第14話

 中倉夫妻に挨拶して居酒屋を去り、温泉旅館に到着。

「本日は紀衣香たんが半額チケットを用意してくれましたー。一同、礼!」

 ロビーで羽菜が言い、全員で頭を下げる。

「やだ、親の関係で取ってきたものですし、気にしないでください」

「それでもありがたいよ。温泉とか何年ぶりって感じ」

「僕も旅館なんて久しぶりです。ありがとうございます」

「羽菜ちゃん先輩も悠真くんも丁寧なんだから……」

 照れつつもお礼を受け止め、カウンターに足を向ける。

「じゃあ、みんなまとめてのチェックイン、行ってきますね」

「荷物持っとくよ」

「お願い」

 やってきた従業員から台車を借りて、荷物を載せる。

 どことなく、紀衣香の友人に無礼は出来ないと気を張っているような気配を感じた。

「……紀衣香先輩って、ここの旅館に関係のある方なんですか?」

 従業員に聞こえないよう質問する。

「紀衣香たんの西家っていったらここら一帯の元地主で、今もでかい企業運営してるよ。旅館に出資してるからじゃないかにゃ?」

「お嬢様だったんですか! 道理で上品な女性だと思いました」

「数々の奇行を見ても上品って印象が揺らがないの凄いよ。マジで」

 幹也が感心する横で羽菜が呟く。

「私的には、上品なまま奇行に走るのが怖い……」

「……温泉の匂いがする」

 嗅覚が鋭い乙女はソワソワして可愛らしい。一抹の清涼剤だ。

 やがて、チェックインしに行った紀衣香が戻ってくる。

「お待たせー!」

 ぱたぱたと駆けて来て手を振る姿にも、どことなく気品があるように見えた。

「3部屋取ってありまーす」

 ルームキーの束を揺らして笑う。

「私と幹也が同室でー、悠真くんと乙女ちゃん同室でー、羽菜ちゃん先輩お一人部屋でーす。お楽しみの部屋番号はなんと早い者勝ちでーす!」

「あれえ??」

 組み合わせが色々とおかしい。

 悠真が突っ込んで聞こうとすると、羽菜は紀衣香の差し出す鍵を一つ、あっさりと受け取ってしまった。

「悪いね、おひとり様を堪能させてもらうぜ」

「そうおっしゃると思いました。ネット回線もありますので、研究頑張ってくださいね」

「ありがとよ」

「はーい、乙女ちゃんにも鍵どうぞ」

「うむ」

 受け取ろうとする乙女を抱きすくめて制しつつ、悠真は慌てて指摘する。

「ま、待ってください!」

「なあに、悠真くん?」

「婚前の男女が同室で宿泊するのは良くないと思います!」

「悠真くんの古風なところ、すっごく素敵だと思う。でも、乙女ちゃんの恋人さんなんだから、一緒に居てあげて? いつもは一つ屋根の下じゃない。部屋が同じになっただけよ」

