四月十一日
市内に向かう車の中から、遠くに桜餅が見える。これを見るたびに、あぁ、春なのだなぁ、と実感する。
それは、山肌を桜に覆われた古墳なのだが、遠くから眺めるとぽってりとした桜餅に見え、これがまた何ともお腹が空くのだ。
食材の買い出しと宿泊客の送迎のため、週に何度か市内へ車を走らせる。民宿から市街地までは、車でおよそ三十分。バスは日に数本、最寄りのバス停までも三キロ強はあるため、宿泊客のチェックイン日とチェックアウト日は、ほぼ必ず送迎のため市内に出かける。
ちなみに今日はチェックイン日で、神奈川からのお客さんが、十三時の電車で到着予定だ。
お客さんを連れて買い物をするわけにもいかないので、先に日用品と食材の買い出しを済ませる。途中、電車の到着時間に間に合わなくなりそうになり、大急ぎで駅へと車を走らせる。
駅に着き時計を確認すると、ちょうど電車の到着時刻だった。数分待つと、駅から出てきた集団の中の一人が、迷わずこちらへ向かって歩いてくる。
「こんにちは、長旅お疲れさまです。駅の出入口、二か所ありますけど迷いませんでしたか?」
窓越しに話しかけると、青年がドアを開けて乗り込んできた。
「改札を出て右ということは聞いていましたし、大体のお客さんがこちらに歩いて行ったので分かりやすかったです。今日からよろしくお願いします」
礼儀正しく挨拶をしてバンに乗ってきた青年は、名前を水野といった。神奈川で自然食のカフェを開くにあたり、野菜だけでなく山菜や野草を生かした料理をメニューに加えたいということで、参考のためここへ来たそうだ。
車での送迎はたいていお客さんの身の上話や、この民宿に泊まろうと思った理由の話題になるので興味深い。お客さんのプライベートには踏み込み過ぎないよう気を付けているが、この民宿のお客さんは、往々にして話し好きだった。
ここで、ある不安がよぎり一応確認をとる。
「ちなみに、うちの食事は添加物の入った調味料も使っていますが、大丈夫ですか?」
この民宿は、あくまで農業体験と田舎の食事を売りにしているだけで、全く添加物を使わない料理を提供しているわけではない。時間があれば出汁もひくが、顆粒や固形の調味料も必要に応じて使用する。一人で民宿を切り盛りする以上、手の回らないところも出てくる。
「はい、大丈夫です。実は、僕自身も結構ジャンクフードとか食べるんですよ。ただ、自分で持つ店は少しこだわってみようかと」
その返事を聞いて、少しほっとする。せっかく泊っていただくのに、想像と違ったからとがっかりさせたくはない。どこまで参考になるかは分からないが、出来る限り協力したい。
家に着いて車を降りると、水野さんが大きく伸びをしながら深呼吸をする。
「いいところですね」
彼が呟いた。二人でしばし、外に佇む。
静かになると、いつもより勢いを増した川の音が耳に飛び込んできた。冬の間に降り積もった雪が、山々の間から清水となって湧きだし、麓の田畑を潤す。遠くでは、耕運機が田んぼを耕す音が響いている。雲雀は待ち焦がれた春を謳歌するように、高らかに歌う。
こんなところでもまた、春を実感する。
「えぇ、気に入ってるんです」
そう答えて、家に入った。
家へ入ると、子供用の靴が玄関に脱ぎ捨てられている。梓くんが留守中に来ていたようだ。水野さんを部屋へ案内し居間に行くと、梓くんがこたつで寝ころびながら本を読んでいた。
「いらっしゃい、今日はお休みだし、お母さんたちおうちにいるんじゃないの?」
そういって声をかけると、視線を上げて上半身を起こす。
「おじゃましてまーす。今日は、お客さんと山菜取りに行くって言ってたでしょ?だから僕もついていこうと思って」
『すぐに出かけるでしょ?』と言って、ダイニングの椅子に掛けてあった上着をつかんで羽織り、先に玄関へ向かった。
水野さんが荷物の整理を終えるのを玄関で待つ。準備を終えて出てきた彼は、いつの間にか増えていた少年にやや面食らったようだが、すぐにお互い自己紹介をして打ち解けていた。梓くんの同行の許可を水野さんに取ると、さっそく外へ出た。
