プロローグ2 10年越しの計画
ある日の早朝、レミアナは城下町の教会に居た。
世界を創造したと伝えられる女神像の前で、1人祈りを捧げている。
(どうか……ラディオ様が無事でありますよう)
ラディオが魔界へ旅立ってから3ヶ月が過ぎたが、レミアナは一度たりとも祈りを欠かした事は無い。
毎日朝と晩、ラディオを想い祈る事で、胸を貫く寂しさに耐えている。
だが、同時に後悔もしていた。
疎まれようとも、しがみついてでも、何でも良い。
あの時、無理矢理にでもついて行けば。
どんな形であれ、共に居られれば……どれだけ幸せだっただろう。
(あぁ……ラディオ様……ラディオ様……)
共に過ごした日々を思い返し、レミアナは深い深い溜息を吐く。
世界を救う為とは言え、僅か10歳の少女には些か『英雄のパーティー』は荷が重かった。
だが、そこで目にしたのは勇ましい男の姿。
レミアナの事を気遣い、決して危険に晒す事は無い。
世間を知らない少女が恋に落ちるのに、毛ほども時間は必要無かった。
それからと言うもの、日増しに想いは募っていく。
時間を共にすればする程、ラディオに惹かれていくのだ。
しかし同時に、ラディオへの扱いの辛辣さに辟易していく事となる。
他の2人は我関せずといった感じだったが、ナーデリアの態度は凄まじいものだった。
ラディオ1人に夜営の見張りを押し付け、戦闘にもほぼ参加しない。
食事も、ラディオだけ別の場所で取らせる始末。
『何故あの様な態度を許すのか』と、ラディオに迫った事もある。
だが、『英雄の影として、私は存在しているからね』と、優しい声で返すラディオに更に惹かれてしまうだけだった。
(あぁ……ラディオ様ラディオ様ラディオ様ラディオ様ぁぁ♡)
身体中を震わせ、ラディオへの愛に悶えるレミアナ。
息は荒く、顔を紅潮させ、涎を垂らして。
(あっ……うん、落ち着こう)
しかし、水瓶に映った自分の姿を見てふと我に返った。
12歳の少女が体をクネらせ発情している所など、誰にも見られてはならない。
これでは、只の変態だ。
いや、それならまだ良いのかも知れない。
しかし、今や『大神官』の座に就いているレミアナ。
教皇の孫娘で、最年少大神官で、英雄の一行……だけど変態。
これでは、色々と示しがつかない。
それに、今日は数時間後にナーデリアと王子の婚礼の儀が控えている。
幾ら好きではないとは言え、こんな形で失敗する訳にはいかない。
大きく深呼吸をしてから、レミアナは教会を後にした。
▽▼▽
その日の夜――
宴の喧騒を逃れ、王城の尖塔へやって来たレミアナ。
備え付けられた小窓から、城下町を見下ろす。
月があんなに高く登っているというのに、街の中は賑やかな声と音楽に包まれていた。
(はぁ……)
窓の縁に腰掛け、月を眺めながら溜息を吐く。
想い描くのは、いつだってラディオの笑顔だ。
(ラディオ様……会いたいです……)
レミアナは、今の地位に就いた事に引け目を感じている。
これは自分の努力の結果ではない。
12歳でこの地位に就くなんて、前代未聞だ。
教皇の孫娘という事もあるだろうが、一番の理由は別にある。
それは、
(私達は何もしてないのに……)
その時、少女の脳裏に先月の出来事がよぎる。
ある夜、クアンゼの私室に突如として送られて来た、結晶造りの豪勢な
中には、紛う事無き『魔王』の亡骸が安置されていたのだ。
流石の英雄の一行でさえ、驚愕を禁じ得ない。
亡骸自体もそうだが、不可解な点が2つあったからだ。
1つは、『魔王の証』である真紅の両角が、根元から折られていた事。
もう1つは、
『真なる者に、
これは、死者に贈る最高の弔辞である。
永きを生きる
だが、クアンゼは一向に
だからこそ、婚礼の儀に踏み切れたのだ。
(あれには……どの様な意味があったのですか?)
月を見上げながら、真意を汲み取ろうとするレミアナ。
しかし、考えれば考える程、頭が重くなってしまう。
(はぁ……ラディオ様……。ううん、ダメダメ! こんなんじゃダメだ!)
ラディオにしか分からない何かがあるのだろう。
そう思い直し、ブンブンと頭を振るレミアナ。
(そうだよ……私は、私のやるべき事に集中しないとだもん!)
実は、大神官の地位に就いたと同時に、レミアナはある計画を立てていた。
しかし、それを実行する為には、まだまだ実績が足りない。
今は我慢の時……もっともっと勉強しなければ。
「よしっ! やるぞ〜!」
レミアナは大きな伸びをすると、決意を新たにした。
己の目的の為に、努力を惜しまぬと。
(これが上手くいけば……!)
