第2話 父、生活環境を整える

 1ヶ月後――



「……これぐれらいで良いか」


 見事に育った大木が生い茂る森の中、ラディオは伸びた顎髭を撫でながら、木の選定をしていた。

 側ではグレナダが、根元に生えるキノコをツンツンして―胞子を吹き出す度に、瞳をキラキラと輝かせながら―遊んでいる。


 娘の微笑ましい姿を横目に見つつ、選んだ大木に両手を回し、力を込めるラディオ。

 すると、まるで畑の大根の様に、するりと引き抜いてしまった。

 キノコに夢中な娘を再度確認してから、離れた所に大木を放り投げる。



 ズウゥゥゥゥゥゥン!!



 大きな音を立て、地面に転がる大木。

 すると、ラディオは足に絡みつく体温を感じた。

 グレナダである。

 大きな音にビックリしてしまい、安心を求めて即座に駆け寄って来たのだ。


「ちちぃ!?」


「ごめんよ、驚かせてしまったね。大丈夫、怖い事は何もないよ」


 配慮が足りていなかった。

 ラディオは反省しながら、娘の頭を撫でてやる。

 しかし、グレナダは眉毛を八の字に曲げ、じっと此方を見上げている。

 そして、両手を高く伸ばすのだ。


 成る程、そういう事か。

 またしても配慮が足りていなかった。

 猛省しつつ、娘を抱き上げるラディオ。

 大きな胸に顔を埋め、グレナダは漸く笑顔を見せてくれた。


「本当にごめんよ。此処なら、安全だからね」


 娘の笑顔に癒されながら、ラディオは白く柔らかな頬に手を置いた。

 グレナダは幸せで瞳を輝かせ、その大きな手を握り締める。

 これ以上怖がらせてはいけない。

 ラディオは静かに微笑むと、娘をひょいと持ち上げて肩に乗せた。


「きゃはは! たかいのだぁ〜♡」


 ふわりと体が持ち上がり、グレナダは楽しげに笑い声を上げる。

 ラディオの両頬に手を置いて、足をプラプラ、尻尾をゆらゆら、もうご機嫌だ。

 これで、怖がらせる心配も無い。


 先程抜いた物とほぼ同じ物を選び、今度は片手で大木の幹を掴んだラディオ。

 娘が側に居る事を考慮して、少しでも距離を取る為だ。


「少し大きな音がするからね」


「あいっ♡」



 バリバリバリバリッ!



 だが、片手でも簡単に抜けてしまう大木。

 こちらも地面に放り投げ、2本が横並びに置かれた。


「おぉ〜! すごいのだぁ♡」


 ちちの人間業では無い行動を見て、グレナダは小さな手で拍手を送る。

 娘に褒められたラディオは、少しハニカミながら頬をぽりぽりと掻いた。


(これで準備は出来たな)


