き付いて離れない。
「……乙女ちゃん、大丈夫だよ。雷、落ちてこないよ」
「ん……しばし、このままで」
「うん」
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