第6話 ナポリタン その6

口を拭ったペーパーナプキンに、べったりとケチャップが付いていた。

大満足だった。


空になった銀皿を前に、俺は満腹感と充実感を味わっていた。

飯を腹がパンパンになるまで食うなんて、いつ以来ぶりだろうか。


消えた麺600gの事を思い出し、無意識に腹をさすっていた。

まるで学生に戻った様な気がして、我ながら恥ずかしい。


コップに残っていた水を一息に飲み干し、一息ついた時

妻とのやり取りがフラッシュバックした。




「美味しいの?美味しくないの?」


そう問いかけられて、俺は顔を上げた。

いつもの食卓、いつもの食事風景だがどことなく緊張感があった。


正面に座っている妻は、じっと俺を見ていた。


「ん?あぁ、美味いよ」

「嘘、味なんて分かってないでしょ」


その日に限って妙に突っ掛かる妻に苛立ちを覚えたが、

俺は視線をスマホに戻し、肉じゃがを口に運んだ。



席を立ち、トレイを返却口に戻しながら、

なぜ、その時の会話を思い出したのか不思議だった。

そば屋のおやじとの会話と同じ引っ掛かりを、俺は感じていた。


「ありがとうございました〜」


後ろから掛けられた店員の声が、今度はハッキリ聞こえた。



店から出ると、外気の冷たさが心地良い。

飯を食っただけなのに、体温が上がっていた様だ。


腹の圧迫感から、俺は顔を上げ背筋を伸ばした。

その瞬間。


俺の目の前に色鮮やかな看板が飛び込んできた。

焼肉、鍋、とんかつ、寿司、ラーメン、定食、うどん、そば、カレー。

様々な飯屋の看板が、俺の視覚を奪う。


飯屋って、こんなにあったか?


俺は周りを見渡す。

本当に様々な看板と、そして・・・・。


「空が、高い」


外ってこんなに広かったか?


俺はスパゲティー屋の前で、本日二度目の茫然自失を味わっていた。




自販機で缶コーヒーを買い、俺は公園のベンチに座った。

一口飲むが、ブラックが普段より苦く感じる。


いつから俺は下を向いて生きてきた?


生き方という意味じゃない、やましい事、後ろ暗い事はないが、

確かに俺は下を向いて生きていた。


そば屋でも、

「まあでも、お客さんってさ、店に来たら注文する時以外はさ、新聞読んでるか、

スマホ見てるかだったしね」


家でも、

「美味しいの?美味しくないの?」

「嘘、味なんて分かってないでしょ」


そう言われた時も、下を向いてスマホを見ていた。


妻の顔を、そば屋のおやじの顔を、俺は見ていたか?

編集部でもどうだ?俺は部下の顔を見ているか?


ベンチの背もたれに寄り掛かり、深く息を吐く。


何かが腑に落ちた。


いや、この事だけではないだろうが、

こういった事の積み重ねが、俺と妻の間に目に見えない溝を作ったのではないか?


飲み終えた感をゴミ箱に放り込み、俺は社へと歩みを進めた。

放り込む時に無意識に力が入ったのは、決意の表れだと思いたい。



社への帰路の途中、スパゲティー屋の前を通る。

まさか、腹一杯飯を食った事でこんな簡単な事に気づくなんて。


先ほどと同じ様に、俺の視線の先には飯屋の看板が映っていた。







騒がしい部内、俺は人を探していた。

時間は12時を回っている。


案の定、三佳達は集まって昼飯の相談をしている様だった。


「おい、お前ら」


思いがけず俺から声をかけられ、三佳達は驚いた様にこちらを向いた。


「編集長?どうかしました?」


あの感じは、昼前に出した原稿の可不可を訝しんでるな。


「いや、今から飯だろ?一緒にどうだ?」


意外すぎる俺からの提案に、皆一斉に見合わせる。


「一緒に?ですか?編集長が?」


「そうだよ、何か変か?」


「いや、今まであんまりお昼をご一緒した事が無かったので」


ねぇ、と同僚と相槌を打つ三佳。


「良いじゃねぇか、たまには。それに俺が昼代は出すぞ」


見合わせた全員の顔が明るくなる。


「そういう事なら、ご馳走になります!」


沸き立つ三佳達を見、俺は続けた。


「ところで・・・」


「お前達のおススメは何だ?」















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おススメは何だ? ろくろだ まさはる @rokuroda

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