04

 テッサと森を歩き始めてすぐ、おれは転んだ時のダメージが地味に痛いことに気がついた。こんな状態で太い木の根のはびこる森を歩くのは、なかなか辛い。それに部活をしてきたからその疲れもあったし、夕飯を食べ損ねているから腹も減っていた。

 そんなわけで、おれの足取りは予想以上に重かった。

 もし長丁場になるのであれば、それなりの覚悟がいるだろう。

「なあ、この森って抜けるのにどれくらいかかるんだ?」おれはテッサに訊ねた。

「そうだねえ……」

 少し先を歩いているテッサが、振り向いて言う。

 彼女はおれと違って軽やかに歩いている。足場が悪いのもまったく苦ではないようだ。

「30分くらい歩いたところに船を止めてあるから、それに乗ってしまえばあとはひとっ飛びだよ」

「なんだ、それなら余裕だな。……って、今ひとっ飛びって言った?」

「うん」

「それも、船で?」

「そうだけど?」

「もしかしてこの世界には空飛ぶ船があるのか!?」

 ファンタジーの世界観によっては登場する空を飛ぶ船、いわゆる飛空艇。それを想像しておれは興奮した。この世界にはそういう技術があるのか。夢が膨らむな。

「何その反応。もしかしてタツルの世界にはなかったの?」

「似たようなものはあったけど、空を飛ぶ船はなかったよ。いいなあ、空飛ぶ船。ロマンがあるぜ」

「わたしたちにとっては当たり前の移動手段なんだけどね。やっぱりタツルの世界とはいろいろと違いがあるのかな?」

「それは間違いないよ。テッサみたいなツノのある女の子もおれの世界にはいなかったし。っていうか今さらだけど、テッサって人間じゃないんだよな? いったいどういう種族なんだ?」

「失礼な。どう見てもわたしは人間じゃない」

「え? でもツノとかウロコがあるし、おれたち人間とは違うんじゃ……」

「ああ、どうも認識が違うみたいだね。というか定義の違い? あのね、わたしもタツルも種族は違うけど同じ人間の仲間なの。ワニやカメ、トカゲなんかをまとめて爬虫類と呼ぶでしょう? それと似たようなものだよ」

「えっと……、つまり人間という全体の括りがあって、その中に種族の違いがあるってことか」

「そういうこと。まあ、人間という括りは生物学的なものじゃないんだけどね。すごく雑に言うと知性を持つ生命体の総称が人間なの。だから、どこそこの種族は人間じゃないなんて言ったら、下手したら争いになるよ。これからは注意してね」

「うっ……。ごめん、気をつけるよ」

 知らなかったとは言えテッサに「人間じゃない」なんて言ってしまったのだ。おれは素直に謝った。

 この世界にはこの世界の文化や習慣、価値観がある。その辺りのことを頭に入れておかないと、無用なトラブルを招くことになるかもしれない。郷に入れば郷に従えとはよく言ったものだ。

「わかればいいんだよ、わかれば」深刻な雰囲気をぶち壊すようにテッサがドヤ顔で言った。「でも事前に知れてよかったね。やっぱりわたしのカンパニーに入ったのは正解だったんじゃない?」

