八月十四日
毎年十四日は、地域の催しで魚つかみ大会がある。
川の上下に網を張り、イワナを四百匹ほど放流する。お盆で帰省している人たちも集まり、毎年かなりの盛況ぶりである。
参加費は一人五百円、取った魚はその場でワタヌキをしてもらえ、希望すれば塩焼きにしてもらえる。ほかにもカレーとスイカが食べ放題だったり、ビールのサーバーが置いてあったりと、過疎地の催しものにしては、なかなかに大盤振る舞いだ。
私は家の掃除をし、いつも通りの畑仕事を済ませてから出かけるため、伊織さんには先に行って、魚を獲ってもらうことにした。
私が川に着くころには、伊織さんは地元のおじさん方と、すっかり出来上がってしまったようだ。
夕べも晩酌をしていたが、その様子を見るに、彼女はかなりいけるクチのようだった。それがこれほどへべれけになるとは、いったいどれほど飲んだのだろうか。
「伊織さん、酔っぱらう前に魚は捕ってくれた?」
テントの下でビールを飲む伊織さんに声をかけると、彼女が答えるより早く、青年会の村井さんが声をかけてくれる。
「ちゃんとそこのバケツに入ってるよ。ワタヌキと、串も持って来てたから、串があった分は串打ちまでしてあるけど、焼くのは自分ちでやるんだっけ?」
村井さんに指さされたバケツを見ると、中には串に刺さったイワナが三尾、ワタヌキだけされたものが三尾入っている。串打ちしていない分は、画家先生の分だ。今年はお盆の間はいないので、とっておかなければきっと機嫌を損ねてしまうだろう。
「ありがとうございます。今日は家でも焼き肉にしようかと思って。あ、でも今食べたいから一尾だけ焼いてもらえますか?」
バケツの中の串打ちされたイワナを一尾を取り出して、村井さんに渡す。彼は慣れた手つきで塩を振って、さっそく火にかけてくれる。
「いやー、いいですね!晴天の下で飲むビール!カレーにイワナの塩焼き!極めつけにはスイカまで!日本の夏はかくあるべきですね!」
カレーをよそって戻ってくると、伊織さんが手に持ったコップを高く掲げた。中に入っていたビールが大きく波打ち、数敵が砂の上に零れ落ちて、あっという間に地面にしみ込んでいった。
「もう、酔っぱらうのはいいけど、ちゃんと帰って来られる?私はカレーだけ頂いたら帰ろうと思ってたけど……」
カレーを食べながら、ちらりと伊織さんを見やる。彼女はぐいっとコップをあおり、ぷはーっと声をあげた。お手本のような酔っ払いだ。
「だいじょーぶ、だいじょーぶ!何日か歩き回って、このあたりの事も大体分かりましたから!」
彼女のその飲みっぷりを気に入ったのか、おじさんたちも飲め飲めと、再び彼女のコップにビールを注いでいる。
「由乃ちゃんところも、また面白い人が来たねぇ。画家先生に、学生先生に、今度は本当の大学の先生かい」
向かいでお酒を飲んでいた豊田さんが、豪快に笑った。
学生先生とは、二年ほどここへ通っている、農業大学の生徒さんだ。研究の一環としてやってきてはしばらく滞在して、たまに農業指導なども行ってくれる。
「先生なんてそんな、私はそんな大したもんじゃないですよぅ」
当の伊織さんは、周りからも持ち上げられてまんざらでもなさそうだ。照れたついでに、コップのビールをまた飲みほしている。彼女の肝臓が心配になってくる飲み方だ。
私がカレーを食べ終わっても、伊織さんはまだおじさん方と何やら盛り上がっていた。
私は彼女を置いて、イワナを持って先に帰ることにした。
家へ帰る前に、一度川へ降りる。コンクリートのブロックでできた階段を降りると、川からの風で涼しさが増す。水面は輝きを帯びて、夏の日差しを反射している。
子供たちは姿勢を低くして、岩の隙間に手を突っ込んで魚を追っている。
私は見知った幾人かに挨拶だけして、その場を後にした。
夕方も近くなった頃、夕飯の買い出しから帰ってくると、伊織さんもさすがに帰ってきたようで、玄関には脱いだ靴が揃えられていた。
あれだけ酔っているように見えても、きちんと靴をそろえて脱いでいるあたり、やはりもともとお酒に強い人なのだろう。
買ってきたお肉を冷蔵庫へ入れ、外へ出て焼き肉用のコンロを蔵から出してくる。二人しかいないが、今日はイワナと買ってきたお肉とで焼き肉だ。
準備をしていると、部屋で寝ていたのか、伊織さんが寝ぼけ眼で降りてきた。
「おかえりなさい……、何か手伝いますか?」
彼女はしばらくぼんやりとしていたが、私が準備しているのが焼き肉用のコンロと炭だというのが分かると、ぱっと明るい表情を見せて、もう一度私に尋ねてきた。
「もしかして焼き肉ですか!?何か手伝いましょうか!」
先ほど、お酒をしこたま飲んできたであろう人とは思えないテンションだ。川でも今日は焼き肉だという話をしたのに、どうやら聞いていなかったらしい。
「あれだけ飲んでいらしたら、焼き肉は重いかなとも思ったんですが……、その様子なら食べられそうですかね」
私の心配をよそに、伊織さんの思考ははすでにお肉のことしか考えていないようだ。
「由乃さん、土間にまだビールありましたよね?どうせ明日も明後日も飲むので……、瓶で五本……、いや六本買っておいていいですか?」
民宿では、定期的に酒屋さんからお酒を購入し、それをお客さんに販売して手数料を得ている。今宿泊客は伊織さんしかいないのに、今週は彼女のおかげでビールケースが丸々一つ空きそうな勢いだ。
