五月九日(二)
田植えの最終日は、焼き肉だ。これは、私がまだ東京へ引っ越す前、こちらに住んでいた時からの恒例だ。
今では毎年、先生が昼過ぎに大量の肉を買いに出かけてくれる。食が絡むと、めっぽう頼りになる人だ。
「ただいまー。それにしても、今日はあったかいなー」
家に帰り夕食の準備をしていると、先生が外出から帰ってきた。
「あっ、先生!『おおだ』を作ってもらっていいですか?外に残りの稲が置いてあるので」
帰ってきたばかりで申し訳ないとは思うが、ついでに頼みごとを申し付ける。先生は頭を掻きながら、銀色の丸盆を棚から取り出す。さすが、言わずともやるべきことを理解してくれている。
「お盆はこれでいいの?」
「はい。おにぎりはもう作ってあるので」
先生は、丸盆を一旦テーブルの上へ置き、輪ゴムを持って外へ行く。しばらくすると、持って行った輪ゴムで稲を一掴み分束ねたものを、三つ持って戻ってきた。束は輪ゴムを中心に少しねじってあり、ちょうど鼓のような形をしている。
稲の束は丸盆の上に立てて乗せ、さらにその上に、それぞれまん丸に握ったおにぎりを乗せる。
「はい。じゃあ、神棚にあげておいてください」
先生はもはや何も言わず、神棚へ向かう。
豊穣を願う、神様への供え物だ。本来であれば、田植えがすべて終わったときにするのだが、私と先生だけでやっても味気ないので、良しとしよう。
焼き肉の準備は、炭は男性陣と子供たち、それから西嶋さんと先生に任せる。残りの女性陣で食べ物の準備をし、全て庭のテーブルの上に運び出す。
庭の水道からは、井戸水を細く出しっぱなしにし、水を溜めた桶にジュースやお酒の缶を入れれば、食材の準備は終わりだ。
「どうですか?火はつきましたか?」
バーベキュー用のコンロを囲む男性陣の後ろから、様子を覗き見る。
「これ!これで吹くと火がめっちゃ強くなる!」
一番前で炭を眺めていた真人くんの手に握られているのは、一本の竹筒だ。それはもともと、穴をあけた竹に棒とガーゼを突っ込んだだけの簡単な水鉄砲だったのだが、先生が倉庫から持ってきたのだろう。今は棒とガーゼの部分が取り外され、火吹き竹として活躍しているようだ。
「いいなぁ、これ。水鉄砲にもなるし。お父さん、今度キャンプに行くときは、これ買って持っていこうよ」
真人くんは火吹き竹、もとい水鉄砲をいたく気に入ったようで、お父さんにおねだりしている。
お父さんの方は、そもそもどこで竹を手に入れるべきか、『ホームセンターで買えるでしょうか?』と困惑気味だ。
「良かったら、それは差し上げますよ。竹さえあればすぐに出来るものですし。まだ余りがありましたよね、先生」
声をかけられた先生は、焼き肉の準備にご執心のようで、たれをお皿に出しながら顔も上げずに答える。
「あぁ、倉庫の方にまだ三、四本あったよ。たぶん、去年流しそうめんをやったときにでも作ったやつだろ」
たれの準備を終えた先生は、近くにあった炭ばさみを片手に、火の様子を見ている。そして反対の手には、皮が付いたままの筍が握られている。竹林を所有するご近所さんからのもらい物で、私たちが田んぼに出ている間に先生が受け取ってくれたらしい。いわく、今朝の採れたてだそうだ。彼女はもう待ちきれないようで、しきりに炭を気にしている。
「「「流しそうめん!?」」」
先生の言葉に、真人くんと湊くん、そして今度は西嶋さんまでもが食いつく。これは、藪蛇だったかもしれない。
三人はそれぞれ、ご両親と三浦さんに流しそうめんをねだり始めた。加納さんご夫妻と黒岩さんは、それを見てくすくすと笑っている。
炭は十分に熾きていたので、先生が皮がついたままの筍を、火の中へ放り込む。その上から網を渡し、筍に火が通るまでは、上で肉を焼く。
「はー、肉がめっちゃ沁みる~」
西嶋さんが一口食べて、ため息を漏らしながらそう言った。
加納さんの奥さんも、ほぅ、っと息をついて、お肉とビールを交互に口にしている。
「本当に。こんなに疲れてから食べる食事なんて、何年振りかしら。お肉も柔らかいし、いくらでも食べられそう」