すでに昼過ぎ。山に入るには遅すぎるので、今回は散歩がてら近所で野草をとる。
今日取るつもりの野草の名前と特徴を水野さんに伝えると、少し怪訝そうな顔をして首をかしげる。
「『ワクノテ』……?聞いたことがないですね」
『ワクノテ』とは、細長いつるのような植物で、ところどころに節がある。これの先の方十五センチほどを摘むのだが、道端のいたるところに生えているので、袋がいっぱいになるまでそう時間はかからない。
摘みながら山菜に関する知識も話す。
「どうやら、『ホップの芽』という通称があるみたいですけれど、これが本当にホップなのか、私には分からないんです」
水野さんは聞いたことのある名前が出てきて、少し驚いた様子だ。
「ホップって、あのホップですか?ビールの?」
「はい、ビールのホップです。でも、私はいわゆるホップの実を、このあたりで見たことがないんですよね。成長しても夏前には草刈りでみんななくなってしまうので」
ついでに小さな袋につくしとタンポポも採集していく。つくしは食べるまでに手間がかかるので、ほどほどの量を。
それから、梓くんのリクエストでヨモギも摘むことにした。以前学校で作ったヨモギ団子が美味しかったので、気に入ったそうだ。
「つくしやヨモギは食べられると聞いたことがありますし、タンポポはコーヒーなどもありますけれど、ホップの新芽も食べられるんですね。山の中でなくても、結構色々採れるんですねぇ」
水野さんは、手にしたワクノテをしげしげと眺める。感心しつつも半信半疑だ。
「山の中まで採りに行く山菜は、私にとっては少し特別ですね。こういう道端に生えている野草の方が、親しみがありますよ。ほら、水野さん、そこに生えている草の茎を少し齧ってみてください」
私が指さしたのは、茎の先の方に小さな実のようなものが付いた、縮れた葉っぱが特徴的な植物だ。
水野さんは私に懐疑的な視線を送りつつも、おっかなびっくりその茎を齧った。
「うわっ、酸っぱい!」
それを隣で見ていた梓くんが、ケラケラと笑う。
「それはタデ科の植物で、この辺りでは『スイコ』と呼ばれています。もう少し南の方では食卓にも上がるそうですけれど、この辺りでは子どもが齧るくらいですね」
水野さんはまじまじとスイコを見て、なるほどなぁ、と呟く。
「確かに、何も知らずに食べたら驚きますけど、慣れればこの酸味がクセになりそうですね。生で食べられるなら、おひたしにしたり粘りのある食材と和えたりなんかしても美味しそうだ」
彼はもう一度スイコを齧って、調理法を思案している。新しいレシピを思いついたら、是非教えてもらおう。
「実際、お浸しで食べることもあるそうですよ。ちなみに、スイコの酸味はシュウ酸らしいので、食べ過ぎには注意して下さいね」
「はぁ、なるほど……。佐伯さん、せっかくなのでこれも採って行って調理していただくことは出来ますか?」
思いがけない提案に、私は少し面食らう。たった今、この辺りではあまり食べないといったばかりなのに、いいのだろうか。そもそも、スイコのレシピなんて私が教えてほしいと思っていたくらいだ。
「うーん、やったことがないので少し不安は残りますが、いいですよ。ネットで調べれば食べ方も出てくるでしょうし」
少し迷ったが、結局承諾した。
水野さんは、なかなかチャレンジャーな人の様だ。一見不安がって見せつつも、とりあえず出来ることは体験してみたいといった気概がある。
一通りの野草を料理に出来そうな量摘み終わると、三人でタンポポの茎で笛を作って吹きながら帰る。水野さんは梓くんに教わりながら、家に着くまでの間に吹けるようになったようだった。
私はと言うと、どうもこのタンポポ笛が苦手で、子供のころから一度も音が鳴ったためしがない。残念ながら今回も、私の笛だけは一度も音を出さずに、玄関先に捨てられてしまった。
