第16話

 夜8時50分。悠真は幹也とともに、男湯からホールへと移動する。

 待っていた女性陣のうち、紀衣香が幹也の元へ駆けて来て自然に手を握った。

「もう、幹也。待たせないで」

「ごめん。岸里にアドバイスしてた」

「ならいいわ。長風呂したの?」

「サウナの方が長かったかな」

 恋人じみ始めた二人から離れ、悠真は乙女と羽菜が並んで座るテーブルに腰掛けた。

「どやどや? なんか宇宙の真理を垣間見た猫みたいな顔してるけど」

「論理の闇がさらに深まりました」

 そして、温泉に入ったばかりなのに寒気が止まない。

 幹也との会話のオチは今までのどんな怪談よりも怖かった。

「ダメだったのにゃーん……?」

「……すみません」

「はああ……」

 和井田の薫陶を受けた羽菜は、悠真よりも遥かに論理の正確さ精密さを重んじている。その心痛は察して余りある。

「あの二人さあ……ほんっと、いつなら離れてるのかっていうとトイレか風呂場だけ……バスケ部の噂をまさか実証することになるとは思わなかった」

「温泉ではわたしの髪を洗ったり羽菜の背を流したりではしゃいでいたのに、風呂から出るなり、『幹也は?』しか言わなくなったぞ」

 それでも恋心ではないと言い張ることに恐怖を覚える。なぜならば、それが恋でなければ相手への純粋なる依存心と執着心ということになってしまうのだ。

「……一応お聞きしますが……紀衣香先輩からの収穫はありましたか?」

「あるわけねーわい。いつも通り『幹也は格好良くて大好きだけど恋はしてない』とよ」

「……ですよね」

「付き合えばいいのに……」

 幹也と触れ合ったことにより、精神の安定を取り戻した紀衣香が(幹也つきで)乙女の元にやってくる。

「ああ乙女ちゃん、乙女ちゃん……なんて可愛いの。プニプニしちゃうぞ、えいえいっ」

「《松島や》の調子で名を呼ぶでないわ」

「お肌モチモチね」

「ええい、聞けこのたわけめ! わたしの許しも得ず頬を触るでない‼」

 乙女は自身の両手に髪をまとわせて腕力をあげた。そのまま紀衣香を抑え込む。

 黒髪そのもので締め上げるよりも人目に付きにくく、同時に手の器用さをも活かせる新技である。悠真は感心しつつも観察日記用のメモを取った。

「きゃっ。なあに、乙女ちゃん。大胆ね」

「……お前のことを和井田は名前で呼んでいた。なぜだ?」

 そういえば確かに。生徒を男女の別なく《苗字+くん》で呼ぶ和井田は、紀衣香だけは名前で呼ぶ。苗字に対外的な意味しかない乙女は例外としても、珍しい事例だ。

「西って苗字好きじゃないの。『二回死ぬ』みたいでしょう? ……昔、男子にからかわれてから嫌いなのよね」

「? 死ぬつもりでいるのなら問題なかろ?」

「ふえ?」

「妖怪に殺されるのならば、二回死ねるのは得ではないのか」

「…………」

 抑え込まれていた彼女は予想外の腕力を発揮し、乙女を押し返す。

「な、なんだ」

「乙女ちゃんに一回目をあげる」

「いらぬわ」

「私の初めて、受け取って!」

「だから要らぬと言っておるだろ!」

 紀衣香と乙女の攻防を、幹也は無言で撮影。

「「……」」

 羽菜が静かに呟く。

「聞いてよ。私、高校時代ではどんな人より非常識だったはずなんだ。なのに和井田研に所属してからずっと常識人なの……」

「間違いなく羽菜先輩が最高の常識人だと思います……」

 周囲の客と離れた位置に座っていることは幸いだが、騒ぎで顰蹙を買っているのは間違いない。しかし、従業員は他でもない紀衣香が暴れているのを止めあぐねている。

 羽菜が幹也に命令して紀衣香を抑えさせ、ふしゃあと毛を逆立てて威嚇する乙女は悠真が抱きかかえて抑え込む。

 なんとか収まったころ、BGMが流れ始めた。

「……なんでここに集まってるのか忘れてた」

 疲労困憊ながら、羽菜は身を起こして窓を見上げる。

 幹也に食って掛かっていた紀衣香も姿勢を正す。

「あ、そろそろ始まりますよ」

 乙女を抱えなおし、ホールの窓の向こう側――大樹と温泉の館を見つめる。

 鮮やかな光が宙を踊り、大樹と和風屋敷を花火が彩っていく。

「‼」

 腕の中の乙女の髪が強張って膨らむ感触。

 彼女は機材を操作する男性を指さしてこっそりと問う。

「ゆ、悠真。あれはなんぞ? 幻か? あそこの男が魔術を操ってでもおるのか?」

「あの人は魔法使いじゃないよ」

 磯女は興奮時に髪を逆立てるということを学びつつ、悠真は、目の前の光景が幻でも魔術でもないことを教える。

「プロジェクションマッピングっていうんだよ。羽菜先輩が僕の家に登場したとき、光と音を出してたでしょう。それの豪華版」

「ほう……」

「コンピュータを使って、光で壁に絵を描いてるんだ。電気で作った花火って感じかな」

「面白いのう」

 周りを見れば、小さな子どもから老人までもが電子的な花火を楽しんでいる。

 普段は暴走する和井田研門下も、全員が静かに花火を鑑賞していた。

「わたしが海に居る間も、人間は進歩していたのだな……」

「乙女ちゃんも銀太郎がいれば何でもできるよ」

「本当か?」

「うん。まずはゲームの中で、いろんなもの作ってみよう? きっと楽しいよ」

「そうだな。こういう気持ちを創作意欲と言うのだろう」

「好きなもの作ろう!」

「うむ。頑張る」

 拳を軽く打ち合わせ、二人で笑った。

 きっと今夜は気持ちよく眠れるだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る