八月十三日

 夏の日差しは全てをギラギラと輝かせ、まるで熱気を帯びた生命力が、夏の暑さを後押ししているようだ。今日も、青と緑のコントラストが美しい。

 この民宿はまとまったお休みの中でも、お盆とお正月は比較的予約が少なくなる。特に今年は、画家先生は実家に帰ってしまい、予約も一件しか入らなかったため、ゆっくりとお盆の準備をすすめる。

「由乃さん、笹オッケーです!」

 彼女はその貴重な一件の予約のお客さん、溝口伊織さんだ。郷土史を研究しており、ここ数年はお盆のたびに全国を周っているらしい。

 この民宿へは一昨日からやってきて、その壁を作らない性格から、先生にもぐいぐいと接していき、すっかりここに馴染んでしまった。

 昨日までは各家々を回って聞き取りの調査をしていたようだが、今日は朝から盆棚飾りを組み立てるのを手伝ってくれている。

 盆棚飾りは、お座敷の一等いいところに組み立てる。木の枠を木槌で組み立て、仏壇の中のものをすべて移し、昨日買ってきたお供え物も棚の上に並べ、ようやくお盆だという実感が湧いてきた。

 今はまだ涼しいが、それでも一仕事終える頃には、額にじんわりと汗がにじんでいた。

 九時を過ぎると、山の中の蝉が一斉に鳴きだす。今日も暑くなりそうだ。

 家の中の掃除を済ませると、まだ気温が上がりきらないうちに、畑へ出て野菜を収穫してくる。普段は夕方涼しくなってから採るのだが、今日は夕方お墓参りに行く前に天ぷらを揚げるため、早めにやるべきことを済ませておかねばならない。

 伊織さんと手分けして、カゴいっぱいに、茄子、ピーマン、キュウリ、トマト、トウモロコシ、モロッコいんげんなどの野菜を収穫して詰めていく。

「伊織さん、こっちです」

 伊織さんをトマト畑の近くに呼びつけると、中でも一番赤くてツヤのあるものを、木から捥いで彼女に手渡した。私も、真っ赤に熟れたトマトを一つ手に取ると、シャツの裾で拭ってその実にかぶりついた。

 トマトの中から汁があふれ出して、腕を伝って肘から滴る。井戸水で冷やしたトマトやキュウリも最高だが、木から捥いだばかりの、まだ太陽の熱を内に持った野菜も、それはまた格別の美味しさだ。冷やしていない分野菜の味がより際立つ。

 いつも通りの畑仕事を手早く済ませたが、昼前には既に汗だくだった。背中に入れたタオルが、汗でじっとりと濡れて気持ち悪い。

 家へ帰ると、さっとシャワーを浴びて、お昼の準備に取り掛かる。今日のお昼は、先ほど収穫したばかりのキュウリとトマトをコロコロ小さなさいの目に切ったものを、めんつゆと合わせたたれにしたそうめんと、ピーマン、茄子、豚肉の炒め物、キュウリと茄子の浅漬けだ。

 夏は夏野菜をたくさん食べると、元気になれる気がする。

 お昼ご飯を終えると、居間で一休みする。

 午後に入って、風がすっかりやんでしまった。山の中でも気温は容赦なく上がり、じりじりとした暑さが身体の中の熱を増幅させる。

 客室はエアコンが入っているので、そちらで休んだ方が快適だろうに、なぜか伊織さんも居間にいる。扇風機の風を二人で分け合って、何とか涼をとろうとするが、正直気休めにしかなっていない。

 ようやく吹いた風が、縁側の風鈴を一度だけちりりん、と鳴らし、一瞬の涼しさをもたらして去っていった。後には、より強調された暑さだけが残った。

 この暑さの中で、セミの鳴き声と川の音だけが、元気に鳴り響いている。

 そういえば、今朝のニュースで天気予報氏が、今日は全国的に記録的な暑さになると言っていたのを思い出した。

 午前中急いで畑仕事を済ませたのにもかかわらず、結局一番暑い時間帯に天ぷらを揚げることになってしまった。四時には出かけたいので、逆算しながら準備を進めると、致し方ない。