 グレナダを肩車したまま、倒れている大木の間に立ち、幹に五指を食い込ませる。


「《飛翔》……しっかり掴まっているんだよ、レナン」


「あいっ♡」


 すると、ラディオの背中に竜の両翼のオーラが現れた。

 娘がしっかりと自分の首に手を回した事を確認すると、大木と共に浮かび上がる。


「帰ろう」


「あいっ♡」


 グレナダの笑い声を聞きながら、自宅目指してゆらゆらと、親子と大木は飛んでいく。



 ▽▼▽



 この1ヶ月で、ボロボロだった家は見違えた様に綺麗になった。

 自分で修復した部分もあるが、工務店を営むドワーフ達に一任した事が功を奏している。


 ドワーフ達の仕事は、言わずもがな完璧。

 だが、ラディオには修復とは別の思惑もあった。

 それは、彼等の『お喋り好き』という性質である。


 ドワーフ達は、大酒飲みで豪快な性格。

 酒の席になれば、誰彼構わず饒舌に様々な話をする。

 それを見越していたラディオは、彼等に仕事を頼む事で、住民に自分達の存在を流布してもらおうと考えたのだ。


 人と関わり合いを持たないのであれば、わざわざ越して来たりはしない。

 自分達の正体を悟られてはならないが、遠ざけても駄目だ。

 グレナダを『人』として育て上げるには、他者との関わり合いが不可欠なのだから。


 だからこそ、ラディオは娘を連れて街まで買い物に出ている。

 ランサリオンの住人は差別せず、他者に深入りしないのだ。


 生まれや仕事は勿論の事、『母親』について聞かれる事も無い。

 礼儀を持って接すれば、疎まれる事も無い。

 離れに住んでいるからといって、好奇の目で見られる事も無い。

『いつも一緒に買い物に来る仲睦まじい親子』として、認識してくれるだろう。


 そこまでいけばこっちのもの。

 余計な詮索をされずに、娘に良い経験をさせてあげられる。

 ラディオはそう考えていた。


 結果、その思惑は成功する事となる。

 仕事を受けたドワーフ達は、最初こそ『何故こんな所に住むのか』と考えた。

 しかし、それも直ぐに忘れ、仕事に没頭し始める。

 職人としてのプライドが非常に高い事も、ラディオは良く知っていた。


 そして、ドワーフ達は2週間程で見事に仕事を遂行した。

 四方囲む石垣を新調し、庭の芝を整え、家を基礎から組み替えて。

 ボロボロだった廃屋を、この先何十年と娘を守ってくれる、しっかりとした木造二階建ての家へと仕上げてくれたのだ。


 そして、1日の作業が終われば欠かさず飲みに行くドワーフ達。

 そこで、酒の肴として仕事の話をする。

 今はこんな仕事をしていて、その依頼主はこんな感じだ、と。


 その甲斐あって、住民達は礼儀のある父親と元気な可愛らしい娘として見てくれる様になった。

 こうして、1ヶ月という短い時間で、親子は市民権を得たのである。



 ▽▼▽



 綺麗に刈られた芝の庭に降り立った、2人と2本。

 ラディオは大木を下ろすと、見事に組み上げられたウッドデッキに娘を座らせた。


 庭の両端には、大きな穴が1つずつ開けられている。

 少しの間動かない様に言い聞かせると、グレナダは板を抱き締め、興奮気味に頷いた。

 ラディオは和やかに娘の頭を撫でてから、大木を穴へ植え込んでいく。


 程無くして、植えられた大木の枝々が、庭に心地良い日陰と豊かな緑の香りを付け足してくれた。

 木漏れ日が射し込む枝葉を見上げ、満足気に頷くラディオ。

 すると、両端にロープが付けられた板―先程抱き締めていたもの―を引きずりながら、グレナダが駆け寄って来た。


「ちちっ! これつけるのだ?」


「有難う、レナン。今付けるからね」


 待ちきれない様子の娘から板を受け取り、向かって左側の木の枝にロープを掛けて括り付ける。


「ちちっ! ちちっ! できたのだ!?」


「あぁ、出来たよ。ブランコの完成だ」


「やったのだ〜♡」


 満開に笑顔を咲かせ、一目散にブランコへ駆けて行く。

 地面から少し高めに吊るされた板に、するりとよじ登ったグレナダ。

 短い足で一生懸命に漕ぐ娘を見て、ラディオの頬も自然と緩んでいく。


「ちち〜! おしてなのだぁ〜!」


「あぁ、今行くよ」


 より速さを求めて、ちちを呼び寄せるグレナダ。

 娘の後ろに立ち、ゆっくりと背中を押してやる。

 ふわりと体が押し出され、心地良い風が再びグレナダの頬を撫でた。


「きゃははっ! たかいのだ〜♡」


 グレナダは嬉しそうに笑い声を上げ、ラディオの方を振り返っては、ニコッと愛らしい微笑みを見せる。

 暫くの間、親子は作りたてのブランコを楽しんでいた。



 ▽▼▽



 昼時を迎え、ダイニングにある自分専用のベビーチェアに座るグレナダ。

 これは、ラディオが娘の為に誂えた椅子である。


「ごっはっん♪ ごっはっん♪」


 スプーンとフォークを持ち、ニコニコと首を揺らしながら、テーブル部分をポンポンと叩いて料理を待つ。


「直ぐに作るからね」


「あいっ――いや〜♡」


 ラディオに喉元をくすぐられ、幸せ一杯に声を上げるグレナダ。

 テーブル部分に頬を乗せ、ふにゃりとした笑みを零す。

 それを見たラディオの頬は、これ以上無いぐらいに緩々になっていた。


(……いかん、早く作らなければ)


