第1章 最強の父親と最愛の娘 編

第1話 父、迷宮都市へ

「へぇ〜、此処がランサリオンですかぁ〜……あっ!」


 ナーデリアに挨拶をして直ぐ、『迷宮都市・ランサリオン』にやって来たレミアナ。

 グルリと周囲を見渡し、を即座に見つけ出す。


「最初に言っておくが、迷惑になる様な行動は――ちっ……」


 すると、レミアナの横に居た人物から、大きな溜息が漏れ出て来た。

 何故なら、既に大神官長の姿は無い。

 バザールの方に向かって、物凄い勢いで走り去っていく小さな背面が、辛うじて見えるだけなのだ。


鹿が……」


 眉間を押さえ、やれやれと首を振る眉目秀麗な顔立ち。

 瑞々しい碧色の美しい髪と瞳、種族特有の長い耳。

 そう、レミアナと連れ立ってやって来たのは、エルディンだった。


「私は……アイツを止めるべきだったか?」


 良く晴れた青空を見上げ、ハイエルフはポツリと呟いた。

 普段の気難しい雰囲気は影を潜め、何処か穏やかに頬を緩ませて。

 その心に、一体何を想い描いているのだろう。


「……こんな事をしている場合では無いな。何か問題を起こしてみろ……後がどうなるか知らんぞ、馬鹿弟子」


 しかし、直ぐにいつもの雰囲気に戻ったハイエルフ。

 懸念する事は、疾風の如く駆けて行った弟子の存在。

 色々な想いを一旦心にしまい込み、エルディンもバザールの方へ歩いて行く。



 ▽▼▽



 一方、その頃――



 ハイエルフを置き去りにしたレミアナは、『教会』へ向かっていた。

 兎にも角にも、信者に聞かなければならない事があるのだ。


(あぁ……あぁ♡ やっとこの時がぁぁ!)


 鼻息荒く、顔を恍惚に歪ませながら大神官長ヘンタイはひた走る。


(もう直ぐ会えるもう直ぐ会えるもう直ぐ会えるもう直ぐ会えるもう直ぐ会――あぁぁぁぁ!!)


 しかし、全速力から一転、突如急ブレーキを掛けて立ち止まった。

 尋常では無い程ソワソワしながら、辺りを激しく見渡す。

 すると、商店の軒先に並べられた樽が目に入り、直ぐ様その裏に身を隠したのだ。


(見つけた見つけた見つけた見つけたぁぁぁぁ♡♡)


 通りの様子を伺いながら、瞳をギラつかせ、頬を赤く染め上げていくレミアナ。

 加えて、腰をクネクネさせながら、グニャリと口角を吊り上げる。


(やっべぇ……ちょ〜かっけ〜♡♡♡)


 狂気を孕んだ視線の先には、1人の男。

 ボサボサに伸びた癖のある黒髪と、同じくボサボサに伸びた髭。

 汚れている訳では無いが、少しみすぼらしい身なりをした中年だった。


「……あんた、涎垂れてるよ」


 いきなり現れて悶え始めた不審者を、引いた目で見ていた女主人が苦言を呈する。

 真っ白なローブに真っ白なマント、教会の紋章をぶら下げた杖という、レミアナの格好は一応神官と言えるもの。

 女主人が治安部隊に通報していない理由はそこだけだった。


 しかし、レミアナはそんな事どこ吹く風。

 この時をどれ程待ちわびたか。

 谷間から手鏡を取り出し、前髪の状態をせっせと整える。

 ニコッと笑顔の練習をして、大きく息を吸った。


(よしよし、可愛い可愛い。これなら……イケるッッ!)


