第3話
ホワイトボードの前に四人掛けで折りたたみの円卓を用意。元のスペースにあった二つの長机を左右に配置して、インタビューが始まった。
挟んで向かい合う形に和井田と乙女。
和井田の隣には書記として幹也が、乙女の隣にはサポート役として羽菜が着席している。
「ではでは早速の質問を」
「その前に」
乙女が小さく手を挙げて制する。
「お前はわたしのことを『究極の異文化』と評したな。わたしは人ではないとはいえ、古来より日の本の海に住まう磯女の末裔である。
「そうだね。まずは、気分を害したことを謝罪しよう」
「……ふん」
長机の悠真が心配する様子でいるのを目の端に見ながら、彼女は手を振って下ろした。
「出鼻を挫いてすまなかった」
「構わない。お互いの理解を深めるには齟齬の解決を目指すべきだ。そして、教員である私はここに居る誰よりもあなたに気を遣うべきだった。申し訳ないね」
「む」
「これは私なりの答えなのだが……文化は育った環境が形作る。我々は、森を切り拓き地表に異物を作り上げることで生きる人間。そうして生きてきたから、今の文化がある」
「……」
「海中を漂い、髪を生きる
「よくわかった。丁寧に答えてくれてありがとう」
「どういたしまして」
悠真にも向けて捕捉する。
「デザイン学のレポートで岸里くんが想定していた相手は、海外からの観光客だね。しかし、違う風土で価値観を育み文化を得た人物であれば違う地方の人でもいい。というか大学側で残ってもらうのもほとんど国内の方だよ。レポートの問題文は最後まで読みたまえ」
「えっ」
呆然として固まる悠真を大笑いする寸前で、和井田はこほんと咳払い。
「……まあ、その勘違いがなければ乙女くんを連れて来てくれなかったろうから、感謝しておこうかな」
「悠真はおっちょこちょいなのだな」
「あっはっは、おのろけしちゃって可愛い妖怪さんだ」
「先生、あと20分以内でおねしゃす。18時近いんで」
「おっと。砂島くんは優秀なタイムキーパーだね」
「紀衣香と夜7時のバラエティ見る約束してるんで」
乙女をうっとり見つめる紀衣香を指さす。
「貴君らはなんなんだ。……まあいい」
諦めの息を吐き、改めて乙女に向き直った。
「貴君がどんな生活をしているのか教えてほしいな」
「良いぞ」
彼女は嬉しそうに語る。
「朝5時、わたしは悠真の隣で起床し、朝焼けの堤防へ向かう」
「ほう」
「釣り上げた魚を持ち帰り、悠真から預かる財布で市場を物色。6時ごろに戻り、用意した食材で朝ごはんを作る」
「ほうほう」
「ねぼすけな悠真を起こしたら体温を測って調子を見る。食欲の具合に合わせて朝食を盛り付け、二人で食べる」
「ほうほうほう」
「身支度を整え、粗方の家事を終えるのが9時ごろか。勉強の合間の悠真に現代の常識を教わりながら、無理をしやすい悠真を監視する。ようやく回復してきたばかりだというに、根を詰めてしまう。困った夫なのだ」
悶える悠真を横目に見ながら、和井田と砂島がそれぞれ呟く。
「ラブラブ新婚生活の方じゃなく、そうなる前の磯女生活が聞きたかったんだが……」
「天然っぷりが岸里にぴったりですね」
「まあ、さておき。岸里くんにも質問だ」
「は、はい。なんでしょうか」
生真面目に姿勢を正す。
「吸血事件の後、病院にはかかったのかな?」
「はい。僕はそのまま砂浜で倒れてしまったんですが……幸いにも、バイト先の店長が浜釣りに来た際に発見してくださいまして。病院に運んでくれたんです」
「その間乙女くんは?」
「……わたしが磯女どうこうはさておき、加害者と名乗り出ようかと思うたのだが……悠真が『献血した後に調子に乗ってしまった』と言って庇ったのだ」
未だに気に病む乙女を励ますため、離席してそっと背中を叩く。
「病院でずっと付き添ってくれたじゃないか。……手料理だって、一人暮らしの僕には何より嬉しかったよ」
「悠真……」
「ははは、二人の世界は二人きりの時に作りたまえ。して、庇った動機は?」
「僕がしたことは、溺れている人に近づくのと同じだったんです。死に物狂いで腕や足を掴みますよね?」
