第1問 論理的命名

第1話

「――以上がゴールデンウィーク中の報告事項です」

 しんと静まり返る一室で、九州のある大学の1年生:岸里悠真は、ロウソク風ライトのスイッチを切った。

「……」

「……」

「……」

 誰一人として身じろぎもしない、真に迫る空気感。

 それを打ち破るように大きな拍手が鳴り響き、電灯が点く。

「ナーイッス、パッフォーマンス! いい。素晴らしいよ岸里くん‼ 今のが講義のプレゼンだったら文句なしに単位をおひねりするところだ‼」

 欠片も空気を読めずに大はしゃぎするのは、この部屋――研究室の責任者。

 名を和井田一葉わいだかずは。肩書に准教授の三文字を掲げる若き鬼才だ。

「黙りやがれ先生‼」

 司会役の修士1年:赤嶺羽菜あかみねはなが絶叫する。

 しかし、和井田はお構いなしで一気に褒めちぎる。

「いやあ素晴らしい。そのライトは自作? さすが我が研究室のホープ! ハード制作はお手の物だね! それにそれに、生きているうちに『お兄ちゃんの友達が言ってたんだけど』以外の出だしで怪談を聞けるとは思わなかった! 年甲斐もなく興奮したよ‼」

「話を聞けよばかぁ!」

 羽菜が泣く様子を見て、悠真は深く頭を下げる。

「す、すみません! 和井田先生が以前仰っていたことを心がけたつもりなんですが、上手くいかなかったようで……! 力不足でした!」

「大成功してるから泣いてるんだよ、おまえもばかか‼」

「ひっ。すみません……!」

「何を心がけたら報告事項を怪談噺にしようと考えつくのぉ……」

「わかるよ。わかるとも、岸里くん。私のアドバイス……つまり、《インパクトある学会発表の心得49カ条》を参考にしたんだね! 嬉しくなっちゃうなあ」

「キリ悪っ。あと一個頑張れないんですか」

「49個も捻り出せるの凄くない?」

 口々に言う二人は、学部4年の砂島幹也すなじまみきや西紀衣香にしきいか

 悠真にとって、この部屋に集う顔ぶれは尊敬すべき先輩方と先生だ。自分のせいで彼らが言い合うのは望ましくなかった。

「本当に……すみません……」

「……いいよ。どうせ、そこのKY田先生が変なこと吹き込んだんでしょ」

 羽菜は姿勢を正し、悠真に問う。

「で、報告事項って言うからには、ほんっとーに起こったことなわけ?」

「はい」

「天地神明に誓って嘘はない?」

「ありません」

「悠真くん以外が言ってたら鼻で笑うのになぁ……」

 その呟きに、ほかの面々も頷く。

 和井田が改めて口を開く。

「全員一致で賛同が得られたところで。岸里くんに何が起こったのかを論理的に考えてみようじゃないか。岸里くんが我々に話した理由もね」

「……私たちが推理するってことですね?」

 紀衣香の問いににっこりと頷いた。

「もちろん。……どうやら本人、解き明かされるのを今か今かと待っているようだ」

 いたずら心を見抜かれた悠真は、恥ずかしそうに首を竦めて着席する。

 長机を挟んで斜向かいの幹也が口火を切った。

「話し始める前に、岸里はカーテン閉めて灯りを消したいって、ローソクみたいなライト出してきたじゃん。あれって百物語的な感じ?」

「ネット動画を参考にしました」

「好奇心と引き換えに恐怖心が死滅した悠真くんでさえ、さっきの話は《怖い話》に分類するのね……実話と考えるしかなさそう」

 悠真は科学的に証明できるもの、あるいは自らの目で見たもの以外は決して信じない。

 ただし、実際に見てしまえば科学的に証明されているかどうかは構わないというスタンスの人間でもある。

 その評価は出会って1か月の研究室の面々も認めるところであり、そうとなれば今回の悠真に非科学的な現象が起こったのは事実であると結論付けるほかない。

 羽菜は未だに悠真を恨む様子を見せつつ、最年長らしくホワイトボードの前に立った。

「怪談を共通認識にしてきたもんね……まさかやると思わなかったけど。ダメージを負った先輩だけどやってみせちゃうぞ。先輩の威信にかけて!」

「ひゅーひゅー! 可愛いよ羽菜ちゃん!」

「セクハラだぞKY」

 爪を切りながら適当にはやし立てる和井田に舌打ちを一つ。

 忙しくない時期の和井田研の基本は、一人が議題を持ち込み全員で議論を行うスタイル。指導教員の立場でありながら事態をひっかきまわして困らせる悪癖のある和井田に代わり、羽菜が司会を買って出ることが多い。