 夏の天ぷらは少々堪えるが、やらないわけにはいかない。何より、私は夏野菜の天ぷらが大好きなのだ。ナス、かぼちゃ、ピーマン、ちくわ、季節外れだけれど、買ってきたサツマイモも次々と揚げていく。野菜を揚げ終わると、冷蔵庫の野菜室から天ぷら用のお饅頭を出し、それも揚げる。

「お饅頭の天ぷらか~。食べたことないですけど、絶対美味しいですよね!」

 居間で聞き込みの成果をまとめていた伊織さんが、台所へやってきて隣で私の様子をじっと見ている。せっかくなので、揚げたての天ぷら饅頭を一つ差し出す。

「中身がとっても熱いから、気を付けてくださいね」

 彼女は素手で受け取ると、思いっきりかぶりついた。

 当然というか案の定というか、彼女は口元を抑えてはふはふと口を開閉している。相当熱かったに違いないが、私の手前一度出すわけにもいかないのか、目尻に涙を溜めている。

 注意を促したのに、と思いながら、コップに氷をたっぷり入れ、水を注いで渡してあげた。

 飲み下した後もしばらく悶絶しているようだったが、彼女はコップの中の氷を一つ口に含み、ようやくしゃべりだす。

「美味しいです!お饅頭の皮が油を吸って香ばしくって、衣にはちょっぴり塩が入ってるんですかね?その塩気がアツアツのあま~いあんことすっごく合います!」

 そう言って、右手に残っていた残りの天ぷら饅頭も、ぺろりと平らげてしまった。

 天ぷらを揚げ終わると、その揚げ油でついでに茄子も揚げ、めんつゆ、お酢、砂糖、鷹の爪を混ぜたたれに浸けて、冷蔵庫に入れておく。夕食の時には食べ頃だろう。油とたれをたっぷり吸った冷たい茄子の揚げびたしが、夏の大好物のひとつなのだ。

 揚げ物を終える頃には、私は再び汗だくになっていた。

 揚げ油の始末をすると、天ぷら、お菓子を新聞紙で包み、マッチ、線香、お花に、水を入れたやかんを準備し、伊織さんと手分けして持って、お墓参りへ向かう。

 外はまだまだ昼間の暑さが残っているが、吹く風の中にどこか涼しさを感じる。夏の夕方の、緑と川の匂いを胸いっぱいに吸い込む。まぎれもないほどの夏の空気の中に感じる寂しさに、季節が過ぎていくのが惜しく思われる。

 お参りを済ませると、墓石に背を向けてしゃがみ込み、腰のあたりで後ろ手に手を組む。

 それを見ていた伊織さんが、興味深そうに視線を投げかける。

「それにはどういった意味が?」

 彼女はポケットからペンとメモを取り出して、構えている。こうやって改まって聞かれると、なんだか気恥ずかしい。

「えーっとね、お墓からご先祖様を家に連れて帰るの。うちはキュウリの馬も茄子の牛も作らないから、家の者がお墓から直接連れて帰って、盆棚飾りの前で同じようにして下すのよ。それで、帰るときは飾りの笹を川に流して、それに乗って帰るんですって」

 伊織さんは私の話を一通り書き留めると、私と同じように墓石の前にしゃがみ込んだ。

「お手伝いしますよ。お世話になってますし、せっかくのご縁ですから」

 伊織さんはそのまま隣の墓石の前にも移動し、「乗りましたかー?いきますよー?」と声をかけている。

「伊織さんがいてくれて助かったわ。私一人じゃみんなをおぶって帰るのは大変だもの」

 私がそう言うと、彼女はからからと笑った。

 家へ帰ると、盆棚飾りの前で、墓前でしたのと同じようにしゃがむ、線香をあげ手を合わせると、すぐにまた外へ出た。

 蔵から、焦げた鉢を出して玄関へ持って来ると、すぐ脇にあった木箱の中から、鉢の中に小さな木のかけらを二、三個入れた。

 伊織さんはその間、私の後ろをついて来てずっと様子を見ていた。

「お墓から直接連れてきても、迎え火も焚くんですね」

 マッチを取り出したところで、黙ってついて来ていた彼女声を出した。

「そういえば、そうね。本来はご先祖様がキュウリの馬でやってくるから、その目印に火を焚くんでしょうけど……、うちはなんでやってるんだろう?」

 マッチを擦って、木のささくれだったところに火をあてがう。

「東京ではカンバを燃やすらしいけれど、こっちでは“チンチロ”といって、アカマツの根を燃やすのよ。ヤニを含んでいて火が付きやすいの。それに、とてもいい匂いでしょう?」

