第3話 父、ギルドへ行く

「これで良し。父とのお約束、守れるかな?」


「あいっ♡ おやくそくなのだ!」


 出掛ける前、ラディオが玄関先で娘に問い掛ける。

 すると、元気良く手を上げながら、しっかりと返事をしたグレナダ。

 いつもの様に頭を撫でて褒めてやると、フニャリと幸せ一杯の笑顔を見せる。


「くまさんっ♡」


 背中に縞模様の入った黄色い着ぐるみ―顔部分が途轍もなく不細工だが―を身に纏い、ご機嫌に尻尾をフリフリする娘。

 顔部分の耳を触りながら熊だと信じて疑わず、嬉しそうにしているのだが――



「……猫ちゃんだよ」

 

「ねこちゃんっ!?」



 中年の切ない声が、青空に吹き抜けて行く。

 その横では、目を見開き、『やっちまった!!』という顔で固まってしまったグレナダ。

 分かっている……自分に可愛い物を作る才能が無い事ぐらい。


「……ちち?」


 静かに微笑みながら、遠〜くの方を見つめていたラディオは、娘に呼ばれハッと我に返った。


「これは……ふむ」


 少しの心配を宿す紅玉の瞳。

 ちちのズボンをギュッと掴み、上目遣いで此方を見上げる小さな姿……何と愛らしいのだろう。


 最早、フードが如何に不細工であろうと問題無い。

 娘には、それを補って余りある魅力があるのだから。

 自己完結した中年は微笑みを浮かべ、待っている娘に手を差し出した。


「ごめんよ、待たせてしまったね。行こうか」


「あいっ♡」


 とびきりの笑顔を咲かせ、即座に手を握り締めたグレナダ。

 頭をフリフリ、尻尾をフリフリ、とても上機嫌である。

 そんな娘をデレデレ見つめながら、ラディオはふと考えた。


(髭は良いとして、髪はもう少しか)


 実は、短く綺麗に整えてあった髪を、ラディオはこの1ヶ月伸ばしっぱなしにしている。

 目的は、少しでも人相を分かりづらくする為。

 だが、まだまだ短いと言わざる負えない。

 目元が隠れるぐらいまでは……前髪を摘みながらそんな事を考えていると、下から呼ぶ声が聞こえて来た。


「ちーちっ♡」


「うん?」


 すると、グレナダは瞳をキラキラと輝かせ、ラディオの足に抱き付く。

 そして、幸せ一杯にこう答えたのだ。


「だいすきなのだぁ♡」


「……父も大好きだよ」


 英雄を育て上げた、世界最強の力を持つラディオ。

 だが、3歳に満たない娘の不意の攻撃には成す術が無い。

 原型を留めない程に、しまりの無い顔になってしまっているのだから。

 2人同じ顔でデレデレしながら、娘の歩幅に合わせてゆっくりと、親子は街道を歩いていく。



 ▽▼▽



 下段中央・『城門前』――



(いつ見ても、見事な造りだ)


