第13話

「女将さーん、予約してた岸里ですー」

「いらっしゃい。よう来たね!」

 割烹着姿の中年女性が出迎える。

 そのすぐ後ろから、店主の中倉が顔を出した。

「おお⁉ 別嬪さんばっかりやなかか。こりゃサービスせんば」

「なに言いよーと、こんアホおやじ!」

 べしんと一発はたいてから、女将は頭を下げる。

「ごめんねえ、みんなよう来てくれたね」

「今日はよろしくお願いします」

 代表して羽菜が挨拶を述べる。

「はい、よろしくね」

 女将は悠真に向き直って店の奥を指さす。

「いつもの座敷空けといたけん。案内しちゃって」

「ありがとうございます」

 乙女と連れ立って集団を先導する。

 紀衣香が問う。

「いつものって?」

「人数が多くてゆっくり話したいお客さんのために、奥の座敷を空けてあるんです」

「へえー……いいわね、そういうのって。店も暖かい雰囲気だもん」

「はい。夜にかけてお客さんも増えますから、楽しいですよ」

 壁にかかった釣り具を見る幹也もぽつり。

「こう言うのもなんだけど、旦那さん、尻に敷かれてそうだったなあ」

「実際そうだが、仲のいい夫婦なのだぞ」

 引き戸を開けて靴を脱ぐ。靴ひものあるスニーカーに慣れない乙女は悠真が脱がせた。

 5人全員が座敷に座ったところで、水のグラスで乾杯をする。

「未成年の悠真くんがいるし、スナジマンは運転手だしで、本日はみんなソフトドリンク!」

「賛成です」

「気を遣っていただき……」

「当たり前だよ。アルハラも未成年飲酒もいけませんっ」

 そう宣言して、羽菜はメモをテーブルに置く。

「とりあえず、飲み物と最初の注文あったらここに書いて。私、エビフライとコーラ」

「はーい。羽菜ちゃん先輩の分も書いちゃいますね」

 紀衣香と幹也が阿吽の呼吸で書き終え、悠真と乙女に回す。

「乙女ちゃん、サイダーとおにぎりでいい?」

「うむ」

「じゃあ僕もサイダーと……たこわさに」

 様子を見に来た女将に、乙女が声をかけてメモを差し出す。

「女将よ。注文を」

「はいはい、ありがとね」

 受け取って去って行く女将にみんなで手を振る。

 ふと気づいたように羽菜が問う。

「乙女ちゃんも店主ご夫婦と知り合いなんだね?」

「そうなのだ。悠真が動けぬ間には、店長と女将がよく気遣ってくれたゆえ。わたしにも買い物の相場を教えてくれた。とても助かったのだぞ」

「あっ、そっか。80年前と現代じゃあ、物価も違うよね」

「うむ……わたしが人として暮らした当時では、単位に銭も使われておったからのう」

 歴史・文化に造詣の深い羽菜が目を輝かせる。

「現代の小銭や札のことは悠真が教えてくれたが、より安くより良い食材を買うとなれば相場を知らねばならん」

「さすが生活力高い」

「それに、身元を明かさぬわたしを信じて、バイトもさせてくれているのだぞ。なんと器の大きいことか」

「ってことは、悠真くんが大学に行ってる間でも外で活動してるわけだ。生活にハリが出ていいと思うにゃん」

「そうだな。働いてお金を得ることも張り合いがある」

 盛り上がる二人を、悠真も微笑ましく見守る。

「ますます良かったわね、悠真くん」

「はい。恩返ししてかなくちゃって思ってます」

 紀衣香の言葉に素直に頷くと、幹也も重ねて言う。

「マイペースな岸里にぴったりなバイト先じゃん。いい意味でアットホームでさ」

「本当に……僕、高校の時のコンビニバイトが散々で。拾っていただいて有難く思ってるんですよ……」

「散々って……何やったの?」

 不思議そうにする紀衣香に答える。

「よくわかんないんです。僕が接客するとお客さんが怒るんですよね」

「あらま」

「お前けっこう無神経だもんね」

「ひどいです先輩……」

「だって俺もバイト5連続クビんなってるよ? 空気の読めなさとか適応能力の低さでは岸里と同類だと思うんだよね」

「5連ぞっ……⁉」

 驚きで噛んだ悠真に代わって、紀衣香が諫める。

「もう。悠真くんと幹也のどこが同類なの? 悠真くんはクビになってないじゃない」

「マジ? ごめんごめん」

「まったく、幹也ったらいつも適当なんだから」

 こういうときは紀衣香もまともで安心できる。

 水を飲んで舌を落ち着かせる悠真に、二人は言う。

「俺らも和井田先生から指令を受けてるから、岸里に研究のコツを伝授する予定」

「私たちのそれぞれの分野から、アドバイスできそうなことを考えてきたの!」

「ありがとうございます!」

「ただ……いま居酒屋だし。旅館行って落ち着いた時間の時でいいかな?」

「もちろんです。よろしくお願いします」

「うふふ、礼儀正しい。かわいー」

「……」

 いつの間にやら、悠真の指に乙女の髪が絡みついていることに気付く。

「? なに、乙女ちゃん?」

 羽菜と談笑していた彼女は、むすっとしてこちらをにらんでいた。

「悠真はわたしの悠真であるゆえ。悠真も紀衣香も、努々ゆめゆめ忘れぬよう」

「忘れたりなんかしないよ。乙女ちゃんは僕の大切な乙女ちゃんだよ」

「んふん……」

 いそいそと寄り添ってくれるのも可愛くてたまらず、悠真は恋心を持て余している。

