第5話
【――5月10日――
今日はバイト先の店主さんに連れられて、釣り場に行った。
生で見たのは初めてながら、乙女ちゃんは釣り上手だと再認識。格好良かった】
「良いか、悠真。釣った魚はすぐ締めよ。締めないのならば生かして留めるが良い」
「し、ししし絞める? 首を?」
「とどめを刺すことだ。……うむ、アジならば氷締めが良かろう」
まごつく悠真をそっと押しのけて、氷を敷いたクーラーボックスに小魚を投入していく。
「あわわ……凍ってるう……」
「氷に入れてんだからそりゃそーだわ!」
がっはっはと笑うのは、悠真のバイト先である釣具屋店主の中倉。
夫婦で居酒屋も営んでいることもあり、還暦を見据える年齢であっても溌溂とした男性だ。
「う……店長。ですが、魚がこうして凍っていくのを見るのは衝撃でして。……乙女ちゃんはいつもこうしてくれてたんですね……」
「なんでものろけに繋げやがってよう、こーの色男!」
「あぼっ」
背中を叩かれてむせる。
「悠真のことだ。『冷蔵庫を持ち出せないかなあ』なんて思っておったのだろ?」
釣竿をしならせ、糸を縦横無尽に操る姿は勇ましくも美しい。
リールやルアーをも容易く使いこなした磯女は、今では「しばりぷれいだ」と髪の使用を自ら禁止してすらも百発百中のヒットを見せる釣り師になっている。
「またアタリ。腕が良いねえ! よっ、釣り名人!」
「ふふ、当然だ。竿と糸を我が腕としたいま、わたしに釣れぬ魚はないのだから!」
誉められて嬉しそうにするのも可愛らしく、余所見をした悠真は釣り針を指に刺した。
針を抜いて傷を洗って消毒をして……と一人で悪戦苦闘する。
「? ……む、大きいのを引いたようだ」
「よし、おっちゃんが網で取っちゃる」
「頼んだ」
「おう」
若い女性が釣りに興味を持ってくれたのが嬉しい中倉は――磯女とは知らずとも――あれやこれやと乙女に釣り具を譲り、使い方を教えていた。
彼は網を構えてうんうん頷く。
「彼女さんの方が海に強いってな妙なもんだ。なあ、悠真?」
「う……精進します」
悠真は口ではそう言いつつも、長年海の中で暮らした乙女を追い抜くのは到底不可能だと感じている。
「店長。上がってきたぞ」
「お! ……って、大きかね! 乙女ちゃん大丈夫と⁉」
「でんどうりーるのついた釣竿には容易いことよ!」
海に慣れない悠真の目には、姿を捉えることも難しい。
しかしやがて、水中を疾駆する何かがゆっくりと水面に引き寄せられていく。
「乙女ちゃん、せーので合図な!」
「うむ! ……せー……のっ!」
「おいさ!」
ザパアっと豪快な水音とともに魚が入り込む。
引き上げを手伝う悠真も、魚の重さと力強さに驚いた。
「すごい。大きいですね!」
「こりゃ大物釣ったなあ……」
「ふ、ふはは……魚も、やるではないか。手古摺らせおって」
息を吐く乙女に、少し疲れが見えた。
海中で魚を仕留めることの方が多い彼女にとって、浮力の存在しない空気中では労働量が増すのかもしれない。そう思い、悠真は急いで経口補水液を乙女に飲ませる。
「……ありがとう」
「手伝えなくてごめん」
「ふふ、もやしっ子め。……心配してくれて嬉しいぞ」
額を指で優しくつつかれてぽわんとしてしまう。
魚を繋ぐ中倉は呆れの目線を送りつつ、ふと空を見上げた。
「……海が荒るる」
「む……」
「空気がおかしか。荒れんうちに帰ろう」
「では、こやつ締めてしまおう」
「手慣れとうね。悠真、海水ば汲め」
「はい!」
悠真には一見理解しづらい作業ではあったが、乙女の手際とともに、中倉が締め方や血抜きの方法、その目的を解説してくれたため、すとんと腑に落ちた。
次からは乙女と中倉を手伝いたいと思いながら頭の端にメモする。
「……海で見たことは多いが、名は知らぬ。こやつ、名をなんというのだ?」
「メジナ。中でもクチブトいう大物ばい」
「ほう……」
「でかした乙女ちゃん! これで嫁さんに説教されんっ!」
「横取り……?」
「この年んなると腰が痛かー……二人じゃ食べられんやろう? 夕飯に分けてくれんか」
「む、そうであったか。他ならぬ店長の頼みだ、聞こう」
「ありがとう、乙女ちゃん!」
「うむ」
釣った魚を分け合い、中倉に町まで送られて辿り着いた帰路。
悠真は乙女と共に星を見ながら、疲労とクーラーボックスを抱えて歩いていた。
「今でも思い出す。釣竿を握る悠真の困り顔……愛くるしい。上がったアジ相手にてんてこ舞いをするものだから、海に落ちようとでもしているのかと思うた」
「つ、次からはやらないから! 僕だって格好いいとこ見せたいんだよ⁉」
「いつも男前ではないか。ふと見せる可愛さに胸がズドンと……うむ、これこそギャップというやつだな」
現代社会に疎い乙女だが、生来の聡明さで現代語の学習を続けている。
「ううう……」
「むしろ、なぜ素人で釣具屋なぞに働きだしたか気になるぞ?」
「実は、こっちに来るまでも母の親戚の家に遊びに来てて……小さい頃から遊んでもらってたから。中倉さんに恩返しのつもりで頼み込んだんだ」
「得意のからくりで手伝っておるのか」
「微力ながら」
「謙遜しおって」
何気ない話をしているだけなのに心が弾む。
隣を歩く彼女を見て、陳腐ながらもこれが恋なのかと感じた。
「今日の一面でますます惚れ込んだ」
「……僕も、勇ましい乙女ちゃんに見惚れたよ」
二人は星の出始めた空の下を歩いていく。
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