先生はというと、最初の数枚だけ肉を網の上に乗せたきり、トングを私に任せて、食べるのに専念している。
「田植えをしている時もずっと鳴いていましたが、あれはホトトギスですよね」
黒岩さんが、林の中から聞こえてきた、高く調子の良い鳥の鳴き声に注意を向ける。
「そうですね。今年は少し早く鳴き出しているかな。昔の人は、ホトトギスの鳴き声を合図に、田植えをしていたそうですよ」
そこに、加納さんの旦那さんが会話に混ざる。
「そういえば、周りの田んぼはまだ田植えをしていないようでしたね。トラクターが入っていましたが、代掻きの段階ですか」
「えぇ、この辺りでこんなに早く田植えをするところは、あまりないですね。車で三十分ほど移動したところだと、もう始めている人もいますが」
田植えは、来週か再来週にする家が多いと言うと、黒岩さんから心配されてしまう。
「そうなんですね。佐伯さんの田んぼは、こんなに早く植えてしまって問題ないですか?」
「あはは、私はゴールデンウィークに田植えが出来るよう調整しているので。委託で田植えを請け負っている方はもっと早く、四月の半ばから始める人もいるくらいなので、問題ないですよ」
そこでまた、ホトトギスの鳴き声が響き渡った。
「『目には青葉』、ってところですか。なんとも初夏らしい日ですね」
黒岩さんは、しみじみとビールの入ったコップを傾けた。
「残念ながら鰹はありませんが、こちらは食べ頃のようですよ」
コンロの中から、炭ばさみで筍を取り出す。外の皮は真っ黒に焼けこげ、それを軍手である程度落とす。そうすると、焦げていない皮が出てくるので、包丁で一刀両断する。断面からは、湯気が立ち上るみずみずしい筍が現れた。あとは、可食部までひたすら皮を剥くだけだ。
醤油やバター、塩などの、思い思いの調味料をかけて食べる。
「ほっくほくで美味しい~。それに、味がめっちゃ濃い!バターたっぷりでも、筍の味がちゃんとする~」
三浦さんが、バターをたっぷりかけた筍にぱくついている。
筍を取り分けていると、少し前に家の中へ入っていた先生が、人数分のお茶碗にご飯をよそって持ってきてくれた。おそらく、自分が食べたくなっただけだろうが、きちんと全員分用意しているあたりが、先生らしい。
ご飯茶わんの上には、先ほど神棚に供えたおにぎりが、人数分に分けられ乗せられていた。
ただ、お盆の上にはサバの水煮缶と、小鉢に大根おろしも用意されているようだった。どうりで、野菜室の大根が減っていると思った。筍を受け取ってから自分で用意し、宿泊客用の共有冷蔵庫にいれておいたのだろう。
先生は自らのご飯の上に、おもむろに筍を乗せる。そこへさらに、鯖缶、大根おろしをのせ、仕上げにポン酢を回しかける。
「えっ、なにそれめっちゃ美味しそう!先生だけずるくない!?」
一部始終を見ていた西嶋さんが、抗議の声を上げる。西嶋さんはすでに、自らの分の筍を食べ終えてしまっていた。
「ずるくない」
先生はそれだけ言うと、西嶋さんの恨めしそうな視線を一切意に介さず、即席筍ご飯を食べだした。
三浦さんはご飯茶碗を目線の高さに持ち上げ、しげしげと眺めた。
「今日植えた稲が、秋にはお米になるんですよね。このご飯も、去年誰かが植えてくれた稲なんですね」
お肉と一緒にご飯を口へ運ぶと、なんとも幸せそうに咀嚼する。
それを聞いていた真人君が、自分のご飯を見つめて、お父さんへ問いかける。
「僕が植えたお米も、誰かが食べるの?」
「そうだよ」
お父さんが、優しく答えてくれる。
「ふーん……。美味しくできるといいなあ」
真人くんはどうやら感じるところがあったようで、しばらく自分のご飯を見つめていたが、元気よく『いただきまーす』とあいさつして、ご飯をかきこんだ。
「美味しいね!」
彼は再びお父さんを見上げ、笑顔でそう言う。
真人くんが何を思ったのかは分からないが、とりあえず、美味しそうにご飯を食べてくれるだけで今は十分だ。
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