触れたいの

「揺河さん!」

部室をでて自分の教室で帰りの支度していると桜子さんが教室の扉に走ってくる。


「桜子…さん、あの、練習は…?」

そうだ、桜子さんはまだ劇の練習中のはずだ。なのに走って私の教室まで…

「いいの、今日は早めにあがってきたから。」

「なんで…?」

「揺河さん、なにか落ち込んでたみたいだから。」

胸がズキッとする。落ち込んでいる内容は桜子さんのことだから、いいにくい…。

それでも落ち込んでいた私を気にかけてくれている。


「……その…」

口が動かない。思うように言葉を出せない。返事もしていないし付き合ってもいないのに、『揺河さん』じゃなくて『ゆず』って呼ばれたい。あのあと二日間恋人風じゃなくいつも変わりない普通に接せられることがつらかったこと。また、触れたいこと…。こんなの、付き合ってもいないのに独占するようなこと言えない…。


でも言わなきゃ変わらないのもつらい。


「……ぁぃますから…」

「え?ごめんなんて…」

勇気を振り絞っても声が小さくて届かない。足を桜子さんのほうへと向け近づく。


「付き合いますから……名前、ゆずって…呼んでほしいです…」

自分の制服の裾をギュゥとにぎって、目は合わせられていないけど…


「…!……ゆず。」

桜子さんに抱きしめられる。私たちだけしかいない、この教室で。外には運動部、上の階には音楽室で音楽を奏でている吹奏楽部がいるけれど、いま、この時は私と桜子さんだけ。


「…それで?ほかにもあるんでしょう?」

抱きしめられながら髪を撫でられる。


「…ずるいです。私だけ意識しちゃっているみたいで、桜子さんって呼んでいるのに『揺河さん』って呼ばれるの、つらかったです…。あともうちょっと…強く抱きしめてほしいです…、触れたいんです…。」

恥ずかしくて顔が熱くてしょうがない。そんな顔を桜子さんのふんわりとやわらかい胸にうずめて手を桜子さんの背中に回しセーターをぎゅっと握る。

それに応えるように桜子さんはギュウゥッと私を強く抱きしめ、「ごめんね」っていいながら頬にキスをする。もっと…。


「…ほっぺじゃやだです……口に、して、ください…」

「うん…ん。」

桜子さんの左手が私の頬を支え、一瞬目が合い口にキスをする。

心地いい感覚。時が止まっているみたいに、この時間だけが、桜子さんとの時間だけが永遠に続いてほしい、と願ってしまうほどに――――。



―――…

「…ゆず、恋人で…いいんだよね?」

「もちろんです…。」

目は合わせていないけどお互いの手をぎゅっと握りしめる。


「じゃあ顔みせて?」

いじわる言うように、フフッと笑いながら私の方へ向ける顔。

「今ほんと恥ずかしいので…」

「だめ。」

無理やり桜子さんの手で目を合わせられる。けどやっぱり恥ずかしい私は目線だけでも逃げようと目をそらす。


「あ、目そらした。じゃあ『揺河さん』ってよぼうかなー…」

「えっ、…」

思わず目を戻す。視線を合わせた桜子さんはにやにやと見つめ、ん?というまでもなく聞いているようだ。


「…いやです、『ゆず』って呼んでください!」

「…んふー、ゆーず。大好きだよ。」

期待していた言葉が出てきたことに喜んだのか思い切り抱きしめてくる桜子さん。


「私も…好きです。」

思わず顔が緩んでしまう私。想いを伝えられるこの心地よさは癖になりそうだ――。

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