吸血鬼と論理的な戦車

金田ミヤキ

序論

 バイト帰りに買い込んだ経口補水液とアイスを抱えて、ゆっくりと昼の砂浜を歩く。

 潮風を感じながらほお張るソーダアイスは格別に美味しく感じられた。

「アイスうまー……」

 大学に入って一か月が経過し、講義を受けながら自身の将来に悩む日々。

 少々真面目過ぎるきらいのある岸里悠真きっさとゆうまにとって、新生活初の大型連休たるゴールデンウィークは、休息の時間となるはずだった。

 しかし、彼は見つけてしまった。

「……?」

 砂浜に倒れる小さな人影を。

「――」

 防波堤の影に隠れるようにして、長い黒髪の女の子がうずくまっている。

 暑さの残る夕暮れの砂浜に人影はなく、自分以外に彼女に気付いた者もいない。

 悠真は慌てて駆け寄り、彼女の髪を払う。

 顔色は青白く脈拍が速い。それでいて体温は高い。

 熱中症であると素早く判断した悠真は、アイスを首や脇に当て声掛けを繰り返し、薄ぼんやりと目覚めた女の子に経口補水液を飲ませる。

「大丈夫ですか⁉」

「ん、む……」

 辛うじて頷く彼女に食塩水パックを渡し、喉を詰まらせないよう頭を支えて飲ませる。

 研究室に経口補水液を持ち込んで不評を勝ち取っていた悠真の嗜好と、気温26度というアイス欲求の誘発による偶然が引き起こした効果的な対応。

 慌てながらも至極冷静な思考を実現できたことも相まって、素人のできる範囲では理想的な対応でもあった。

 それがであれば。

「いま、日陰に――」

 想像よりも遥かに軽い体躯に驚いたのもつかの間、首筋に違和感がちくりと刺さる。

「っ?」

 それを放り捨て、目の前の少女を救うべきであると判断した悠真は、彼女をこれ以上日差しにさらさないようにとジャンパーをかけた。

 幸いにして持ち上げられた少女の体を、忘れ去られたビーチパラソルの下へとそうっと運んでいく。彼女のまとう薄絹のごとき白いパーカーが、潮風に緩くはためいた。

 儚さと美しさに気を取られぬよう、悠真は静かに歩いていく。

 だが、ふと気づいたこの寒さといったらどうしたことだろう。

 それにまるで――少女がだんだんと重さを取り戻していくかのようではないか。

 奇妙な錯覚を抱えながら、ずり落ちそうになる足を抱えなおし、なんとか彼女をパラソルの下へ収めた。

 体が再び砂浜に降りたとき、悠真は自身の首にテグスが巻き付いていることに気付く。

「……あれ?」

 回らない頭で捻りだした行動はテグスを外すこと。海沿いの釣具屋でバイトする彼は、釣り具による事故の恐ろしさを叩きこまれており、反射的な行動だった。

 黒いテグスに手をやる。

 ぬるり。何かが指にまとわりついた。

「…………」

 その瞬間、夢心地から覚めるようにして認識する。

 空ろな目で見上げる少女の黒髪が首に絡みついていることを。

 テグスだと思った糸は絹の黒髪であり――まとわりついた液体は自身の血液であることを。

 女の子の髪の毛が首に絡みつき、数本は針のようにして血管に突き刺さり、滴る血を味わっている。

 血を失った悠真がおぞましい光景を放って逃げ出すことは叶わない。

「う、ああぁ……?」

 今際の際ともいえるこの瞬間。

 悠真の意識を占めるのは、恐怖と暗い海底を思わせる瞳の美しさ。

 彼女の瞳に、恐ろしいほど美しい海を――ある種の神のようなものを垣間見てしまった。

 それこそ、ここで死んでも構わないと思わせ、無理やりにでも《死》に納得させられてしまうような、暴力的なほどの美しさだった。

 生気を取り戻した少女の顔が近づいてくる。

 彼女が何かを言う。

「……え。……するか?」

 聞き取れなかったことに申し訳ないとさえ思った。

 きっと自分は、彼女の問いかけに返事をしたのだろう。

 美しい顔が目の前に迫り――手放した意識は遠くへ落ちていく。

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