第5話 父、迷宮へ

「レナン、今日から父はお仕事なんだ。良い子で待っててくれるかな?」


「あいっ! レナン、いいこにしてるのだ!」


 翌朝、ランサリオンへ続く街道を歩きながら、娘に問い掛けたラディオ。

 すると、フワフワした尻尾を楽しげに振りながら、グレナダは元気に返事をしてくれた。

 今日の着ぐるみは灰色の犬仕様。

 無邪気に歩く後ろ姿は、さながら子犬である。


(ギルド施設がここまで充実しているとは……有難い事だ)


 幸せ一杯の娘を眺めながら、ラディオは心配が解消された事に安堵の笑みを見せる。

 それは、迷宮に潜っている間、娘をどうするかという事。

 家に1人で置いておく等有り得ないが、預ける当てもない。


 しかし一番の失敗は、登録の際にこの事に気付くという、言い訳のしようもないラディオの落ち度だろう。

 そんな時、受付嬢が『待機所』の存在を教えてくれたのだ。


 『待機所』とは、タワー2階の1フロア全てを使った、15歳未満の子供の預かり施設。

 遊戯スペースや寝室、食事場所等を完備し、24時間体制で子守をしてくれる。


 各種族によって、食の好みや睡眠サイクル等に差異はあるが、その点についても心配は無い。

 此方も、各種族で構成された専属の職員が配置されているからだ。


 こうして、子供達はギルドという安全が保証された場所で、安心して親の帰りを待てる。

 更には、娘に同年代と接する機会まで与えられる。

 元々深い階層に興味の無いラディオに取って、これは願ってもない好条件だった。


「先生達の言う事を良く聞いて。仕事を終えたら、直ぐに迎えに行くからね」


「あいっ!」


「お友達が沢山出来ると良いね」


「あいっ♡ ちち、おしごとがんばってなのだ♡」


 グレナダは、ちちの手をギュッと握り締めながら、満開の笑顔で激励を送る。

 嬉しい言葉に、頬を緩ませるラディオ。

 娘の手をギュッと握り返し、体の奥からやる気を漲らせた。



 ▽▼▽



 タワー2階・『待機所』――



「は〜い、ではではお預かりしますね」


 待機所へ到着したラディオ達。

 預かり申請をすると、元気な若い女性職員が柔かな笑顔で対応してくれた。


「父はお仕事に行ってくるからね。夕方には帰って来るから、良い子で待っているんだよ。お約束も忘れずにね」


 しゃがみ込んで娘に目線を合わせ、頭を撫でながら今一度説明するラディオ。

 しかし、グレナダはお腹の辺りを両手でギュッと掴み、俯いたままだ。


「レナン?」


「……ちち、はやく……かえってきてなのだ」


 顔を上げたグレナダの瞳には、零れ落ちぬ様に溜めた涙が光っていた。

 ラディオが自分の為に仕事に行く、という事は理解している。

 だが、いざ離れるとなると、やはり寂しくなってしまったのだ。


 ラディオは優しく微笑みを浮かべ、娘を強く抱き締める。

 『行かないで』とは言わず、『帰ってきて』と言ったグレナダ。

 人々との触れ合いによって、着実に成長している。

 ラディオは、それが何より嬉しかったのだ。


「あぁ……必ず帰って来るから」


「……あい」


 大きな胸に抱かれると、グレナダは少し笑顔を見せた。

 ラディオはもう一度娘の頭を撫でてから、職員に一礼し、階段へ向かう。


「レナンちゃん、向こうでお友達が待ってるよ?」


 職員が差し出した手を握り、グレナダは待機所の奥へ歩き出す。

 だが、顔は俯き、尻尾は下がり、元気が無い。


(いかん、振り返っては駄目だ。私がこんなざまでは……レナンに示しがつかないではないか)