「素人の水難救助を難しくさせるあれか」
「はい。それの磯女バージョンといいますか。弱ったところに生き物が近づいて、本能的に血を求めたのではないかと。そして、掴まれた僕もそれを振り払う体力はありませんでした。つまり、不幸な事故だったんです」
「なるほどね。彼女に非はない、と」
「もちろんです」
またもぽうっとする乙女に見惚れながら、話を続ける。
「その後はすぐに退院できまして。でも、どことなくふらつくものですから、乙女ちゃんが僕を支えて家まで送ってくれたんです」
「そこから共同生活を始めたんだね。いまは大丈夫?」
「はい。乙女ちゃんのお陰です!」
「……はう……」
「うーん……微笑ましいバカップル話も楽しいが、もっと気になることがある」
「? あ、乙女ちゃんの可愛さですか?」
「それを冗談でなしに言うのが貴君の怖いところ」
半分ほど疲れた様子でため息。
乙女をじっと見て、和井田は質問を再開する。
「岸里くんの吸血は除外するとして……普段は獲物として人を狙わないのかな?」
「昔ならそうしたろうが、昨今では人ひとり死ぬと犯人や原因を探し回るでな。海を荒らされるのは好かん。大人しく魚を捉え血を吸う方が良い」
「今のは現代において人を狙わない理由だね。かつて磯女たちが人を狙った積極的な理由は、何だと思う?」
乙女は面食らったような顔をして、しかし、すぐに考え始めた。
それを見た和井田が楽しそうに唇をたわませる。
「……悠真の血を吸った瞬間、記憶が流れ込んだ」
「ほう」
「わたしには解らぬ難しげな機械をいじり、試行錯誤する手つきと思考。完成した喜び。発表を終えた安堵と達成感……解らぬことばかりであれど、その努力と幸福はわたしにもはっきりと伝わってきた」
味を思い出すように、味わい直すようにしみじみと言う。
「確かに岸里くんは、連休前に四国でデバイスのアイデア発表に参加していたね」
「吸った当時、そういった情報は知らなかった。しかし、悠真の血は、耽美な甘さと切ない酸味を含んでいたのだ」
視線をはっきりと悠真に向ける。
「単なる磯女であったわたしが、単なる人間の一体である岸里悠真を強く認識するほどに、深みある味わいであった。……思うに我ら磯女は、人の血に宿る記憶の味が恋しくて人を襲っていたのかもしれん」
「……面白い仮説だ」
和井田は幹也が見せる画面にOKサインを作りつつ、語りを受けての意見を述べる。
「実際、献血や臓器の移植を行った際、記憶や人格の一部も移植されたかのような現象が報告されているんだよ。磯女はそういったものを感じ取る能力があるのかもしれないね」
「人間も鈍いわけではないらしい」
「そうだといいなあ」
にんまりと勢いよく振り向く准教授は、実に不気味であった。
「して、岸里くん。人を殺せる妖怪の彼女をどう思う?」
しかし、その程度で怖気づくほど悠真は弱気ではなく――尋常でもなかった。
「先生、お言葉ですが。その物言いはいかがなものかと思います」
「?」
「条件さえ揃えば人は人を殺せます。人間は蚊に次いで人間を殺している生き物ですよね?」
「……まあ、そうなわけだが」
「人同士の事件が数多あると考えれば、乙女ちゃんの同族さんが人を殺していようと関係のないことです。乙女ちゃんが殺しているかどうかも確定していないのに失礼だと思いますよ」
「あははは。このセリフで楽しそうな貴君の方が妖怪より不気味だ」
浮かべていた笑みを微苦笑で上書きする。
「……ついうっかり、ふとした瞬間にそういったことを考えてしまうかと思ったんだが……無用な心配だったか」
「和井田先生もけっこうな遠回りするんすね」
「幼馴染相手に遠回りし続ける貴君には言われたくない」
「? 紀衣香には素直なつもりなんすけど……」
「…………。ああ、うん……そうかもね」
鈍い悠真と紀衣香は疑問符を頭上に浮かべ、羽菜は嘆息する。
「ま、いっか」
輪をかけて鈍い幹也はあっさり疑問を振り捨てて、羽菜に言う。
「今日の議事録、研究室サーバにあげときますんでヨロです」