「申し訳ありません僭越ながら先輩たちも含めたつもりでした‼」

 言葉が足りなかったようなので補足したが、二人はそう言われて初めて自分たちが男女の組み合わせであることに気付いたらしく、きょとんとしてお互いを見つめた。

「……いや、確かに男女だけども。紀衣香は俺と一緒じゃなきゃ寝れないよ? 同室になるしかないじゃん」

「そうよね。ふふ、おかしな悠真くん」

「んんんんんん、過程と結果がまとめておかしい‼」

 なんとかして指摘したいのに、二人があまりにも当然のことであるかのように堂々と言い放つものだから対応に困ってしまう。

「……同じ部屋でなければ、寝れない……? それで付き合ってないなんて……」

「いやいや、同じ布団じゃなきゃ寝れないってこと」

「もうだめだ僕は未熟者だ……」

 論理を見いだせずに落ち込む悠真を先輩二人が慰める。我ながらよくわからない事態に陥っていると悠真は思った。

 しかし、話を聞かない紀衣香は従業員に案内を頼んでしまった。

「お願いしまーす」

「はい。では、皆様お部屋へご案内します」

 若い女性は少し緊張した様子で台車を押して先導する。

 それに水を差すことは出来ず、悠真たちは粛々と進むしかないのだった。



 3組それぞれの部屋に別れてから、羽菜が悠真たちの部屋を訪ねてくる。

「へーい、後輩。ちとお話に来たぜー」

「開いてまーす。どうぞー」

 鍵をかけていない扉から、羽菜がひょこりと登場する。

「お邪魔」

「いらっしゃい」

「乙女ちゃんは?」

「お風呂場でタオルと着替えを用意してます。……あの、やっぱり乙女ちゃんを羽菜先輩のお部屋に……」

「いい加減諦めろって」

「うう……婚前で同室は……」

 ぶつぶつ言う悠真に構わず、彼女は風呂場からやってきた乙女に手を振る。

「よっす」

「羽菜! いらっしゃい」

「お邪魔してるよ。温泉行くとこだった?」

「うむ、準備も終わった。羽菜も一緒に行こうぞ!」

「行こうぜ」

 手を打ち合わせる。

「悠真に用か?」

「お見通しなんだね」

「髪を触れさせておるでな」

「……」

 首元に手をやり、死角から伸びていた黒髪を捕まえる。

「……乙女ちゃんのその能力って、実はものすごいんじゃない? 気付かれずに心読んじゃうなんて」

「むう? ……そうなのか」

 乙女は伸ばしていた髪を羽菜の手元から回収し、指先でこする。

 何やら考え事をしているらしい。

「そうだ。悠真くん」

「はい、なんでしょう?」

「和井田先生から、宿泊施設に行くよう紀衣香たんにアドバイスしての現段階なんだけど、なんでだと思う?」

「え……なんで、でしょう?」

 和井田からの指示なのは知っていたが、なぜ温泉なのかはわかっていなかった。

「先生は、幼馴染コンビからアドバイスを受けられるようにしたかったみたい」

「……。不可能ではないかと思います」

「うん……あの二人が離れるのはトイレか風呂だけって噂があるくらい」

 着替えの時も離れないのだろうか。

 悠真はそう思ったが、怖くなったので聞くのをやめた。

「ということは、男湯付近でなら幹也先輩に一対一で相談できるわけですね!」

「うん。『紀衣香くんについては諦めたまえ』だって」

「ですよね……」

 あの二人と向き合うと、不意打ちのように認識異常を目の当たりにして辛い。消耗戦を強いられているような気分になるのだ。セットで揃った時が問題なのであって、一対一ならば穏やかな会話も可能なのだが、なんせ二人とも離れない。

 沈む悠真に、羽菜が和井田からのアドバイスを追加する。

「精神攻撃を受けかねない悠真くんへのフォローも考えてあるみたいだよ」

「そ、そうなんですか。ありがたいです!」

 スマホを覗き込み、メールを音読。

「指示によると……『恋とは脳の炎症のようなものなので、貴君がそんな状態で乙女くんを見ていれば認識が歪む可能性は大。しかし、人間と妖怪のカップルなんぞ用意できないので、人間同士だけど認識が盛大にズレているカップルを用意した。参考にしたまえ』だとか」

「参考に出来る気がしないのですがどうしたら」

「……『自分は彼女をありのままに見つめていこうと決心してくれたら幸いだ』だってよ」

「もう十分に決意できてる気がします……」

 考え込んでいた乙女がふと呟く。

「……確かにあの二人、どちらもかなりな性格をしておるが……なぜお前たちは気味悪がっているのだ?」

「え、乙女ちゃんあれ平気なの?」

 羽菜は信じられないものを見る目だ。乙女は全力で首を横に振る。

「平気ではない断じて平気などではない。よくわからんことを主張されるのは嫌だ。……ただ、そんなにも背筋を震わせるようなものなのかわからんでな」

「お? これは人間と磯女の違いかな」

 目くばせされた悠真は、普段の幹也のようにパソコンを構える。

「たぶん人間って、思考の整合性が取れてない人を見ると怖いと思っちゃうんだよねえ」

「整合性。つじつまか?」

「そう。紀衣香たんもスナジマンも頭脳明晰だと思うんだよ。そんでたぶん、お互いを好き合ってると思う」

「そこはわたしも異論はない」

「なのにそれを認めない。意地で否定してるんじゃなくて、どうしてか目の前にある事実を認識できないままずっと二人一緒。……なんか怖いんだよね……」

「ふむ」

 彼女は思考を読むのによく使っている、こめかみあたりからの髪をくいくいと動かす。

「わたしの悠真は、思考がおかしいだけで感性や感情はいたって普通なのだが、あの二人を読んでも、思考は正常なのに感情が崩れている」

 思わぬ流れ弾と「わたしの悠真」発言に動揺する悠真を押しのけ、羽菜が質問する。

「珍しい?」

「そも、髪での読み取りを試したこと自体が少ないゆえ、お前たちでいうところの、さんぷるが足りん。珍しいのか判断できぬな」

「そっか……うーん……街行く人を手あたり次第ってわけにもいかないだろうしにゃあ。研究で必要になると大変だし、先生に相談しとくよ。いつか実験しよう」

 羽菜も意外とマッドであり、実験となれば倫理を平気で飛び越えようとする。

 そんな一面を見るとやはり和井田の門下だと感じる。

「しかし、あの二人は揃って似たような状態だ。割れ鍋に綴じ蓋なのではないかのう」

「早く綴じてほしい」

 話しているうちに羽菜のスマホが鳴る。

「お、紀衣香たんから風呂のお誘いだ」

「よし、行こう」

「行こう。……たぶん砂島も同じタイミングで移動するから、悠真くんも一緒においで」

「は、はい」

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