第8話
以降も様々な話し合いが行われ――
「やってきたぜ、悠真くんと乙女ちゃんの愛の巣に!」
結果、悠真の自宅にて羽菜がヒーローの登場シーンを演出していた。
効果音はスマホスピーカーから自作のサウンド。爆光エフェクトはミニプロジェクタで壁に投影。ポーズは往年の戦隊ヒーローのリーダーをオマージュ。
無駄な凝りように悠真がたじろぐ。
見慣れない乙女は驚きつつもはしゃいでいた。
「おおお! 羽菜も光と音を操るのか!」
「なんだい、悠真くん先にこういうの見せちゃってたの? 言ってくれたら魔法少女バージョンで来たのにぃ」
「いえ……僕が見せたのは鉱石ラジオとロウソクライトです……そんなに凝ったものでは」
乙女には、光と音を発する電子機器が同じように見えているだけである。
「楽しかったぞ! 舞台ならおひねりを飛ばすところだ!」
「光栄ですぜ、お嬢さん」
現在、ゼミから羽菜の自宅に立ち寄り、荷物を詰めたいくつかのボストンバッグとスーツケースを手分けして持ってきたところである。暗くなってきた頃には、乙女が髪を持ち手に絡ませて悠真と羽菜に助力したが、助力があろうともインドアな理系二人には辛いものがあった。
悠真と同じかそれ以上に疲労しているはずの羽菜だが、テンションが上がってしまったようで、乙女と戯れている。
「……二人、とも……お元気ですね……」
畳の上でダウンする悠真を得意げに見下ろす。
「ふふん。わたしは月光に体を癒せるゆえ、体力が違うのだ」
「疲れてるはずなんだけどハイになってる!」
「羽菜も元気そうで何よりだ」
悠真は身を起こして洗面所に向かう。
「お風呂溜めますから、二人で入ってください……」
「いいの?」
「はい。男の後風呂に入らせるわけには」
「聞いたか、乙女ちゃん。紳士だね」
「そうなのだ。……わたしは一緒に入りたいのだが……」
悠真は最後の力を振り絞り、廊下を走り抜けた。
体を洗い流してほしかったのはリラックスして乙女の料理を味わってほしかったからで、悠真の考えを感じ取った乙女は羽菜を連れて風呂場に向かってくれた。
悠真はアジのなめろうやサラダを盛り付け、白米と味噌汁を温め直したところで、あがってきた乙女が交代する。
シャワーで済ませて出ると、エプロン姿で一品追加する乙女が出迎えてくれた。
夫婦のようだと思った途端、和井田から赤裸々夫婦生活と評された《乙女ちゃん観察記》が連想されてしまう。
それを見た羽菜はにんまりと笑い、乙女はきょとんとする。
二人の対比がなんだか可笑しかった。
「わたしの昼の残りで申し訳ないが、召し上がれ」
「「いただきます」」
悠真と羽菜で乙女に会釈し、手を合わせて箸を取る。
料理長を務めた乙女は、頷き返してなめろうを食べ始めた。
「うっま。……今まで食べたどんなアジより美味い」
一口食べた羽菜が目を丸くする。
「今日の朝釣ったばかりであるゆえ。次も美味しい魚を食べさせてやろう」
「よろしくおねしゃす」
乙女からサイダーを注がれた羽菜は、恐縮して肩を竦める。
「やー……いたれりつくせりですな。泊めてもらおうってのに」
「良いのだ、羽菜よ。お前は悠真が尊敬する先達にして、世話になっているお姉さん。もてなすのは当然」
「あらやだ嬉しい。悠真くんそんなふうに思ってくれてたんだね」
悠真は思わぬタイミングで暴露されて動揺するも、乙女は気付かない。
「人の子にとっての富を持たぬわたしには、これができる限りのもてなしであり、心ばかりの歓待だ」
「?」
「悠真が夜な夜な弄り回す薄板と同じのをくれるのだろう⁉ 楽しみにしておるぞ!」
乙女は、羽菜が整備して持ってきたお古のノートパソコンが欲しいのだ。
簡略化した説明ながら、パソコンは個人情報の塊であり価格も決して安くはないもので、安心して渡すために準備をしてくれたのだと悠真からも教わり、彼女は羽菜の厚意にいたく感激しているのだった。
「見た目は違うけど、機能は大体同じ。悠真くんと話したり手紙送り合ったりもできるよん」
「んふん……」
羽菜は「チョロくて可愛い」と和んで料理に舌鼓を打った。
全員が食事を終えて、皿洗いに移動しようとする悠真を羽菜が引き留める。
「乙女ちゃん一人じゃわかりにくいでしょ。そばに居たってよ」
「は、はい」
「んよし」
家から持ってきた銀色のノートパソコンをテーブルに置いた。
縦横はB5用紙ほどで小さめだが、パソコンの自作と改造を得意とする羽菜が持ってくるからにはモンスター性能に違いない……と悠真は睨んでいる。
「設定は粗方済ませたからご安心。おまけで余ってたウイルスソフトも入れた」
「はい」
「各種パスワードとネット接続は自分たちでやってね。特に、パスワードとフィルタ設定はよく話し合うように」
「もちろんです」
乙女にいかがわしいサイトや動画を見せたくない。
「そいじゃ、乙女ちゃん……」
「う、うむ」
待ち遠しそうにソワソワする乙女に、悠真のみならず羽菜も胸を抑える。
「んっん。ごほん。……こいつは今から乙女ちゃんのものだ」
ケースを下敷きにして卓上を滑らせる。
「はい、どーぞ」
「ほわああああ……!」
嬉しそうにパソコンを撫で始めた。
「先輩! ありがとうございます」
「よすよす。頑張った甲斐があるってもんさ」