 準備を終え、いざ声を掛けようと立ち上がったその時――



「ちち〜♡」



 満開に笑顔を咲かせ、とてとてと中年に駆け寄っていく幼女が目に入った。

 キラキラと瞳を輝かせるその顔からは、溢れんばかりの幸せがひしひしと伝わって来る。

 両腕を広げながら、一生懸命に中年を呼ぶ様の何と愛らしい事か。

 猫……に見えなくもない着ぐるみを身に纏い、短い足で器用に走る姿に、住民からも優しい笑顔が零れる。

 しかし――



「…………は?」



 レミアナは違った。

 状況が全く把握出来ず、石の様に固まって動けなくなっている。

 すると、子供の声に振り向いた中年は穏やかに微笑み、しゃがみ込んで両腕を広げた。

 幼女は更に喜びを振り撒きながら、その中へ飛び込んでいく。

 中年に抱き上げられると、頬を寄せて目一杯甘え始めるのだ。


「……はぁ?」


 レミアナは現実が受け入れられない。

 すると、遠目から女主人を見つけた幼女が、元気に手を振って来た。

 女主人もいつもの様に笑顔で振り返す。

 此方を見ながら一礼した中年は、幼女と連れ立って人混みの中へ消えていった。


「いや〜、レナンちゃん益々可愛くなってね――ぐぇ!?」

「はぁぁぁぁぁぁ!?」


 すると、突然立ち上がったレミアナが悲鳴にも似た怒号を上げる。

 それ所か、女主人の両肩をガッチリと握り締め、前後に物凄い勢いで揺さぶり始めたのだ。


「どういう事ですか! 『ちち』って何ですか! あの人の子供なんですか! 何か知ってるんですか! 知ってる事全部詳しく! く・わ・し・くーーーー!!」


 女主人は揺さぶられ過ぎてそれどころでは無いが、レミアナも止める訳にはいかない。

 何故なら、これは大変に由々しき事態なのだから。

 しかし――



「何をしているんだお前はッ!」



 やっと追い付いたエルディンが駆けて来た。

 眉間にこれでもかと皺を寄せながら、女主人からレミアナを引き剥がす。

 うわ言を呟き青ざめる弟子の首根っこを掴みながら、女主人の様子を確認するエルディン。

 兎にも角にも、先ずは謝罪をしなければ。


「店主よ、すまなかった。コイツは少々……アレなのだ。許してやってくれ。おい! お前も早く謝れ!」


 師匠の怒号が飛ぶと、レミアナもハッと気付いた様に深々と頭を下げて謝罪した。

 頭の周りに星を飛ばし、ふにゃふにゃと何か言いながら、女主人は店の奥へ引っ込んでいく。

 その背中を見送ると、こみかみに青筋を立たせたハイエルフが、物凄い形相で弟子を睨み付けた。


「貴様ぁ……! 来て早々他者に迷惑を掛けるとは何を考えているんだッ! 私の納得がいく理由を説明出来るんだ――」

「エルディンさん! やっぱりラディオ様は此処に居ました! それに子供まで……あぁぁぁぁ!!」


「……何?」


 瞬間、ハイエルフの眉根がピクリと動き、青筋が収まっていく。


「……それは本当にラディオなのか? 遠目から見ただけ、しかも子供が居るなど……確証が無い――」

「いいえっ! あれは絶対確実完全完璧にラディオ様で間違いありませんっ! 私が、この私がっ! ラディオ様を見間違う筈ありませんからっ!!」


 その自信は一体何処から来るのか。

 そう結論付けた理由を聞こうとするまでもなく、勝手にペラペラと語り始めたレミアナ。


「御顔が拝見出来なくとも私には分かるんです。あの首、広い肩、分厚い胸板、盛り上がった腕、太い指、引き締まった胴体に立派な……下半身……♡ あぁ、ラディオしゃまぁぁ♡」


「お前は馬鹿な事をさせたら大陸一だな……」


 腰をクネクネとしきりに動かす弟子を見て、頭を抱える思いのハイエルフ。

 一体、どこで育成を間違えてしまったのか。


(本当に疲れる奴だ。しかし……)


 呆れながら眉間を押さえたエルディンだったが、確かに気になる点はある。

 見たという男がラディオであるならば、共に居た幼女は一体

 横で未だにラディオの好きな所―『シブいお声も好きですしぃ♡ 優しい笑顔も大好きですしぃ♡ うへへへっ♡』―を羅列している弟子を無視して、空を見上げたハイエルフ。

 流れる雲を見つめながら、憂いを溶かし込む様に溜息を吐くのであった。



 ▽▼▽



 レミアナ達が到着する半年前――



 凄まじい速度で空を飛ぶ1つの影。

 その背中には、楽しそうに笑い声を上げる小さな影。


「レナン、しっかり掴まっているんだよ」


「きゃははっ♡ ちち〜! はやいのだ〜!」


 小さな影に優しく声を掛けたのは、左頬に十字傷のある中年。

 そう、ラディオである。

 そして、背中ではしゃぐ小さな影は幼女。

 名をグレナダと言い、もう直ぐ3歳になるだ。


「もう直ぐ着くからね」


「あいっ♡」


 大好きなちちの背中に乗って、小さな手をギュッと太い首に回す。

 グレナダにとって、ラディオは幸せそのもの。

 共に居られる時間は、何にも代えられない宝物なのだ。


(あの街なら、レナンも浮く事はない。それでも……目立たぬ様にはしなければ)


