五月九日(一)

今年もゴールデンウィークは、盛況のうちに終わった。途中、宿泊客の入れ替わりはあったが、連日満室の大御礼だった。

 連休中、農業体験のメインどころの一つである田植えは、全て手植えで行う。それでも終わらなければ連休明けに機械で行い、機械が入れない狭いところは再び手植えする。

「きちんと、日焼け止めを塗っておいてくださいね。この辺りは標高が高い分、紫外線量も多いので。特に首の後ろは、要注意です」

 朝食を摂りながら、宿泊客に注意を促す。本日の天気は概ね曇りの予報だが、こういう空模様の日に油断すると、痛い目を見る。

 本日の田植えは、親子四人、小学五年生と三年生のお子さん連れの前川さん、六十代ご夫婦で参加の加納さん、女子大学生二人組の西嶋さんと三浦さん、そして三十代男性、会社員の黒岩さんと私の、計十名で作業を行う。先生は、例によって不参加だ。

 皆さん昨日チェックインされたばかりだが、送迎の車の中でそれなりに打ち解けた様子だったので、こちらとしても進行がしやすい。

 朝食と家の掃除を終えると、作業用の服装に着替えて、いよいよ田んぼへ出る。

「それじゃあまず、田植えのやり方を説明します」

 お客さんの前に立ち、実物を見せながら説明する。

「まず、稲はこの苗箱から、こちらのカゴへ移して使います。このカゴはこうして、腰につけておいて、手に持った稲の束がなくなったら、こちらから分けて使います。きちんと生育しない可能性も考え、稲は一度に三、四本一緒に植えて下さい」

 さらに、実際に苗を植えるところを見てもらい、簡単に説明してから早速田んぼに入る。習うより慣れよ、だ。

「きゃーっ、やばい!めっちゃきもい!」

 そう声を上げたのは女子大生二人組の一人、西嶋さんだ。悲鳴を上げているが、その声はどこか楽しそうだ。希望者には田植え靴もレンタルしているが、この二人は裸足で田んぼに入った。泥の感触に、二人で大盛り上がりしている。体験講座ではムードメーカーになってくれる、非常にありがたいタイプのお客さんだ。

「やばい、やばい!水めっちゃ冷たい!指の間から泥が!ぬるって!」

 三浦さんも、西嶋さんと支えあって覚束ない足取りで歩を進める。二人は初めの田植えだというので、慣れるまで手厚くフォローしたほうがいいだろう。

「山の雪解け水ですから、相当冷たいでしょう。午前中だとまだ温まっていないでしょうし、寒かったら無理せず長靴を使ってくださいね」

「「はーい!」」

 二人は声を揃えて、元気よく答える。

 それに続いて、他の人も田んぼに入り、各々楽し気に会話をしている。

 なかなか入れずにいるのが、前川さんの下のお子さんの、湊くんだ。おっかなびっくり片足だけ踏み込んで、驚いてそのまま引っ込めてしまった。ご両親二人がかりで田んぼに入れようとするが、座り込んでしまって、その場から動こうとしない。

「無理しなくても、大丈夫ですよ。湊くん、ちょっとびっくりしちゃったね。良かったらこっちに来て、ここ、見てみて」

 田んぼから、細い水路と小道を挟んですぐ脇にある山の斜面に、湊くんを連れていく。

「ここ、斜面が崩れて小さい石になっているでしょう?この中から……、あ、あったあった」

 石の中の一つをつまみ上げて、湊くんに差し出す。

「えっ、貝殻だ……」

 6くんが小さくつぶやく。良かった、興味を示してくれたようだ。

「そうなの。ここは山の中だけれど、ずっと昔は海の底だったんだよ。だから、貝とか、魚の骨とかの化石があって、鯨の化石が見つかったことだってあるんだよ」

「これ、貰っていいの?」

 湊くんは、遠慮がちに私を見上げてくる。

「もちろん。良かったら湊くんも探してみて。何かすごいのが見つかったら、あとで見せてね。そのかわり、化石はこの石の中から探して、山には登らないこと、水には近づかないこと、勝手にどこかへ行ってしまわないこと。これだけ約束できる?」

 湊くんは私との約束に元気よく『うん!』と答えて、すぐに化石探しに夢中になった。これで、退屈させずに済みそうだ。

 田んぼの中に戻ると、前川さんに事情を説明する。

「ということなんですけれど、よろしいでしょうか。ただ、近くに水路もありますし、私も一応注意はしておきますが、ご両親にも気を配っていただけるとありがたいです。万が一のことを考えたら、ご両親どちらかに付き添っていただけるとより良いんですが……」