 階段へ向かう最中、心を鬼にして娘の事を振り切ろうとするラディオ。


「レナンちゃん? どうしたの?」


 その時、下を向いて歩いていたグレナダが、急に立ち止まった。

 そして、意を決した様に振り返り、ラディオの元へ走り出す。

 すると、数歩も走らない内に、幸せ一杯の笑い声が響き渡った。


「きゃははっ♡ ちち〜♡」


「……直ぐに帰ってくるからね」


 何と、全く同じタイミングで走り出していた中年。

 娘を抱き上げ、愛を込めて頰ずりをしている。

 伸びた髭がくすぐったいのか、頰ずりが幸せなのか、グレナダは満開の笑顔を咲かせていた。


 一頻りのスキンシップを終え、ポカンとしている職員の元へ娘を届けたラディオ。

 すると突然、職員の両肩を掴み、ぐいっと顔を近付けたではないか。


「えっ!? ちょ、これは、そのあの……!」


 見る見る内に、職員の顔が赤く染まっていく。

 しかし、ラディオは意に介さず、顔をドンドン接近させるのだ。

 鼻先数センチまで寄ると、真剣な眼差しで口を開く。


「くれぐれも、娘を宜しくお願い致します」


「は、い……あの、大丈夫です。あと……熱くなっちゃうのでぇ……!!」


 実は、あまり出会いの無い職業である待機所。

 加えて、肩を掴んで離さないラディオの手は、大きく力強い。

 娘を愛してやまず、先程見せた笑顔は優しさで溢れている。


 更には、真剣な眼差しで至近距離に詰め寄る、という大胆な一面も垣間見てしまった。

 いくら相手が中年とは言え、うら若き職員がドギマギするのも頷ける。


「……失礼致しました」


 職員の言葉で我に返ったラディオは、漸く肩を離し距離を取った。

 すると、徐に部屋全体を見渡し、何故か納得した様に頷いている。


(確かに……少し温度設定が高いかも知れないな)


 部屋の温度は適切である。

 実は、ラディオは幼少期の経験から女性に対する免疫が非常に強い。

 故に、どんな美女と相対しても、『照れる』という概念が無いのだ。

 そう、平たく言えば鈍感なのである。


「行ってくるよ、レナン」

 

「いってらっしゃーい! いってらっしゃーい!」


 娘との触れ合いを終え、やっと―幾度と無く此方を振り返ってはいるが―階段を降りていくラディオ。

 そんなちちの姿が見えなくなるまで、グレナダは手を振っていた。

 その時、火照った顔を両手でパタパタと冷ましていた職員が、ボソッと呟く。


「はぁ〜、お父さん……カッコいいね」


「あいっ♡」


 グレナダは、誇らしげな笑顔で頷いた。



 ▽▼▽



 タワー1階・『ギルド受付』――



(ふむ……こんな所か)


 掲示板から依頼書を剥がし、受付へ持っていくラディオ。

 今回選んだ物は、『ゴブリン討伐』と『イエロースライム討伐』の2つ。

 どちらもEランクで、規定数討伐するだけのシンプルな物だ。


「は〜い。では依頼確認をしますので、少々お待ち下さいね〜」


 受付嬢がテキパキと処理をこなす間、ラディオは周囲へ視線を走らせる。

 有名な者の姿は、今の所見受けられない。

 それよりも、瞳に夢と野望を灯した若い冒険者が目立っている。


(……私にも、あんな時代があったな)


 遠い昔を思い出し、腕を組みながら懐古する中年。

 少し感傷に浸っていると、受付嬢の呼び声が聞こえた。


「ラディオさん? ラディオさ〜ん!」


「あ、はい。何でしょうか?」


「依頼は正式に受理されましたよ〜。目録に登録しますので、お願いしま〜す」


 受付嬢はカウンターの上に目録を出し、その上に2枚の依頼書を重ねて置いた。

 ラディオが手の平を重ねて魔力を流し込むと、依頼書が目録へ吸い込まれていく。


「はい、これで目録に依頼が組み込まれましたよ〜。討伐数は自動で記録されていきますので、帰って来たら彼方の受け取りカウンターで、色々処理をお願いしま〜す」


「分かりました。では、行ってきます」


「いってらっしゃ〜い」


 ラディオは他の冒険者達に混じって、迷宮へ続く通路へ向かった。

 姿が見えなくなった頃、受付嬢はふと疑問に思う。


(そう言えば……討伐任務なのに何の装備もしてなかった。大丈夫かな〜?)



 ▽▼▽



 1階層――



 ギルドの奥にある長い長い階段を下ると、開けた空間に出る。

 ゴツゴツとした青黒い岩が、壁面や床を埋め尽くし、毛細血管の様に走る脈が、短い間隔で発光を繰り返していた。

 天井は見えない程高く、明らかに下ってきた分を超えている。


 ラディオと共に迷宮入りしたのは、初心者ばかりの10数名。

 逸る気持ちを抑えられず、階下を目指して一目散に走って行く。


 1人空間に残ったラディオは、深呼吸をしながら、受付嬢の言葉を思い出す。

 そして、首からぶら下げているプレートに魔力を流し込み、教えて貰った事を実践してみた。


「《目録ブック 》……ふむ」


 すると、ラディオの視界が様変わりしていくではないか。

 右上に『1階層』という文字が浮かび、左上には正方形のマップが現れ、その中央には丸い白点が浮かんでいる。


(白点が私を表し、階層と地図も良く見える。成る程……素晴らしい)