彼女は乙女を優しい目で見つつ、壁掛け時計を指さす。
「……っても、もう今日は疲れたし……使い方は明日でいいかにゃー」
「うむ。また明日だ。今日はともに寝ようぞ」
「美少女のお誘いは嬉しいね。紀衣香たんに知れたら刺されそうだ」
「悠真、お布団使って良いか?」
「うん。押し入れにあるから、好きなように使って」
「ありがとう!」
彼女が交友関係を広げていくことを感慨深く思いながら、しかし、磯女らしい彼女を見たのは自分だけであることに少しの喜びを感じる。
そんな自分を少し恥じる。
「おやすみ」
「おやすみなさい」
明日の準備を終えて部屋に向かう二人と別れ、悠真は二階の自室に入る。
いくつかの本棚と、作りかけの回路と機材があるばかりの、殺風景な部屋。
乙女が来てからは加湿器を作ったきりだが、彼女が喜んで使ってくれているために、かつてない満足感で心が満たされているのだった。
今日もパソコンで図面を引きながら、本日のゼミで言われたことをぼんやりと考えていた。
すなわち、磯女を研究しろという指令について。
「……」
大学一年生の自分に――様々な事情が絡みつつも――未知なる生命体の観察研究という大役を任せてくれたことは心から嬉しく思えた。
しかし、不安は募るばかりだ。
(……乙女ちゃんの研究は僕の分野から遠い……)
機械いじりが高じて、用途が謎のロボットを制作する和井田の研究室に押し掛けたはいいものの、和井田の研究は機械工学のみならず、理系の基礎である数学・自然科学まで幅広い。
生物や心理の分野で自分が喰らいついていけるのか。研究を引き受けることで進路等に遠回りになってしまわないか……ネガティブな可能性が頭を巡る。
悶々としているとソフトがエラーを吐いた。
「うわ……」
メッセージを読んでみれば、想定されない数値が入力されて出るエラー。上の空で打ち込んだ数値がどこかで間違っていたらしい。
修正作業の最中、控えめなノックが鳴る。
「? ……どうぞ」
「うむ、邪魔するぞ」
振り向けば、パジャマ姿の乙女。
「どうかのう。……羽菜に着せてもらったのだが……」
「か、可愛いよ」
「む……そうか。可愛いか」
シャツのイチゴ柄をなぞる姿は文句なしに可愛いと感じる。
いつも寝間着には浴衣を選んでいたから、悠真にとっても新鮮だ。
「パジャマで部屋に来てくれて、嬉しい。気を許してくれてる感じが、するので……」
「そ、うか。うむ。そうか」
足音を立てずにやってきて隣に立つ彼女。髪から良い匂いが香ってどぎまぎする。
「悠真よ」
「ひゃいっ?」
乙女はイチゴパジャマで胸を張るのだが、大きめのシャツは微妙にサイズが合っておらず、目のやりどころに非常に困る。
「わたしには、お前が研究を不安に思っていることなどお見通しなのだぞ」
「えっ。あ……そっか。汗でわかっちゃうんだよね」
「いや、体臭でわかるようになってしまった。……悠真限定であるゆえ、血を吸い過ぎたのやもしれん」
「はぐあ⁉」
先ほどから乙女の耳が赤いと思っていたが、気のせいではなかった。
「羽菜から、悠真は『基盤と歯車に欲情する変態』と聞いて不安だったが……わたしにも魅力を感じてくれているのだな……」
「なんでそんな紹介されてるの僕⁉」
「さておきだな」
「待って乙女ちゃん詳細を教えて……‼」
「無理だ。羽菜が寝ているゆえに」
悠真が渋々諦めると、彼女はシャツのあわせを直してからまた胸を張る。
「……さておき!」
こちらをびしっと指さす。
「和井田がお前を心配しながらもはっきりと信頼しているのだって、この乙女にはお見通しなのだ!」
「え……」
「羽菜の泊まりを推したのも、距離の近い先輩を相談役に、将来への不安を吐露した方が良いとの判断。本日のパソコンだって、裏でこっそり羽菜に『赤嶺くんのお古ってことで改造していいよ』と渡している」
「…………」
和井田はゼミの終わり際に「いけ、赤嶺くん。二人をひっかきまわすんだ」と面白がって押し出していた……ように見えたが、その実は悠真への遠回しな心遣い。
「お前が思うより、お前の師は口下手で恥ずかしがり屋なのだぞ。不器用ながら生徒思いな先生を信頼せよ」
「……うん。月曜のゼミで、いろんなこと聞いてみるよ」
「あれこれ理屈を並べながらも丁寧に教えてくれることであろうな」
「そうだね」
みんなで話せると思うと楽しみで仕方がない。
「……まだまだ未熟者だけど、論理的思考を目指して頑張るよ」
「応援しているぞ!」
「ありがとう」
彼女と出会って、悠真は思いを言葉に出すことの大切さを知った。
日頃の感謝を続けようとしたところで、手の形に編みあがった彼女の黒髪が、悠真の口をそっと塞ぐ。
「……悠真からわたしに一方通行なのは、寂しいから……」
「?」
「悠真に会ってから、わたしはすごく楽しい」
黒髪がふわりとほどけて、隠されていた花を悠真の手のひらに落とす。
乙女は真っ赤な顔で叫んだ。
「いつも、ありがと!」
捨て台詞のようにして部屋を飛び出す彼女を、波打つ黒が追いかけていく。
「……」
脳裏に焼き付く美しいシルエットと手のひらのツツジ。
言葉に出来ない感情の連続に、悠真の思考は容易く処理落ちした。
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