縁からぴょんと飛び降り、意気揚々と尖塔の階段を降りて行くレミアナ。
全ては、ラディオへの愛の為に。
▽▼▽
10年後――
(くひ、くひひひひ♡ とうとう……とうとう! この時が来たぁぁぁぁ!!)
穏やかな朝の日差しの中、手紙を食い入る様に見つめるクリアブルーの瞳。
婚礼の儀から10年、少女から見目麗しい女性へと成長したレミアナ。
今や、かのナーデリアに勝るとも劣らぬ美貌を持ち、えも言われぬ色香を振り撒いている。
腰辺りまで伸ばした、自慢のプラチナブロンドの髪。
透き通った宝石の様な瞳を彩るのは、長い睫毛と整った眉。
たわわに実った2つのメロンメロンは、たゆんたゆんでばいんばいんだ。
(くぅ〜!! ヤバいヤバいヤバいぃぃ♡)
城内の自室で手紙をぐしゃぐしゃに握り締め、全身を揺らしながら喜びに打ち震える。
手紙を届けたは良いが、声も掛けられず遠い目をしたメイドが側に居るが、レミアナはそんな事気にしない。
今度は腕をブンブン振り回して、絶えぬ喜びを表し始めた。
「あははぁ♡ あはぁ、はぁ……はぁ……♡」
しかし突然、レミアナの動きが止まる。
壁に立て掛けられた全身鏡に目をやり、荒い吐息を漏らし始めたのだ。
すると、『あぁ……また始まった』と更に遠い目になるメイド。
原因は全身鏡の上部に貼られた1枚の……いや、部屋全体に所狭しと貼られた大小様々な似顔絵。
描かれているのは全て同じ人物であり、勿論レミアナではない。
「で、では、私はこれで!」
部屋から逃げるよ様に、そそくさと退散したメイド。
一方、残されたレミアナは手紙を握り締めた右手を天高く突き上げ――
「……いよっっっっしゃぁぁぁぁぁぁ!!」
歓喜の雄叫びを城内に響き渡らせた。
ラディオと離れてからというもの、募る想いは膨れに膨れ、今や爆発寸前。
10年という歳月は、いたいけな少女を
「遂にこの時がぁぁ♡♡――あっ、連絡しとかないと」
今度は真顔になったレミアナ。
ガサガサと机の上を引っ掻き回し、手の平サイズの宝珠を取り出すと、両手でしっかりと握り締めて魔力を込める。
すると、宝珠から聞こえて来た声と会話を始めたのだ。
「……はい、遂にやって来ました。そうですね……はい……はい。では、また合図を送りますので、その時に」
話が終わると、全身鏡の前に立ち身なりを整える。
そして、大きく深呼吸をしてから、脱兎の如く廊下へ躍り出た。
「あの人の所にも行かないと!」
▽▼▽
リモルディア城・『王太子妃寝室』――
拘り抜いた家具や調度品に囲まれた、贅の限りを尽くした巨大な寝室。
天蓋付きの豪華なベッドの上で、気怠そうにゴロゴロしている1人の女。
何を隠そう、王太子妃となったナーデリアである。
透け感が激しいネグリジェ姿で、ボーッと窓を見つめる様でさえ妖艶。
30歳を目前に控えていると言うのに、その美貌は衰えるどころか増す一方。
少女の可憐さを残しつつも、大人の色香を纏っていた。
「な〜に〜?」
「失礼致します。御朝食をお持ち致しました」
ノックの音に反応すると、メイドがカートを押しながら入って来た。
「本日はパンプキンスープとクロワッサン、海鮮類を入れたオムレツにサラダで御座います」
ズラリと並べられた豪華絢爛な朝食にも関わらず、一切の興味を示さないナーデリア。
しかし、メイドもそれが分かっていたかの様に、今度は美しい銀の盆を差し出した。
「今朝方届けられました、フルーツの盛り合わせに御座います。何でも、
すると、むくりと起き上がり、フルーツを1つ摘んで口へ運んだナーデリア。
「はむっ……アンタに全部あげる」
しかし、一口齧っただけで、残りは皿に放り投げてしまった。
「いらないから出てって。今日は誰も通さないでちょうだい」
「かしこまりました」
メイドは静かに一礼すると、カートを押して部屋を出て行った。
ナーデリアはベッドに仰向けになると、ぼーっと天井を見つめ始める。
「……なーにやってんのかしらねぇ、アタシ」
ナーデリアは朝が嫌いだ。
目を覚ますと、誰も側に居ない。
小さい頃からそうだった。
しかし、直ぐにパンと卵を焼く匂いがして来たものだ。
「……最悪」
今更思い出す事では無い筈なのに。
最近はずっとこうだ。