 超速飛行により背後に衝撃波の尾を作りながら、これからの生活について思案を巡らすラディオ。

 全ては、愛する娘の為。

 『人』として、自由で幸せな人生を歩ませてやりたい。


「ちーちっ♡」


 すると、グレナダが頬を擦り寄せて甘えて来た。

 眉尻をこれでもかと下げたラディオは、娘の頭を優しく撫でてやる。

 温かな気持ちに包まれたグレナダは、もう嬉しくて堪らない。

 蕾が花開く様に、満開に笑顔を咲かせるのだ。


「きゃははっ♡」


「レナン、見てごらん? あの大きなタワーがある所が、ランサリオンだよ」


 親子がじゃれあっていると、『迷宮都市・ランサリオン』が視界に入って来た。

 徐々に速度と高度を下げていき、街から少し離れた小高い丘に着地したラディオ。

 其処には、何十年も使われていないボロボロの一軒家が建っていた。


 娘を背中から降ろしてやると、興味津々な様子で家へと駆けて行く。

 此処は、ラディオが予め買い取っていた2人の新居である。


 街から程良い距離で、何も目立つ所の無い極々普通の庭付き一戸建て。

 周りに他の家は無く、大きな森と青々とした芝が広がるだけだ。

 所々崩れてはいるが、敷地を囲む石垣もある。


 腰にぶら下げていた最低限の荷物を地面に下ろし、家を見上げるラディオ。

 今日から、新たな生活が始まる。

 娘を『人』として育てる為の、親子の生活が。


「きゃはははっ!」


 すると、グレナダが此方に駆けて来た。

 ラディオの足に絡み付き、両手を上に向かって広げながら、瞳をキラキラと輝かせている。


「ちちっ♡ おうちぼろぼろなのだ〜!」


「そうだね。これからは、此処がレナンのお家だよ。落ち着いたら、一度ばぁばに報告に行こうね」


 娘を抱き上げた―両手を広げたのは、無意識のおねだりである―ラディオは、柔らかく微笑みを浮かべる。


「でもね、ばぁばの所に居た時とは、少し違う事があるんだ。父とお約束をして欲しいんだけど、出来るかな?」


「あいっ♡ レナン、おやくそくするのだ!」


「そうか。良い子だね」


「ん〜〜♡」


 元気良く返事が出来た娘の頭を、愛を込めて撫でるラディオ。

 すると、グレナダは瞼を閉じて、大好きな手の温もりを満喫する。


(先ずは……掃除と補修だな)


 傷んだ家を観察しながら、笑みと共に溜息を零したラディオ。

 分かってはいた事だが、いざ目の前にすると考えていたより仕事は多そうだ。

 だが……それでも良い。

 娘が安心して暮らせる環境を作れるなら、どれだけ多かろうと本望だ。


「レナン、少し庭で待ってて……良く頑張ったね」


 腕の中に収まる娘に話し掛けたラディオは、途中で声量を落とした。

 温かな眼差しの先には、ラディオの胸に頭を預けてうとうとしている娘の姿。

 早朝からの移動の疲れと、抱かれている安心感で、急に眠くなってしまったのだろう。


(……寝る場所から確保しよう)


 ラディオは柔らかく微笑み、起こさぬ様に横抱きに変えながら、愛を込めて抱き締めた。


(世界中の何よりも、誰よりも……君の事を愛しているよ、レナン)


 陽光を浴びて輝く艶やかな長髪は、淡く優しい桃色から、毛先にいく程瑞々しい濃い桃色へと染まる白桃色。

 宝石と見紛う真紅の瞳、珠の様な美しい白磁の肌。

 ラディオの半分程しか無い小さな手足に、70cm程の小さな体。

 良く喋るが、まだまだ甘えん坊な性格。


 こうして見れば、普通の幼児。

 だが、グレナダは

 その時、尻尾がピクリと動きを見せた。

 ラディオは起こさぬ様に再び気を遣いながら、垂れていた尻尾を腕の中にそっとしまい込む。


 そう、グレナダには尻尾が生えている。

 身長と同じぐらいの長さで、竜の様に鱗の生えた太い真紅の尻尾が。

 そして、頭には角もある。

 耳の上辺りから、内側に湾曲した10cm程の結晶の様に輝く真紅の角が。


 この角こそ、グレナダが普通では無い最たる証。

 何故なら、この角を持つ者は現在グレナダのみ。

 以前の所有者は世界の災厄……である。


(君が生まれて来たくれた事が、どれ程嬉しかったか……それを伝えるには、この世の言葉は少な過ぎる)


 世界の災厄であり、である娘の為に、この身を粉にしよう。

 『人』として成長し、『世界』を知る事が出来る様、尽力しよう。

 すやすやと眠る娘を見つめ、強く想いを馳せるラディオ。


 残された時間でどれだけ出来るかは分からない。

 だが、これこそが己の使命。

 最愛の娘に、最大の愛を伝えよう。

 その為に全身全霊を懸ける事を、ラディオは改めて心に誓った。


(君は私が護り抜く。どんな事があっても、何をしてでも……今度こそ、必ず)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る