 登録申請時、プレートと共に付与される『目録』。

 これぞ、迷宮探索に置いて最重要装備と言っても過言では無い代物。


 その機能は、控えめに言って破格。

 歴代の冒険者達が累々と積み上げて来た階層の特徴やマップ、モンスター情報等を収集統合した後、目録とプレートを介して『共有』出来てしまうのだから。


 これを造り出したのは嘗ての金時計の1人、【万能者】と呼ばれたエルフ族の青年だ。

 既に病死してしまっているが、数々の功績を残した偉大な人物である。


(成る程……マップと実際の位置の縮尺はこの程度なんだな)


 興味深く空間を見渡しながら、前方に見える幾つかのアーチ状の入り口と、マップの白点の距離を測るラディオ。

 何も無ければゆっくり探索したい所だが、娘が待っている。

 他の冒険者達と同じく、向かって左側の道へラディオも馳けて行った。



 ▽▼▽



 3階層――



「ゲヒャヒャヒャ!」


 狭い通路内で、モンスター数匹と出くわしたラディオ。

 緑色の汚れた皮膚を持ち、尖った鼻と耳、大きく裂けた口からは牙が覗く。

 子供と同程度の背丈ながら、それに似つかわしくない筋肉を持つ体躯……ゴブリンだ。


 手に持つ棍棒を遊ばせながら、獲物との距離を測るゴブリン達。

 ラディオは、右手に何かを持つような仕草をすると、親指を左から右へ捲る様に動かした。

 すると、ラディオの視界に、焦点を合わせているゴブリンの情報が現れる。



 名前・グリーンゴブリン

 種族・ゴブリン

 属性・土

 スキル・団結

 討伐ランク・E

 〜最下級の小鬼。単体の能力は低いが、数が集まれば集まる程厄介な相手となる。経験を積んだゴブリンは、上位種や亜種に変化する事もある〜



 行ったのは、『ページの更新』である。

 本を捲る動作をすると、《目録》が必要な情報を視界に映し出してくれるのだ。

 ゴブリンに関して目新しい情報は無かったが、ラディオは再びの感嘆を禁じ得なかった。


(……本当に素晴らしい)


 【万能者】の才能と、『迷宮』という全く異なる次元が融合した結果、生み出された『目録』。

 外の世界では、決して為し得ない代物であろう。


「グギギ……ゲヒャ! ゲヒャァァァ!!」


 その時、ゴブリンが雄叫びを上げた。

 自分達にまるで興味を示さない獲物に、怒り心頭といった様子で、棍棒を地面に叩きつけている。

 申し訳なさそうに頬を掻きながら、ラディオはゴブリンに視線を戻した。


「これから戦う者同士、他に気を取られるのは礼に欠いた行動だった……すまないな」


 そう言うと、全身に魔力を張り巡らせたラディオ。

 瞬間、空気が一変した。

 強烈な圧迫感が押し寄せ、ゴブリン達の動きが止まる。

 醜悪な顔は引きつり、緑色の額から汗まで噴き出して。


「……《五色竜身・翠》」


 低い声で呟いたラディオ。

 すると、翠色のオーラが溢れ出し、空間を埋め尽くしていくではないか。

 それは次第に竜と成り、ラディオの全身を包み込む様に集約されていく。


 同時に、ゴブリンを見据える眼差しが鋭く変化した。

 まるで、研ぎ澄まされた刃の様に。

 その時、ゴブリンは微かに風を感じた。

 同時に、視界が暗転した瞬間――



「グヒャ……」



 先頭に居たゴブリンの頭が、ズルリと根元から落下していく。

 その首に、一切淀みの無い美しい切断面を残して。

 すると、先頭の1体を皮切りに、次々と首を落とされ、霧散していくゴブリン達。


 見れば、先程までラディオが居た筈の場所には何も居ない。

 地面に、大きく抉れた跡があるだけだ。

 最初の1体の首が落下する頃には、ラディオは既に迷宮の奥へ歩き出している。

 一体何が起こった言うのか。


(しっかり加算されている……言葉が無いな)


 その時、ラディオは『依頼達成状況』の項目を見ていた。

 視界にはゴブリン討伐依頼の文字と、5/20という数字が浮かんでいる。

 三度の感嘆を覚えながらも、ラディオは不満気に首を鳴らした。


(だが……なまっている)


 その目線の先には、指先に微かに付いた緑色の血痕。

 そう、ラディオが放った攻撃は……である。

 しかし、それは異常な速度から繰り出されたもの。

 故に、返り血どころか直接触れた筈の手にさえ、血が数滴付くだけという、理解の範疇を超えた結果となっている。


(こんなていたらくでは、レナンを護れない)


 しかし、当の本人は納得がいかない様子。

 理由は勿論、指先の血痕だ。

 だが、先程ラディオが込めた魔力は、割合で言えば5%も無い。


 たったそれだけで、あの結果。

 本気を出したら、一体どれ程になってしまうのか……。

『人族最強』の力を持つ男の片鱗は、未だ垣間見えない。

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