「ありがと。……先生、乙女ちゃんいじめは満足?」
「いじめてなどいない。失礼だなあ、赤嶺くんは」
和井田の言葉に乙女も頷く。
「うむ、いじめられてなどいない。して当然の、いわば論理的な質問ばかりであった」
「そうそう。論理に則るのが私のポリシー。わかってるじゃないか、乙女くん」
「人を容易く殺せるわたしを警戒し、積極的な殺意があるかどうかを確かめていた」
「そうそ……」
「敢えて言葉を選ばぬ質問をすることで、わたしが簡単に怒り狂うことがないとも確認した」
「……。えっとね。乙女くん、ちょっと」
「そうだ。ちょっとやそっとで人を殺すようでは人間の中に居させられぬだろう」
「あのね」
「悠真を妖術か何かで騙してはいないかとも気にしていたようだ。口ぶりはともかく、生徒思いの教員ではないか。拍手を送るぞ」
「…………。おい待て諸君。その顔をやめたまえ」
研究室の古参三人は困惑混じりに喜色を見せ、新人である悠真は和井田への尊敬の念で眼を輝かせている。
「嬉しいけど、生徒思いだったの……?」
「やっぱり口では言いながら優しいんですね。なんだか嬉しい!」
「あざす。嬉しいっス」
「ありがとうございます、先生!」
和井田は自身の研究生を順繰りに指さす。
「別に私は貴君らなんて好きでも何でもないし、どこで死のうと構わない。心配なんてぜーんぜんしてない。乙女くんに殺されても笑ってやる」
「なんで泣いてんの」
「泣いてない! 勝手なことを言わないでくれたまえ‼」
茶化す羽菜をキっと睨みつけながら地団太を踏む。
「ばーかばーか! 夜道をうっかり出歩けばーか‼」
「「「……………………」」」
かつて見たことのない取り乱しように呆然としていると、和井田は自身の荷物を抱えて出て行ってしまった。引き留める間もない。
たった一人、乙女は満足げに息を吐いた。
「ふふん。やはり、そういうことなのだな。……知見の深い者と話せば、この年になっても発見があるものだ」
乙女は、和井田の首筋にこっそりと沿わせていた髪の毛を指でこする。
気付いた羽菜が呟く。
「……汗から感情を読んだのにゃあ」
「うむ。血ほどには濃く感じ取れなかったが、あやつの考えと感情はうっすらとな」
「はー……あのKY田を取り乱させるなんて凄い威力」
「?」
普段の和井田を知らない乙女が首を傾げる。その仕草に悠真が悶える。
羽菜は「面倒臭ぇなー」と呟きつつ、手を叩いて注目を集めた。
「先生が行っちゃったから、私がとりまとめるぜ」
「はーい」
「うっす」
「よろしくお願いします」
ここに居る面々は和井田に放置されることに慣れている。
暴走や放置の際には、羽菜がまとめ役になるのはいつものことだった。
「ではまず、乙女ちゃん。これからも大学に遊びに来てよ」
「良いのか?」
「モチのロンよ。……あ、日の光がダメなら無理しないでほしいんだけど」
「昼の中天でもない限りは弱らぬ。どちらかというと気温と湿度の方が問題だな。……行けるときには悠真に伝えてもらおう」
「ありがとう! いやー、和井田先生だって、乙女ちゃんにもっと質問したいことあるはずなんだよ。なのにあんなさー……」
「ふふ……確かに、好奇心を我慢しておったな。お前たちのために」
「ごめん、ギャップを受け止めきれないからその話はまた今度でお願い」
「?? ぎゃっぷ?」
「認識のズレのことだよ、乙女ちゃん」
「そうか」
乙女に研究室の鍵のナンバーを教えたり、次回の連絡事項を確認したりとゼミを締める。
そして、話の終わりは悠真への指令。
「乙女ちゃんの観察日記をつけてくれる?」
「か、観察日記ですか」
幹也と協力しながら、四人掛けのセッティングを髪で戻す乙女を見つめる。
「……書いたときは乙女ちゃんにも見せます。いいですか?」
「交換日記か。いいと思うよ。むしろそれがいいね」
羽菜は楽しそうに親指を立てた。
「新婚生活、楽しんでね!」
「結婚してないんです……!」
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