第6話 父、溜息を吐く
5階層――
この階層から岩肌が影を潜め、苔生した空間に変化した。
地面にも一面苔が生え揃い、踏みしめると少しフワフワとしている。
(この階層から、イエロースライムが出るらしいのだが……)
暫く歩くと、三叉路に辿り着いた。
明らかに踏みならされた跡が残っているのは、向かって左側。
ラディオは警戒を怠る事無く、先へと進んで行く。
すると、天井から氷柱の様に苔生した岩が生える、鍾乳洞の様なとても広い空間に出た。
幾つかの段差を降りて、一際大きな円形の広場へ向かう。
(……来るな)
広場の中央へやって来たラディオは、魔力を込め始めた。
すると、岩石や壁から青や緑、黄色といった液体が溢れ出して来たのだ。
液体は次第に形を変え、色とりどりの半透明な意思持つ物体へと変貌を遂げる。
お目当ての登場だ。
名前・ブルースライム
種族・スライム
属性・無
スキル・軟体
討伐ランク・E+
〜最下級のスライム。
柔らかなその体は、衝撃をかなりの度合いで吸収する。
爽やかな甘味を手に入れろ〜
すかさず『目録』を発動したラディオは、期待を込めた眼差しでスライムを見やる。
(……レナンに良い土産が出来るかもしれないな)
モンスターを倒すと、稀にアイテムを落とす事がある。
様々な物に加工出来る素材や食用の部位等、所謂【ドロップアイテム】だ。
そして、この【ドロップアイテム】には、外と【迷宮】の物で明確な差が存在している。
ランクが低いもの程落ちにくく、高いもの程落ちやすいという傾向があるが、それは共通だ。
では、何が違うのか。
それは、アイテムの純度である。
まず、外ではモンスターの死骸は霧散しない為、各部位を切り出す事も可能である。
だが、その行為には豊富な経験と知識を必要とする為、純度が高い物を得難いという難点がある。
それに対し、迷宮ではそもそものドロップ率が外よりもずっと低い。
加えて、死骸から切り出す事も出来ない。
その為、ドロップする物は必ず『最高純度』になる。
即ち、数さえこなせば、最高級のアイテムが手に入るという訳だ。
この大きなメリットが、迷宮探索の醍醐味の1つとなっている事は言うまでも無いだろう。
ゆったりと蠢めくスライムの群れ。
これを撃破していけば、いずれ珍味が手に入る可能性がある。
すると、ラディオは1匹のブルースライムに目星を付けた。
目前に一飛びで移動し――
斬ッッッッ!!
凄まじい手刀を見舞われ、半透明な体がくの字に曲がり宙を舞う。
しかし、地面に転げ落ちた後、何事も無かったかのように動き始めてしまった。
だが、ラディオも動じる事なく、一旦距離を取る。
(この程度では駄目か……やはり鈍っている)
その弾力性とスキル《軟体》によって、物理攻撃の衝撃を吸収・拡散し、殆ど無効化してしまうスライム種。
普通の打撃や斬撃では、中々ダメージを与えられないのだ。
故に、属性攻撃や武技スキルを用いて、体の中心部に埋まる核を破壊するのが一般的である。
だが、新米で属性攻撃が扱えない者は、苦労する事になるだろう。
だからこその、討伐ランクE +。
それらを踏まえ、掌をスライムに翳したラディオだったが――
(……少し体を動かすか)
途中で思い直し、手を下ろした。
周囲に視線を走らせ、人の気配が無い事を確認する。
そして、構えを取り、再度魔力を込めた。
「《
全身から、夥しい量の紅色のオーラが迸る。
ゴブリンの時と同様、ラディオの体に収束されていく様は、さながら竜を纏うかの様。
軽く膝を曲げ、ダランと両腕を垂らし、スライム達を見据えた瞬間――
轟ッッッッ!!