家に帰ると、午前中は出掛けていた先生が帰っていた。梓くんは先生を捕まえ、炬燵に潜り込んで二人でゲームを始めた。
私と水野さんは、台所で調理に取り掛かる。
まずは、野草、山菜の下処理から。近所のおじさんから貰ったこごみは、ゴミを取り、茎の部分は切って洗ってある。それをワクノテと一緒に熱湯で鮮やかな緑色になるまで茹でたら、水に晒し冷蔵庫に入れておく。
つくしははかまの部分を取り除き、水につけてしばらく放置して灰汁を抜く。多くの野草は下処理が面倒なのが難点だが、美味しく頂くために手間は惜しまない。
ヨモギもやはり色が変わるまで湯がき、今度はそのまま水分を絞る。細かく刻み、自分だけならそのまま材料と混ぜてしまうところを、今回はお客さんもいるのですり鉢とすりこ木でさらにすり潰す。上新粉と白玉粉、砂糖とヨモギを耳たぶ程の固さになるまで練り、茹でて水で締める。食べる直前にきな粉をかけたら、団子は完成だ。
調理をしながら、水野さんにその他のメニューを伝える。こごみは時期がやや早く量が少なかったので、単体ではなく豚肉と一緒に炒め物で。ワクノテはおひたし、つくしとたんぽぽは天ぷらに。スイコはインターネットで検索したら出てきた、みそ汁とおひたしを半分ずつ作って食べ比べてみることにした。
調理の方法が違うものを何品も作るとなると、なかなかに時間がかかる。夕食が完成したのは、一九時前だった。
梓くんには帰り際、団子をタッパーに入れて持たせた。途中味見のためにひとつふたつつまんでいたが、なかなかの出来にご満悦の様子だった。久しぶりに作ったため不安だったが、これなら水野さんにも満足してもらえるだろう。
先生が梓くんを見送って帰ってきたところで、出来上がった料理を全てテーブルの上に並べる。
「おぉ、春の味覚尽くしですね」
水野さんが感嘆の声を漏らす。確かに、私でもここまで山菜尽くしのメニューにしたことはなかったかもしれない。
「水野さんのおかげで、私も普段は食べない野草を調理出来ました」
心からのお礼を述べ、先生が手を洗い終えたところで席に着く。
水野さんはまず、メインどころのこごみ、つくし、たんぽぽを食べる。やはり、今日初めて知る得体の知れない雑草よりは口にしやすいのだろう。
「このあたりは、まず間違いなく美味しいですね」
天ぷらや炒め物とご飯を交互に、次々口へ運んでいる。
しばらく気軽に食事を楽しんだ後、水野さんはみそ汁の椀を手にし、意を決したように『では』と軽く呟いて汁をすすった。続いて実を口に含んで咀嚼し飲み込むと、再び汁をすする。そして、次はおひたしへ。
「熱を通すと酸味がだいぶ飛んでしまいますね。これはこれで美味しいですけれど、酸味を生かすなら軽く塩もみする程度でもいいかな」
何口か食べた後、冷静に分析を始める。
「そうですね、あとは普通にサラダに入れても、いいアクセントになるかもしれませんね」
私も初めて食べる調理済みのスイコに、少々身構える。子供の頃から馴染みのある野草だが、なるほど調理するとこんな味なのか、とほかの調理法も考えてみる。
「確かに、ハーブ系のサラダと相性が良さそうですね。ドレッシングの酸味を控えめにして……」
そんな私たちの会話をよそに、先生は黙々と食事を進めている。ここでの生活が長いからか、それとも見慣れぬ食材が食卓に並ぶことに慣れているからか。初めて食卓に上がったスイコも、特に気にした様子はない。
「明日は近所の方が、一緒に山に入ってくださるそうです。少し時期には早いのですが、もうタラの芽やワラビもぽつぽつ出ているそうなので」
明日は本格的な山菜摘みが出来ることを告げると、水野さんが明るい笑顔を返してくれる。やはり誰でも聞いたことのある山菜であれば、楽しみもひとしおだろう。
とはいえ今日のところは、身近な春の味覚に舌鼓を打ちながら、穏やかに夕餉はすすむ。
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