「昼間もあんなに飲んでいましたし、今夜は控えた方がいいのでは……」
伊織さんは、私の言葉などどこ吹く風、すっかり自分の世界だ。
私は彼女を説得することをあきらめて、土間から持ってきたビールを、キュウリやトマトと一緒に井戸水で冷やした。
「伊織さんて、昔からそんなにお酒が強かったんですか?」
夕食のとき、お肉を焼きながら伊織さんに聞いてみた。彼女は手酌でビールをグラスに注ぎながら笑う。
「まさか。最初は誘われたら飲む程度で、むしろ好んで飲むことはなかったですねー。でも、研究でいろんなところ回ると、結局お酒が一番手軽なコミュニケーションツールだなって、気づいちゃって」
そういって、右手にビール瓶を持ったまま、左手に持ったグラスへ口をつける。その一連の動作が、あまりにも手馴れて、板についている。
「私の仕事は、スムーズにコミュニティの中に入っていくのが、一番手っ取り早いですから。田舎じゃまだ、寄り合いや住民同士の飲み会の文化も根強いですからね。飲めないよりは、飲めた方が何かと便利なんです」
彼女は「今は、普通に酒好きなだけですけどね」と自嘲気味に続けた。
二人きりの夕食を終え、炭やコンロを片付けると、今日も小さな手持ち花火セットを一つ出してきて、庭へ出る。
夕食の話の続きで、彼女の生い立ちや、何故研究職についたのか、今までの研究についてなど、花火をしながら聞いた。
聞いてみて分かったが、いつもはふざけような態度をとっているが、彼女はなかなかまじめな人のようだ。あるいは、人から話を聞きだすために、わざと気さくなキャラクターをつくっているのかもしれない。
お酒を好きになった経緯からも、思いのほか計算高い彼女の性格がうかがえる。それは、仕事をスムーズに、円滑に進めたいと思う、彼女のまじめさからくるものだということも分かった。
「いやー、普段は話を聞く仕事なので、自分のことを話すのはなんだか照れますね」
彼女はそう言って、頭を掻きながら笑った。
花火を終えると、伊織さんが感嘆の声を上げた。
「すごい量の星……。天の川って、本当に川になっているんですね」
彼女は立ち上がって、夜空を見上げている。花火の明かりのなくなった暗闇に、星の明かりが映える。
「さすがにこの量の星は、市街地じゃ見られないですよね。そうだ」
花火の始末をすると、二人で家の畑の向こう側にある道路へ出た。
そこでは、辺りに街灯も民家の明かりもなく、家の近くよりさらに深い闇が広がっている。
そして、完全に山の影に入ると、先ほどよりさらに多くの星が私たちの頭上に瞬いている。
二人で、道路の上に横になり、あおむけで空を眺める。夏とはいえ、夜はぐっと気温が下がり、周囲の空気はひんやりとしていた。けれど、地面は昼間ため込んだ太陽の熱を放出し、背中越しに地表のぬくもりが伝わってきて、昼間うっとおしいほどに感じたその熱が、今は程よく心地よい。
「なんだか、これだけの量の星が見えていると、綺麗というより怖いですね」
伊織さんが、隣で身震いした。
周囲にはお互い以外に人の気配もない。
普段は意識することもなかった宇宙の存在が、急に実体を伴って身近に迫ってくるような、地面に寝っ転がっているはずなのに、宇宙に放り出されてしまったような、なんとも心細い感覚に陥る。
何気なく見上げて美しいと感じていた星々が、今は冷たく私たちを突き放すように、鋭い光を放っているように感じられる。
「じゃあ、恐怖心が和らぐように、もうすこし詳しくなりましょう。得体のしれないものほど怖いものもないですから」
そこから、持ってきた天体図鑑を広げ、ペンライトで照らしながら、本のページと空の間を、何度も視線を往復させた。
夏の夜空を南北に横断する天の川。天の川はかなり大雑把に言うと、平べったい円盤のような形をした銀河で、中心に向かって渦を巻いている。地球は、天の川銀河の外の方に位置している。夏は地球が、銀河の外側から内側を向いているので、そもそも見えている星の絶対数が冬とは大きく違う。天の川は、平べったい円盤を横から見ていることになる。
今はまだ時間が早いため、天の川は東寄りの空を流れている。その中でもひときわ輝いているのが、夏の大三角の一角を担うこと座のベガ。
夏の夜空を彩るもう一つの巨星、さそり座のアンタレスは、南の低いところを走っていくため、残念ながら山の影になってしまってここからでは見えない。
もうしばらくして、夏の大三角が天の頂に到達するころには、東の空に秋の星座たち、ペガススや王女アンドロメダがやってくる。
空と遠く神代の物語に思いを馳せ、一時間ほどをそうして過ごした。
地表の熱があるとはいえ、夜も更けると流石に少し冷えてきたので、その場を後にする。
「ふう。私今、電球の明かりに無性にほっとしました」
帰ってきて、居間でお茶を飲み人心地つくと、伊織さんが和らいだ表情を見せる。
「こんなに人工の明かりが恋しくなるなんてこと、なかなかないかもしれませんね」
私も彼女に同意する。
夜風が、縁側の風鈴をさっと撫でて、部屋の脇に置いた蚊取り線香の煙を乗せ、家の中を通り抜けていく。
虫の音と涼風が、季節を加速させていく。
里の歳時記 四賀 詠助 @e-suke
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