爆音が鳴り響き、巻き上がった粉塵の中に佇むラディオ。
その腕には、形を保てなくなったスライムの残骸が突き刺さっていた。
そのまま核を握り潰すと、軟体は溶け出す様に霧散していく。
「……先ずは1匹」
物理攻撃を無効化してしまうスライムだが、それはあくまで
自身が吸収しきれない威力であれば、物理攻撃でも倒す事は可能である……理論上は、だが。
この世界では戦闘時、魔力を込めて身体能力を上げるのが基本である。
だが、それには限界があり、支援魔法やスキルによって更に底上げし、様々な戦術を繰り広げるのだ。
しかし、ラディオのそれは次元を超えていた。
《五色竜身》とは、5つの異なる【竜の力】をその身に纏わせるというもの。
込める魔力量が多ければ多い程、竜の力は形を成して具現化していく。
全ての色で全ての能力が向上する事に加えて、《紅》は力、《翠》は敏捷といった様に、色ごとに突出して上がるものがある。
(単純に運動不足か。私もまだまだだな)
力が衰えている気はしない。
体に感じた違和感は、筋肉痛の様なものだと理解した。
ラディオは『ふぅ』と一息つくと、スライムの群れを蹂躙し始めた。
その速度、腕力たるや凄まじいの一言。
物理攻撃ほぼ無効のスライムが、まるでシャボン玉の様に破られていくのだから。
只魔力を込めただけで、この実力。
それもその筈、ラディオは幼少の頃から文字通り死ぬ思いをして、修行に明け暮れてきたのだ。
自分を育て上げてくれた『家族の愛』に報いたい……その一心で、己を苛め抜いて。
その成果として、『竜の力』を意のままに操れる様になった。
それを扱うに必要不可欠な、強靭なる肉体と鋼の精神力も同時に手に入れている。
ラディオの戦闘能力にランクを当てはめるならば、魔力を込めない段階でA、込めた段階でS。
《五色竜身》のオーラを纏った段階でS+。
更に力を
これぞ、ラディオが『人族最強』たる所以。
【王国の英雄】を鍛え上げ、【魔王の証】を持つ娘を育てる男の力である。
▽▼▽
(……やはり、簡単にはいかないな)
テンポ良く討伐数を稼いでいたラディオは、一度現状の成果を確認する為、更新を行った。
ゴブリン討伐数 53/20 達成
イエロースライム討伐数 137/20 達成
ブルースライム討伐数 160
グリーンスライム討伐数 149
既に依頼は達成しているが、未だラディオが粘っている理由は、勿論ドロップアイテム。
短い間隔でスライムが生まれてくれるので、少し頑張ってみる事にしたのだ。
(違和感はほぼ取れてきている。後は……1つでも落ちてくれれば)
スライムを真っ二つに引き裂いて、祈る様に核を潰す。
しかし、霧散しただけで、ドロップアイテムは確認出来ず。
娘に土産をと思っていたが、少し時間を掛けすぎたかも知れない。
(仕方ない、ここらで切り上げ……何だ?)
その時、人の気配を感じた。
広間の奥には、アーチ状の大きな穴が空いており、ここは階下への通路となっている。
気配は、アーチから向かって右手の穴から漂ってきていた。
接触を避けたいラディオは、咄嗟に岩陰に身を潜める。
「あーーーっ!! ヤバかった〜!!」
「はぁ……はぁ……まさか
息も絶え絶えに走って来たのは、Eランクの男達。
広間に入るや、膝に手を置き、先程見た光景を思い出しては身震いしている。
「あの量は半端じゃねぇ……はぁ……俺達じゃどうしようもねぇな」
「ばっか、量の問題じゃねぇよ! 今日はもう引き上げるか。一気に疲れちまったよ」
男達はやれやれと首を振ると、息を整えて上層へ歩き出す。
すると、時間のサイクルによって、またスライム達が生まれて来た。
「何だよっ! またコイツらかよ!」
「そう言えばここはそうだったな。構うな構うな。戻るぞ!」
男達はスライムが完全に形を成す前に、段差を上がって広間を去っていく。
岩陰から話を聞いていたラディオは、顎に手をやり、何やら考え込んでいた。
(『巣窟』……確か、イレギュラーで発生するモンスターの大群、だったか)
チラリと新たなスライムに目をやったラディオ。
此処で粘っていても、ドロップアイテムが手に入る確率は低い。
ならば、巣窟で大群を相手にした方が、遥かに効率が良いのではないか。
ラディオは納得した様に頷くと、男達が出てきた横穴へ駆けて行く。
▽▼▽
先の見えぬ一本道を暫く走っていると、 大きな観音開きの扉が見えてきた。
先程の男達は、本当に焦っていたのだろう。
扉が半開きのままだ。
後方確認を済ませたラディオが、中へ足を踏み入れる。
そこは、壁一面が深紅に染まったドーム状の部屋だった。
全体を注意深く見渡すが、スライムらしき影はない。
(ふむ……ん?)
ラディオが訝しんでいると、壁が少し揺れた様に見えた。
確認するために部屋の中央まで来た瞬間――
ブゥゥゥゥゥゥン!!