全てを忘れる為、再び眠りにつこうと目を閉じる。
だが――
「ナーデリアさぁぁぁぁん!」
「うるさっ! 何叫んでのよ! アンタノックも出来ない――はぁ?」
メイドかと思いきや、入って来たのはレミアナだった。
苛立ちと疑問が沸き上がり、思わず体を起こすナーデリア。
「あ、すいません! すーっふぅ……急ぎのお話があるんです!」
呼吸を整え様とはするが、興奮を抑えきれない様子のレミアナ。
しかし、朝から何て騒がしいのか。
どうせ大した用事でもないだろうに。
再びベッドに横になり、レミアナに背中を向けるナーデリア。
「アタシ眠いの。さっさと済ませてくれる?」
「はい、お時間は頂きません。私も直ぐにでも出発したいので!」
言葉が引っかかり、再び体を起こしたナーデリア。
大神官が教会を空けて何処に行くというのか。
しかし、レミアナはぐしゃぐしゃになった手紙を広げて、嬉々として読み始める。
「えー、大神官レミアナ・アルドゥイノ殿……要約しますね。『先の試験内容に基づき、貴殿に大神官長の地位を与える』という事です!」
「……はぁ?」
満面の笑みのレミアナに対し、眉根を吊り上げて険しい表情のナーデリア。
大神官から大神官長になった所で、何が変わると言うのか。
だが、レミアナはお構いなしに、意気揚々と説明を始めた。
「私、この度大神官長になりました。なので、リモルディアから別の任地に赴きたいと思います。今日直ぐに発ちますけど、一応ご挨拶をと思いまして」
成る程、そういう事か。
英雄の一行として王国の教会を任されたレミアナは、容易にこの地を去る事が出来ない。
しかし、『大神官長』となれば話は別。
教皇に次ぐ権力を持つ事となったレミアナは、自分の意思で任地を決定出来る様になったのだ。
これこそ、10年の歳月をかけて成功させた『計画』。
ひたすらに勉強に打ち込み、教会の仕事を誰よりもこなし、実績を作り続けた。
その結果、また記録を破り、最年少で大神官長の地位に就いたのである。
レミアナから顔を逸らしたナーデリアは、窓を見つめたままボソッと呟いた。
「あっそ……好きにす――」
「はい、好きにします。新しい任地は迷宮……あ、興味無いですよね。では、お世話になりました!」
返答も待たず、物凄い勢いで走り去っていくレミアナ。
ナーデリアは無言のまま、目を閉じた。
(……ホント最悪)
▽▼▽
「ふぅー! これで準備完了〜♡」
自室へ戻ったレミアナは、手早く荷造りを終えていた。
額の汗を拭いながら、努力の結晶―パンパンに詰まったトランク―を見つめて、大層ご満悦である。
「あ〜♡ これも忘れちゃいけないよね〜♡」
しかし、全身鏡の前に立つと、急に瞳をギラつかせた
とびきり良く描けた似顔絵を剥がすと、丁寧に折り畳んで何故か谷間に挟み込む。
「後はぁ〜♡ こ・れ・もっ♡♡」
次は、机の引き出しから15cm程の人形を取り出した。
竜を模した鎧を纏い、純白のクリスタルで誂えた逸品。
顔は特に良く作り込まれており、大きな斜め十字の傷まで完璧に再現されている。
「うへへっ♡ ちょ〜かっけ〜♡♡」
人形を見つめながら、荒い吐息を漏らすレミアナ。
瞳にハートマークを飛ばしながら、劣情に顔を歪めて。
一頻り人形を撫で回し、熱烈な口付けをした後は、似顔絵と同じく谷間に挟み込む。
「んふふ……んひひひひ♡ うん、時間が惜しいわ! 早く連絡しないと〜♡」
甲高い声を上げながら、再び全身鏡の前に立ち、宝珠に魔力を込める。
すると、鏡面がグニャリと歪み、真っ暗な穴が出現したではないか。
ニヤァっと頬を吊り上げたレミアナは、トランクを持ち、鼻歌まじりに足を突っ込んでいく――
「ふんふんふ〜ん♡ ふんふえぇっ!? そんなぁ〜!」
が、重さに耐え切れず取っ手が壊れてしまった。
無残にも床に散乱した努力の結晶達。
急いで詰め直そうとするが、宝珠から急かす様に声が響いて来る。
「えぇ!? えとえと……も〜! 分かりましたよっ!」
ぷくっと頬を膨らませながら、ほぼ忘れ掛けていた杖―神官の証の1つ―だけを持ち、レミアナは仕方なく穴へと入っていった。
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