 ランサリオンに到着したラディオは、都市の外観を見上げながら、感心した様に頷いた。

 聳える2つの見張り台に守られた、高さ凡そ50m程の堅牢な門。

 其処から、ぐるりと都市を囲む様に設けられた城壁。

 そう、ランサリオンは所謂『城郭都市』である。


 だが、通称はその特異性に則って付けられていた。

 その名は『迷宮都市』。

 世界で唯一、迷宮の上に造られた都市という意味である。


 更には、住民の多様性も他に類を見ない。

 人口は約6万人であり、大国に比べればやはり一都市に過ぎない。

 だが、様々な種族が混在しながら共生する為に、大国にも引けを取らない生活基盤が築かれていた。


 三日月型に都市が形成されるランサリオンは、元々の地形の起伏を利用して、3つの階層に分けられている。

 それらは、下段・中段・上段と呼ばれ、其々に特色を有していた。


 先ず、城門から向かって右手に入ると、食品、雑貨、日用品や工芸品、武器防具からペットに至るまで、多種多様な商店が乱雑に立ち並ぶ『バザール』へ通じている。


 一方、左手に入ると酒場や飲食店、宿屋等が密集した『宿場街』がお目見えだ。

 三日月の両端に向かう程、主に住民や下位ランク冒険者の居住スペースとなる。

 加えて、城門から直進すると見えてくる『大広場』までを、『下段』と呼んでいる。


 次に、下段区画の上が『中段』となっている。

 城門から向かって右手には『教会』が、左手には『娼館街』が、それぞれ区画分けされていた。


 更にその上には、有名な冒険者チームの拠点ホームが多く立ち並ぶ『上段』がある。

 それだけで無く、高級な品々を扱う商店や、貴族等の有力者御用達の五ツ星ホテル等が建ち並んでいる事も、上段の特色の1つとなっている。


 三段の間に通行制限等は存在せず、住民達は気ままに往来している。

 どんな種族でも分け隔てなく、『自由』に生きるランサリオン。

 だからこそ、ラディオは此処を選んだのだ。

 最愛の娘が、安心して暮らせる様にと。


 番兵に挨拶をしつつ城門をくぐった親子は、いつものバザールでは無く、『大広場』の更に先を目指して歩き出す。

 何故なら、今日の目的は冒険者登録。

 父として、娘の為にも何時までも無職では居られない。

 その意気込みを見せつける様に、しっかりと前方に向かって――



「ちちぃ! あっちがいいのだぁ〜!」


「先に父の用事を済ませてからでも良いかい? その後で、お菓子を買いに行こうね」



 ……歩けなかった。

 お気に入りの焼き菓子店の匂いにつられたグレナダが、ジリジリと右側に寄って行ってしまうのだ。

 なんとか娘を宥めながら、ラディオもジリジリと歩を進める。

 大丈夫……概ね前方には向かっている。


 そうこうしている内に、『大広場』が見えて来た。

 初代ギルドマスターの銅像を中央に配置した、大きく見事な噴水。

 其処を中心として、半径200mは優に超える巨大な敷地。


 その活用性は幅広く、ギルド主催で催し物をする際は、大概の会場に此処が選ばれる程。

 加えて、世界各地から露天商が集まり、毎日の様にしのぎを削る。

 癒しと活気を兼ね備えた大広場は、住民達の大切な憩いの場である。


 大広場を抜けると、魔石製の巨大な跳ね橋が見えて来た。

 その奥には、これまた巨大な湖の様な水堀が設けられている。

 そして、その中央には雲を突き破る程の高さを持つ、白蠟の円柱が聳え立つ。


 これぞランサリオンの象徴、通称『タワー』。

 迷宮に潜る冒険者の玄関口であり、都市機能の管理を一手に担う、ギルドの総本部である。

 その歴史は古く、嘗ての『英雄』の中にはタワー出身の冒険者も居る程。


 ランサリオンが定義する、決して曲げない信念は『自由』。

 どの国にも属さず、どんな軍事介入も許さない。

 そんな、初代から変わらぬ想いを護るのは、現ギルドマスターと、12人の選ばれし補佐官である。



 ▽▼▽



  タワー1階・『ギルド受付』――



「これは……中々だな」


「はむっ! あまいのだぁ♡」


 室内を見渡し、ラディオは感嘆の声を漏らす。

 横ではグレナダが、買って貰ったリンゴ飴―露店の前で、ねだる娘にラディオが根負けした結果―を夢中で頬張っている。


 昼過ぎという事もあってか、人でごった返しているギルド内。

 入り口から、向かって右側一番奥の新規受付カウンターは長蛇の列を成し、その左隣の鑑定所も何やら怒号が聞こえる。

 中央の通路の奥は、迷宮への入り口。

 多種多様な冒険者達が、続々と足を踏み入れていく。


 向かって左は、迷宮へ行く際の申請カウンター。

 4つある窓口は、どれもそこそこに混雑している。

 中には、受付嬢を口説いている者もいるが、軽くあしらわれていた。


 左奥の壁面には大きな掲示板が吊るされ、何百という依頼書が隙間なく貼られている。

 冒険者達は、日々更新されるこれらを受注し、迷宮に潜るという訳だ。


 ドーム型の天井はとても高く、壁一面に立体的な彫刻が施されている。

 床は白と黒の大理石マーブルを使い、美しい市松模様に装飾されていた。


 掲示板から向かって左には、広く取れられた談話スペースがある。

 その奥には地下へ続く階段があり、『酒場』と『大浴場』が併設してある。

 迷宮で一仕事終えた冒険者が、汗を流し、酒を流し込みながら戦果を語る、常に賑やかな空間だ。


(見知った顔は……居ないな)


 不自然にならぬ様気を配りながら、周囲を確認するラディオ。

 過去には、冒険者と共闘した事もある。

 顔見知りがいないかどうか、事前に調べる事も忘れてはいけない。

 全ては身バレを未然に防ぐ為。

 思わず、娘を握る手に力が入る。


(!……ちちっ♡)


 すると、不意に手をギュッとされて、グレナダは嬉しくなってしまった様だ。

 ラディオの腕を引っ張り、両手を高く伸ばす。

 それに気付いた中年は、即座に娘を抱き上げた。


「ちちにもあげるのだ! あ〜ん♡」


 大きく太い腕の中で、齧ったリンゴ飴を幸せそうに差し出すグレナダ。

 そんな娘を見ていると、心が和んでいくのを感じる。

 どうやら、身バレの心配も杞憂に終わってくれそうだ。


「有難う――うん、甘くて美味しいね」


「あいっ♡」


 満開に笑顔を咲かせ、再びリンゴ飴を頬張るグレナダ。

 しかし、これは困った。

 娘を連れたままでは、登録の列に並ぶに並べない。

 無駄に注目を集めるのは避けたい所だ。


(どうしたものか……ん?)