不快な羽音が、けたたましく部屋中に鳴り響く。
(……騒がしいな)
ドンドン大きくなる羽音につられる様に、壁面が一斉に動き始めた。
同時に、怪しく光る無数の
すると、巨大な何かがラディオの正面に飛来した。
名前・スプリムモスキート
種族・バグズ
属性・無
スキル・注入
討伐ランク・C
〜1mを超える血の様な体躯と、頑強な皮膚を持つモンスター。雌雄関係なく、吸血行為をする。一度刺されたが最後、身体中の血液が無くなるまで吸い取られてしまう〜
そう、天井や壁面、地面を埋め尽くしていたのは、モンスターだったのだ。
その数は、甘く見積もって数千。
獲物を見つけて興奮したのか、所狭しと動き回る。
しかし、真紅の蚊を見たラディオは、深い溜息を吐き出す。
そして、踵を返し扉へ歩き出したのだ。
(……無駄足だったな)
そう、ラディオはガッカリしていた。
早とちりしたのは自分だが、スライムの巣窟だと思い込んでいたのだ。
これでは、娘の土産には出来ない。
(依頼は達成済み。レナンの元へ帰ろう)
不快な羽音を撒き散らし、乱雑に飛び回る蚊で埋め尽くされていく空間。
しかし、ラディオは全く意に介さず、淡々と歩を進める。
だが、ふいに足を止めると、また大きく溜息を吐いたのだ。
「……わざわざ死にに来る事もないだろう」
そう呟いたラディオの右手には、槍の様な蚊の口器が握られている。
背を向けた事を好機と捉えた蚊は、吸血の為に突進したが、難なく躱された挙句、拘束されてしまったのだ。
「このまま通してくれる……訳は無いか」
ラディオが力を込めると、鋼鉄と同等の強度を誇る口器が、ガラス細工の様に砕け散る。
折れた部分から赤黒い毒液が流れ出し、次第に弱々しくなっていくモンスター。
すると、大群は怒りを露わに、更に激しく飛び回り始めた。
動かなくなった蚊を地面に捨て、やれやれと溜息を吐いたラディオ。
「娘が待っている……時間を掛けるつもりは無いぞ」
瞬間、空間全てを埋めつくす様に、紅蓮のオーラが溢れ出して来た。
大気はビリビリと鳴動し、部屋が瓦解する程の圧力が充満していく――
「万物を征する紅竜の弾丸 今此処に 顕現せよ――《豪炎竜銃・ファフニール》」
瞬間、猛炎の如き魔力が唸りを上げ、ラディオの両手に収束された。
眩い閃光を放ちながら現れしは、禍々しい紅金の角を持つ、大振りな2丁の片手銃。
大口を開ける竜を模した銃口の、何と勇ましい事か。
これは、【竜装】と呼ばれる
世界の理を変えかねない、絶大な能力を秘めた武器である。
何故なら、『魔王』と同格の『神王』に選ばれし者のみが持てる【神器】と対等……若しくは、それ以上の力を有しているのだから。
「《
溢れるオーラを銃に装填し、群れに向かって撃ち放った。
すると、数発の真紅の弾丸が轟音と共に宙を舞い、空中で停止する。
放たれた弾丸は、さながら小さな太陽の様に、その輝きと熱量を増していく――。
▽▼▽
1時間後――
5階層に金属音が響いて来た。
広間に姿を現したのは、漆黒の鎧に身を包む女。
黒紫の長髪をたなびかせ、
だが、その顔は険しく、見つめているのは新たに出来た横穴だった。
(先程の駆け出しが言っていた道というのは、あれだな)
彼女の名は、トリーチェ・ギーメル。
現役A+ランクの冒険者にして、選ばれし【金時計】の一員という若き天才だ。
実力も去ることながら、正義感の強い英傑として名が知られている。
(無駄死にを減らすためにも、自分が排除しなければ)
『金時計たるもの冒険者の模範となるべき』という信条を持つトリーチェ。
そんな彼女が、Cランクの【巣窟】の話を聞いてしまっては、動かない訳が無い。
ギルドで休憩中ではあったが、直ぐさま5階層まで降りてきたのだ。
しかし、扉まで辿り着くと、トリーチェは違和感を覚える。
(……何故扉が閉まっている? それに、この熱気は何だ?)
話によれば、扉は開け放たれていた筈。
そもそも、Eランクの男達は帰還する迄の間、他の冒険者と会っていない。
更に、帰還して直ぐにトリーチェに情報を伝えている。
それなのに扉は閉められ、尋常ではない熱を帯びているのは、何故なのか。
(……考えても仕方がない、か。先ずは確認だ)
トリーチェは、警戒を最大限まで上げながら扉を開く。
だが、其処にスプリムモスキートの姿は無かった。
ゴクリと生唾を飲み込んだトリーチェ。
カラカラになった喉から、やっと絞り出す様に言葉を紡ぐ――
「こ、これは……どういう、事だ……!?」
トリーチェが立っている一部分を除いて、天井から地面に至るまで、蒸気を噴き出し真っ赤に熱せられた
迷宮から、煉獄に迷い込んでしまった。
そう錯覚しまう程に、ドーム状の部屋は、灼熱の溶岩地帯へと変わり果てていたのだ。
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