 愛くるしい娘を暫く眺めてしまったラディオは、ハッとしてキッチンに向かう。

 デレデレしている場合では無かった。

 娘が昼食を待っているのだから。

 自分を戒めながら、ラディオは竃に火を点ける。


(やはり、使いやすい)


 改装の際、特に素晴らしいと感じたのが、GIGIオリジナル製品『全自動蓄積魔石型かまど』と『全自動蓄積魔石型水道』を設置したキッチン周りだった。


 これは、加工魔石に予め魔力を流し込んでおく事で、火や水を発生させるというもの。

 それを専用のレバーを使い、魔石の中の魔力が無くなるまで、点けたり止めたり出来るのだ。


 火力や水量は使用する魔力量で調節可能であり、魔石のサイズも用途に応じて様々。

 これによって、魔法を使えない人々や、過酷な地域に住む人々でも容易に料理や風呂の準備、洗濯が出来ると、世界で認められている超人気製品である。


 他にも、『全自動蓄積魔石型送風器』や『全自動蓄積魔石型冷蔵箱』、『全自動蓄積魔石型明光竿』等があり、日常生活の利便性を飛躍的に向上させていた。


 フライパンで卵をかき混ぜながら、同時にパンも焼き始めたラディオ。

 焦げないようにレバーで火加減を調節しながら、改めて感嘆の声を漏らす。


(本当に素晴らしい。時が経とうとも、拘りは変わらないな)


 少し昔を思い出していると、嬉しそうな声が聞こえて来た。

 振り返ると、娘の足元に一匹の猫が擦り寄り、尻尾を振っている。


「にゃるこふっ! おかえりなのだ♡」


「おかえり。もう直ぐご飯が出来るからね」


「にゃ〜♪」


 『ただいま』とでも言うように、優雅に鳴き声を上げた1匹の猫。

 シルバーグレーの艶やかな毛並を持つ、スラッとした美しい胴体。

 瞳は碧色に輝き、クルンと伸びた前髪がチャームポイントだ。


 越して来て直ぐの事、何処からともなくこの猫は現れた。

 すると、グレナダがいたく気に入り、名前をつけて可愛がり始める。

 ラディオとしても何の問題も無かったので、以来正式にペットとして飼っているのだ。


「さぁ、出来たよ」


 炒り卵とトースト、切ったトマトとレタスを皿に盛り付けて、テーブルの上に置いた。

 待ってましたとばかりに、瞳を輝かせるグレナダ。

 ニャルコフには、薄味の焼き魚をほぐして皿に入れてやる。


 立ち昇る良い香りにつられて、少し興奮状態のグレナダ。

 ラディオは娘に前掛けを着け、長い髪を後ろで結わいて準備を進める。

 だが、前掛けが合図となり、湯気も気にせずグレナダは炒り卵を頬張り始めてしまった。

 ラディオは静かに微笑むと、自分も席に着いて手を合わせる。


「レナン、熱いから気を付けて。頂きます」


「はむはむ……おいしいのだっ♡ あ、いただきますっ!」


 口元一杯に卵を付けながら、満面の笑みで手を合わせるグレナダ。

 そんな娘を見ていると、とても温かい気持ちに包まれる。

 口を拭いてやると、グレナダは本当に嬉しそうに笑うのだ。


 あっという間に食事は終わり、後片付けを始めるラディオ。

 それが終わる頃には、グレナダは椅子の上で眠そうに目を擦っていた。

 ラディオは娘を抱き上げると、リビングのソファーの上へ寝転ぶ。

 その後を追って、近くで丸くなったニャルコフも、すやすやと寝息を立て始めた。


「すー……すー……ち、ち……」


(どんな夢を見ているのかな)


 娘を腹の上に乗せ、背中をポンポンと叩く。

 すると、少しニヤケながら、ラディオの胸をギュッと掴むグレナダ。

 こうして、『普通』の昼下がりを、いつもの様に家族皆で穏やかに過ごたのであった。

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