「乙女ちゃんかわいー。写真撮っちゃえ」

「え、あ、ちょ……」

 悠真が恥ずかしくて戸惑うのに対し、乙女は嬉しそうに寄り添ってピースサインを作る。

 撮った画面を乙女に見せて紀衣香が微笑む。

「乙女ちゃんのパソコン……銀太郎くん? 持ってきてる?」

「うむ」

「じゃあ、メールアドレス作ろっか。悠真くんとの写真、銀太郎に入れてあげる」

「!」

「旅館で作業しましょー」

「ありがとう!」

 酒は入らずとも、和気藹々と話は進む。

 改めて幹也に問いかけた。

「……どうやったら5連続でクビになるんですか?」

「なんでか知らんけど俺がシフト入ると客同士のトラブルとクレームの件数が跳ね上がるらしくて……『砂島くんには悪いんだけど』とか、もう聞き飽きたってくらいクビにされてる」

「不思議ですねえ……運の巡りなんでしょうか?」

「運もあるけどー。幹也ってば、どんな相手にも素で無礼だもの。クレームも入っちゃうわよ」

「……」

「無言にならないで、岸里? 俺だって頑張ってるんだよ? 目を合わせよう?」

「いえ……すみません……」

 和井田に向かってズケズケとものを言う場面を何度も見ているため、悠真が言えることは何もないのだった。必死で話の矛先を探す。

「そうだ、幹也先輩! えっと……」

「?」

「釣りの件、どうでしょうか?」

「ああ、うん。海釣りやりたいし、世話になるよ」

「良かった」

 話を逸らすことに成功したのと合わせて安堵する。

 幹也は、悠真にもたれて水を飲む乙女に視線を向けた。

「乙女さんに質問なんだけど……海って川よりムズい?」

「川の経験があるのならば海にもすぐ慣れるだろう。不安なら、わたしや店長に言ってくれれば教えるぞ」

「ありがたい。紀衣香と一緒に頼むよ」

「お前の相方も釣りをするのか?」

「私は幹也が魚釣りするところを写真に撮るのー☆」

「…………。良いのではないか、そういうのも」

「でしょー! 釣りする幹也カッコいいの」

「……紀衣香はさておき」

 スマホの《幹也フォルダ》なるものをいじり出した紀衣香を措いて、改めて幹也に伝える。

「海の魚は川よりも大きく力強い。場所によっては海底の地形や潮の流れを考慮する必要もあり、ファイトと知略を楽しむ釣り人も多いぞ」

「楽しみだ。またこの店来るよ」

「わたしも楽しみだ。従業員としても、釣り仲間としても嬉しい。歓迎しよう」

「はは、セールストーク上手かったね」

「ふふん」

 自慢気な乙女を心行くまで眺めつつ、悠真は川釣りについて質問をする。

「川の方が難しいの?」

「海より魚の警戒は強かろな。川は水が澄んでおり水深も低い。そばに立てば人の影が見えるゆえ、すぐさま引っ込んで身を隠してしまうぞ」

「……川釣りにも詳しいんだね」

「いまのはわたしの経験からの推測と、川釣りを趣味とする客からのまた聞きだ。……川にもいつか行ってみたいのう……」

 そのセリフに幹也が反応する。

「お? 乙女さん川釣り行く? 阿蘇とかいい場所あるよー」

「む……気になる」

「岸里も一緒にどうよ」

「行ってみたいです」

 釣り談義を楽しんでいると、中倉がお盆を抱えて戸を開ける。

「タコワサとエビフライお待ち!」

「あ、タコワサ僕です」

「案外渋いの頼みよる……エビフライは?」

「エビフライ、私! ありがとうございます」

 平穏を噛みしめていた羽菜が挙手。英気を養っていたらしい。

「はいよ。あっついけん、気を付けて」

「ありがとうございます」

「やー、飲み物も料理も、遅れてごめんな」

「大丈夫ですよ。私らそんなに急いでませんから、ゆっくりでも」

「ありがとう」

 それから、全員分の飲み物と頼んだ料理、お詫びにと海鮮サラダを並べていく。

「……あ、さっき聞こえたんやけども。そこの兄ちゃん、釣り来てくれると?」

 ヒレカツを食べる幹也が頷いた。

「あ、はい。単位取り終わってこの時期暇なんで、海釣り挑戦したくて」

「おー、嬉しか! 楽しみにしとーばい!」

「よろしくお願いします」

 中倉は気の良い笑みを見せて座敷を去って行った。

 なんとなく全員で手を振る。

「幹也、ソースついてるわ。拭いてあげる」

「お、ありがと」

 幼馴染コンビはどう見ても付き合っていると悠真でさえ思う。

 羽菜は嘆息と呟きをこぼした。

「……ほんと、なんで付き合ってないのかにゃあ?」

「「幹也(紀衣香)だから付き合わない」」

 互いに互いを指さしての答えは謎に満ちているが、二人の間には通じる何かがあるらしく、なぜか満足そうだ。

「実はあの二人の方が得体のしれない妖怪なんじゃないかと思えてきた……」

「迂闊に突っ込んだらどんどん闇が見える感じが怖いですよね……」

「んむ? ……むむう」

 悠真からタコワサを分けてもらって食べていた乙女が目を輝かせる。気に入ったらしい。

「悠真、悠真。タコワサもういっこ分けておくれな」

「乙女ちゃんに癒されます……」

「くそう、これだから独り身は寂しい」

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