 あっという間に火が付き、バチバチと音をたてながら、黒い煙と共に馨しい香りが立ち上る。

「本当だ、なんて表現したらいいんだろう。お香みたいなんだけど、もっとすっきりしたような。すっと胸のすくような匂いですね」

「伊織さんには、毎晩このくらいの時間にこの”チンチロ”で火を焚いてほしいの」

「ここでは毎晩焚くんですね、分かりました。そうすると、帰ってくるときの目印のためというより、別の理由があるのかも。毎晩火を焚く理由って、分かりますか?」

 彼女は私のお願いを、快く了承してくれる。

「そういえば、普通は迎え火と送り火の二回だけよね。なんでだろう。ごめんなさい、これもよく分からないわ。もしかしたらいろんな風習が混ざってしまっているのかも」

 彼女は「大丈夫です!」と言いながら、手帳にメモをした。

「全く問題ありません!こうやって実地で調査して、そこから文献を当たったり、今までの調査を洗いなおしたりして、学問として深めていくのが、私の仕事ですから。由乃さんには、そのきっかけづくりとして、とにかくお話ししてもらえればありがたいんです」

 その言葉に、私はなるほど、と納得する。

「もしなにか分かったら、私にも教えてもらっていい?」

 伊織さんはメモ帳をぱたん、と閉じて、それをポケットにしまいながら「もちろんです」と笑った。

 今年は二人きりのお盆だが、やはり特別な日には張り切ってしまう。二人では食べきれないほどの料理が、盆棚飾りの前に出したテーブルに並べられた。

 夕食を済ませると、玄関のクロゼットから小さな花火セットを取り出して、再び外に出る。日はすっかり沈み、気温もだいぶ落ちてきた。

「祖父がね、花火が好きだったんです。私と先生の二人の時は、線香花火を一束だけ買ってきてたんだけど、今年は伊織さんがいるから」

 ろうそくに火をともして、手持ち花火に火をつける。ススキ花火は青から緑、オレンジ、赤へと次々に色を変えて、一分ほど燃え、勢いをなくして消えた。

「由乃さん!見てください!」

 伊織さんは両手に持った花火に火をつけ、少し先へ走っていった。ある程度離れて立ち止まると、その場で仁王立ちして、手に持った花火で弧を描いて見せた。

「もう、危ないですよ。ケガだけはしないでくださいね」

 顔では困って見せつつも、梓くんがやりそうな遊び方だな、と、思わず頬が緩んでしまう。

 どこかの家で、打ち上げ花火をしているのだろう。パンッ、という破裂音が、遠くで響いた。

 いろんな家に、家族が帰ってきているのだろう。

 町は、夏の夜と花火の匂いで満たされた。

「あーあ、もう終わっちゃった……」

 すべての花火をやり終えると、伊織さんは分かりやすく残念がった。

 花火セットはスーパーにあった一番小さいものを買ってきたため、二十分もかからないうちにすべてなくなってしまった。あんなに楽しんでもらえるのなら、もっと大きいものを買って来ればよかっただろうか。

「そんなに残念そうな顔をしないでください。お盆の間は毎日できるように、セットは三つ買ってきていますから。それに、明日の買い出しでまた買ってきてもいいですし」

 そう伝えると、伊織さんは庭の向日葵を思わせるほどの笑顔を見せ、後ろにぐーっと大きく伸びをした。

 「やっぱり、田舎の夏はいいですね。いかにも夏!って感じなのに、都会より断然過ごしやすいです」

 彼女の言葉に、耳を疑った。居間でこそ日も落ちて涼しいが、昼間はあんなに暑かったのに。私には耐えがたいほどの暑さでも、普段都会で過ごす彼女にとっては、ここの暑さなど、どうということはないのかもしれない。

「明日も暑くなるそうですよ」

 私がそう伝えると、彼女は「楽しみですね!」と言いながら、にかっと笑って見せた。

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