 私の提案を、前川さんは快く受け入れてくれた。

「では、湊には妻が付き添います。いろいろ気を使っていただいて、ありがとうございます」

 作業の人数は減ってしまったが、田んぼ一枚の面積はそれほど大きくないので、八人もいれば十分だろう。

 いよいよ、田植え開始だ。田んぼの中に、一定の間隔で一列に並ぶ。

 端は私と、手植えの経験があるという加納さんの旦那さんにお任せした。全員が一列植え終わったところで、田んぼに張った紐を移動させる役割も兼ねる。この紐には一定間隔で目印がついており、それに合わせて苗を植えればまっすぐ植えられるという、なんともアナログな仕組みなのだが、紐を移動させる人がずらしてしまっては意味がないので、なかなか重要な役どころだ。

 私の声掛けで、一斉に作業を始める。私は、手早く植えて顔を上げ、ほかの人の様子をうかがう。最初のうちは、やはり皆さんなかなか苦戦している。特に三浦さんは、苗の束から植える分だけを取り分けるのが苦手そうだ。根っこが千切れないよう、丁寧に根に着いた土をほぐしている。稲は意外と強いので、ちぎってしまっても問題ないことを伝えると、最初は戸惑っていたが次第に慣れていった。

 隣の人との雑談も交えながら一時間ほど作業して、全員で休息を取る。

「それにしても、暑いですね」

 黒岩さんが、首にかけたタオルで額の汗を拭いながらそう言った。

「ねー、最初はこっちめっちゃ涼しいと思ってたのに、もう汗だくなんだけど」

 西嶋さんはそう言いながらも、にこにこと笑顔だ。彼女は初めてにしてはなかなか手際が良く、若いからか腰の痛みもそれほどないようで、途中から前川さんの上のお子さんの真人くんと、競い合うように苗を植えていた。

 ただし、二人ともそれぞれお父さんと三浦さんから、作業が雑だと叱られていたので、あとで植え直しが必要かもしれないが。

「暦の上では、もう夏ですからね」

 大きな水筒からコップへお茶を注ぎ、配りながら答える。加納さんの奥さんが、お菓子を出すのを手伝ってくれる。

「そういえば、少し前が立夏だったのかしら。普段の生活ではあまり意識していないけれど、もうそんな時期なのねぇ」

 奥さんは、切れ込みの入っていた八朔を、手際よく剥いてくれる。

「体がめっちゃ熱いから、足元が冷たくていい感じだよね。泥も、慣れたらちょっと気持ちいいし。足を入れた時の、泥がよけてく感じ。その後、抜くのが結構大変だけど」

 三浦さんも段々慣れてきたようで、最初は植えるのに一生懸命だったのが、今ではお隣の加納さんの奥さんと、談笑しながら作業していた。

 朝から感じてはいたが、今日はお客さん同士の相性がいいのか、それぞれの家族やグループを越えての交流が活発だ。これは、宿主としてなかなか嬉しいものがある。

 休憩後も一時間半ほど作業し、そこで午前中の作業を終える。

「由乃さーん!こっちのまだ稲植えてない田んぼで、遊んでいいですかー?」

 片付けをしていると、遠くから西嶋さんが声をかけてきた。

「いいですけど、怪我をしないように気を付けてくださいねー」

 西嶋さんは作業中、後ろにさがる際に尻もちをついてしまい、そこからはもう怖い物なしといった雰囲気で、汚れる事を厭わなくなっていた。今は真人くんと、苗の植えられていない田んぼで、泥だらけになって遊んでいる。

 お兄ちゃんの楽しそうな姿を見ていたら興味が出たのか、湊くんもお母さんと一緒に、次第に泥に手を入れ遊び始めていた。

 植え終わった苗箱は、すぐ脇を流れる水路で、洗車用の大きなブラシでガシガシと洗う。ついでに、長靴や足も軽く洗っておく。

「前川さん、すいませぇん。真人くん泥だらけにしちゃいまいしたー」

 しばらくして、洗い終わった苗箱を軽トラックに運んでいると、西嶋さんと真人くんが戻ってきた。二人は既に、頭のてっぺんから足の先まで泥だらけになり、汚れていないところを探す方が難しいほどだ。泥を投げ合っているのが遠くにも見て取れたので、こんなことだろうとは思っていたが、さすがにここまで汚してしまう人はそういない。

「バッカそれ、一番最初に言うことだから!めっちゃ今更!」

 苗箱を運んでいた三浦さんは、西嶋さんを軽く叱責する。三浦さんは西嶋さんと比べると、真面目な性格のようだ。

「ははは、いいんですよ、真人も楽しそうにしていましたし。いい経験になったと思います」

 前川さんは、『むしろ、遊んでいただいてありがとうございます』とお礼を述べている。

「とはいえ、さすがにこのままじゃ家に上がれませんね。庭の水道で、ある程度泥を落としてきてください。私は先に帰って、お風呂を入れておきます。お昼ごはんは、お風呂に入ってからにしましょう」

 二人以外にも、一度入浴したい人はお風呂に入り、昼食にする。

 昼食後はひと休みし、午後は二時から四時まで再び作業に出る。

 結局この日は、残り三枚のところまで作業を進めた。これなら、明日皆さんが帰った後に機械で作業すれば、一人でも十分終わるだろう。

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