「うし、やるか!」

「羽菜先輩、私から」

「お? 紀衣香たんには珍しい積極性だね」

「うふふ」

 羽菜の言う通り、悠真にとっても、紀衣香はいつも少し離れたところから趨勢を見守っているイメージがあった。

 今回のように口火を切る姿は新鮮だ。

「じゃあ、私から質問」

「はい」

 悠真が頷く。

「可愛い? きれい?」

「可愛いです」

「声は?」

「きれいです」

「雰囲気は?」

「凛としています」

「スタイルはどうかな。特に身長」

「身長は……たぶん、僕と同じか少し低いくらいですね」

「そう。肉付きは? スレンダー? 適度? グラマラス?」

「肉付き⁉」

「じゃあ言い換える。胸は大きい? 足は筋肉質? それとも華奢?」

「だ、ダメですからね。彼女に……そんな。そんな質問はさせませんし、僕も答えません!」

 困惑しつつも言い張る悠真に、紀衣香がにんまりと笑う。

「やだ可愛い! 大丈夫よ。悠真くんが言うのなら何もしない」

「……どうして容姿を気になさるんですか?」

「私、可愛い女の子に殺されるのが夢なの」

 被殺害願望に直面した悠真が固まる。

「昔っから雪女とか山姥とか大好きだった。悠真くんのお話にはすぐ気づいたし、地元の妖怪ですっごく嬉しかった! ああ……殺されたいなあ……!」

「あの……あの、あの……」

「……紀衣香たんは後輩をドン引きさせ続ける趣味でもあるのかにゃ?」

 見かねた羽菜が指示棒で割って入り、紀衣香はようやく着席した。

 悠真と同じく、完全にドン引きしていた幹也がふと呟く。

「山姥って可愛いかな?」

「何を言っているの。鬼の形相の老婆に『若い頃はきっと美少女だったのよね』なんて想いを馳せるのが楽しいのに‼ 幹也は情緒も読解力もないからモテないのよ!」

「俺がモテないのはお前の世話役にされてるからだよ」

「いやいや。砂島がモテないのは砂島本人のせいだよ甘えんな」

「羽菜ちゃん先輩、剛速球投げつけないで。泣きます」

 紛糾する室内を収めるべき和井田は、ニヤニヤと事態を見守っている。

 それでも、と意を決して声をかけた。

「せ、先生!」

「なんだね、岸里くん。私は今度書く論文の構想を練っている真っ最中だよ?」

「こんな状況で練らないでください……‼」

 悠真はあんまりな状況とあんまりなメンツが揃っていることを再認識して泣きそうになる。

 これでは本来相談したかったことが流れてしまう。

 その思いで焦る彼を救ったのは、結局は研究生最年長の羽菜だった。

「まああれだ。紀衣香たんの反応から正体がわかってしまったから、さっさと答えて、話を進めてもらおうぜ」

「はなせんぱいー……!」

「泣くな泣くな」

 身長150センチのヒーローは、颯爽として指示棒を振り上げる。

 そして、ようやく目的のキーワードが投下された。

「悠真くんが出会った彼女の正体は磯女。そうじゃろ?」

「はい」

 紀衣香がうっとりと喜び、幹也は「まじか」と一言。和井田はニヤニヤ笑いを深める。

 三者三様のリアクションにつっこむことはせず、羽菜は淡々と続行する。

「んで。くだんの彼女は連れて来てるのん? あまりのぐだりように待たせっちまってんなら申し訳ないんだけど……」

「だ、大丈夫です。もともと、日が暮れたら来るという約束でしたので」

 このゼミは昼も過ぎた午後四時頃から始まり、現在は五時過ぎにまで達している。

 悠真としてはもう少し展開を巻いていきたいところだったが、逆に奏功したのかもしれないと思い直す。

 カーテンの向こうから窓を叩く音がした。

 怪談の直後であることを思い出して怯える羽菜。それを幸せそうに抱きしめる紀衣香。

 残る二人のリアクションを見る余裕はなく、悠真は、焦る心を落ち着けて窓を開け放った。

「ゆうううまああああ‼」

 怒りに満ちた声ごと、彼女を受け止める。

 裾の長いパーカーは風をはらんで白くはためく。

「地上にわたしを放り出すなど、この痴れ者めっ!」

 気の強い切れ長の目が光に潤んでいて、悠真はたじたじになってしまう。

「こんな辺鄙なところまで歩かせて! 海から離れているではないかっ」

「ご、ごめんってば。大学に来なきゃならなかったんだよ……」

「むうう……! 氷を用意せよ! すぐにだ!」

「帰ったらかき氷しよう。約束」

「……ふん……許す」

 落ち着いてくれて一息ついたところで、和井田が悠真の肩を叩く。

「岸里くん。岸里くん」

「あっ……なんでしょう、先生?」

「イチャコラの痴話喧嘩は見ていて楽しいから構わないのだがね。彼女のことを紹介してはもらえないかな?」

「はい!」

 いつしか羽菜は和井田を盾に隠れ、紀衣香はうっとりと少女を見つめていた。

 少しためらいを振り払って堂々と紹介する。

「彼女が磯女さんです」

 抱き着いたままの彼女こそは、ゴールデンウィークで襲い掛かった磯女。

 悠真にとっては電撃的な出会いと一目惚れを果たした少女だ。

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