 そんな事を考えていた矢先、登録の列から罵声が響いて来る。


「この野郎! 順番は守りやがれっ!」


「あんだぁ! 俺が先に並んでたろーがっ!」


 割り込みだ何だと、若い男2人が喧嘩を始めてしまったのだ。

 周囲は止める事もせず、囃し立てる声まで聞こえる始末。

 その間にも喧嘩はドンドン大きくなり、職員の制止も掻き消されてしまう。


(これは……日を改めるか)


 空気の悪さに、更なるトラブルの予感を感じたラディオ。

 ギルドを出ようと歩き出すが、喧嘩で吹き飛ばされた男が此方に飛んで来てしまった。

 ラディオは瞬時にそれを躱したが、突然の速過ぎる動きにグレナダは対応出来ず、リンゴ飴を落としてしまう。


「あっ!? うぅ……うわぁぁぁぁん!!」


 そのショックから、大きな声で泣き始めてしまったグレナダ。

 ラディオは体を揺らして必死にあやすが、泣き止む気配は無い。


(しまった……視線が集まっている)


 もう限界だ。

 直ぐに此処から出なければ。


「うわぁぁぁん! うわぁぁぁん!」


「ごめんよ、父がいけなかったね。また買おうね」


 娘に申し訳無く思いながら、玄関へ向かっていたその時――



「あらぁん、どうしちゃったのかしらぁ〜ん?」



 玄関前から、ドスの効いた声がギルド内に木霊する。

 見ると、180cmを超えるラディオより頭一つ飛び出た大男が立っているのだ。

 その男は、グレナダ、床に落ちたリンゴ飴、吹き飛ばされた男、受付と瞬時に視線を走らせる。

 そして、後ろに控えている連れの1人に何かを伝えると、真っ直ぐラディオ達の方へ歩いて来た。


「あらまっ! このおバカさん達のせいで飴が落ちちゃったのねぇん。でぇも! 大丈夫よぉん♡」


 グレナダに目線を合わせる為、中腰になりながら和かに話し掛ける大男。

 すると、先程の連れが戻って来た。

 その手に、新品のリンゴ飴を握り締めて。

 大男は飴を受け取ると、ピンと小指を立てながらグレナダに差し出した。


「はぁ〜い、お待ちどうさまぁん♡」


 見る見る内に、グレナダの泣き声が止んでいく。

 少ししゃくり上げながら指を咥え、飴とラディオを交互に見やるのだ。


「そんな……頂く訳にはいきません」


「んん〜、良いのよぉん。これは、からのお・わ・びぃん♡」


 遠慮するラディオに、大男はバッサバサの睫毛でウインクを繰り出し始める。

 暫し同じ問答を繰り返したが、ラディオは迷った末に頂戴する事にした。


「では……有難く。レナン、ちゃんとお礼を言うんだよ」


「……あいっ♡」


 ちちの了承を得たグレナダは、瞳を輝かせてリンゴ飴に手を伸ばす。

 そして、満面の笑みで大男にお礼を述べた。


「ありがとうなのだ!」


「あらまっ! 偉いわぁ〜ん♡ ちゃーんとパパの事待ってたのねぇ〜ん♡ おほほほほほほっ!」


 手をパチパチと叩きながら褒める大男。

 すると、グレナダはリンゴ飴を咥えながら、後頭部を手で摩り、嬉しそうに照れていた。


「可愛いわねぇ〜ん♡ あっ、ちょ〜っとだけ待っててくれるかしらぁん?」


 思い出した様にそう言うと、大男は転がっている男の元へ歩いていく。

 まるで糸屑の如く男を片手で拾い上げると、今度は登録の列へ向かった。

 大男が発する異様なオーラにあてられて、気付けば騒ぎは沈静化している。

 もう1人の騒ぎの男の肩を掴み、これまた軽々と持ち上げ――



「元気なのは良い事だけどぉん、他の人に迷惑を掛けちゃダメよぉん。それに、あんな小さな天使を泣かすなんて……何考えとんじゃぁぁぁぁ!!」



 柔かな笑顔から一転、野獣の様な咆哮が轟いた。

 両手に握られている男達は、小動物の様に震え上がってしまう。

 大男はまた笑顔に戻ると、連れに男達を投げ渡した。


「貴方達はあっちで少〜しお話ねぇん。はいはい、皆もこれで終わりよぉ〜ん! お仕事に戻ってちょうだぁい♡」


 快活な号令を受け、ギルド内は通常営業へ戻っていく。

 引きずられていく男達を見届けた後、大男は再びラディオ達の方へやって来た。


「ごめんなさいねぇん。しっかり教育しとくから、許してやってくれないかしらぁん。そうそう、アタシはレイ・マキュリ。何かあったら、いつでも相談に来てちょうだいなぁん♡」


(マキュリ……成る程。ならば、この風格も納得だな)


 差し出された手を握り返しながら、胸元で光る金のプレートと名前で合点がいったラディオ。

 大男の名は、ドレイオス・マキュリ。

 元Sランク冒険者にして、現・治安部隊隊長を務める猛者。

 そして、ギルドマスターを補佐する役目を担う、選ばれし12人の1人だったのだ。

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