 たしかに、おれにとってテッサは想像以上に大きい存在なのかもしれない。

 いろんな意味で……。

「どうだかな」

 これからこいつの借金返済を手伝わなくちゃいけないことを思い出して、おれは苦笑した。

 メリットだけがある選択もデメリットだけしかない選択も、そうそうあるものじゃない。

 人生楽ありゃ苦もある、か。

「そういえば、おれみたいな種族はこの世界ではなんて呼ばれているんだ? 人間の中の一種族に過ぎないのなら名前があるんだろ?」

「タツルの種族はノイマーと呼ばれているよ。ちなみにわたしの種族はファドラ。見ての通りツノとウロコが特徴ね」

「へぇー」

「他にも種族はいっぱいいるけれど言葉だけで説明するのも大変だし、少しずつ教えていくね」

「よろしくお願いします」

 他にもこの世界で生きるために覚えておくべきことは、たくさんありそうだ。

 よく考えたらいきなりこんな森に出てしまったせいで、世界観すらちゃんと把握できていないもんな。

 異世界ものによくある中世ヨーロッパ風の世界なのか。

 いや、飛空艇があるくらいだから、スチームパンクみたいに何かしらの技術が発達しているのかもしれない。

 街でさっきみたいなタブーな言動をしたら問題だし、今のうちにある程度探っておいたほうがいいかもな。

「なあ、この世界のことについてもっと教えてくれよ」おれはテッサに頼んだ。

「それは構わないけど説明し辛いなあ。他の世界のことを知らないから、この世界の特徴と言われてもよくわからないし」

「それもそうか……。じゃあおれが適当に質問するから、それに答えてくれよ」

「いいよ」

「ようし、それじゃあ……」

 おれは少し考えてから言った。

 記念すべき第一問。

「テッサのスリーサイズを教えてくれ!」

「上から84、54、81よ」

「教えてくれるのかよ!」

 しかも即答かよ。

 ちょっとしたギャグのつもりだったのに。

「もしかしてこの世界では、女性にスリーサイズを聞くのは失礼なことじゃないのか?」

「何を言っているの、失礼に決まっているじゃない」

「じゃあなんで素直に答えちゃったんだよ」

「他でもない、タツルの頼みだったから……」

「顔を赤らめるな。そしてそんな親密な関係になった覚えはない」

「一緒に借金返済しようって誓い合った仲なのに?」

「それっぽい言い方しているけど、至ってビジネスライクな関係だからな?」

「うちのカンパニーは社内恋愛オッケーだよ? だから、わたしに恋しちゃっても、いいんだよ?」

「ごめん、借金のある女はお断りなんだ」

「そんなリアルな断り方しなくても!」テッサはショックを受けしくしくと泣き始めた。「それと突っ込んでくれないからそろそろ白状するけれど、さっき言ったスリーサイズはウソの数値だよ。わたしもタツルをからかってみたの」

「なあだ、そういうことか。これは一本取られたぜ」

「そうよ。わたしの胸が84もあるわけないじゃない。どうせわたしはAカップだよ!」

「ごめん。自分で振っておいて申し訳ないんだが、この話もう終わりにしていいか?」

 泣いているテッサにおれは言った。

 自分で言ったウソに自分で傷ついてどうする。

「で、他に質問は?」涙を拭ってテッサが言った。

「えーっと、そうだな……」

 さすがのおれも真面目な質問をすることにした。

 とは言え、何から聞いたものか。

 そうだ、まずは大雑把な把握から始めよう。異世界ものにありそうなものを挙げていって、それがこの世界にもあるか確認するんだ。例えばさっきみたいに飛空艇があるとわかれば、それだけでもだいぶ世界観がイメージできる。

「よし、わかった。どんどん質問していくから『はい』か『いいえ』で答えてくれ」

「うん」

 おれは質問を始めた。

「魔法は存在する?」

「いいえ」

「錬金術は?」

「いいえ」

「呪術や妖術はある?」

「ない」

「勇者という職業は?」

「ないね」

「人のステータスは数値化できる?」

「できない」

「一般的な武器は剣?」

「違う」

「じつは刀だったり?」

「しないね」

「もしかして銃だとか?」

「そうだよ。それが一般的な武器だね」

 ……。

 すでに嫌な感じがするが続けよう。

「魔族はいる?」

「いない」

「魔物は?」

「いないよ」

「魔界はある?」

「ないね」

「天界は?」

「ない」

「エルフという種族はいる?」

「いない」

「ゴブリンは?」

「いないねえ」

「精霊は存在する?」

「しない」

「ドラゴンは?」

「実在しない」

「ダンジョンで出会いを求めるのは?」

「え?」

「間違えた。ダンジョンはある?」

「ないよ」

「ファンタジー要素ゼロじゃないか!」

 おれは思わず叫んだ。

 いったいどうなっているんだ、ここの世界観は!

「あのね、残念だけど」とテッサが言った。「今タツルが質問したものはすべてフィクションで、ゲームやアニメといった創作物の中にしか存在しないよ。他の世界はどうだが知らないけれど、少なくともこの世界には実在しない」

「マジかよ……」

 それじゃあおれが培ってきた異世界ものの知識がまったく役に立たないではないか。

 ……って、ちょっと待て。

 今、ゲームやアニメって言った?

「テッサ、もうちょっと質問していいか? この世界には――」

 だが、その質問をテッサは遮った。

「待ってタツル」テッサは真剣な表情で何かを見上げていた。「質問はあと。クリーチャーが来るよ」

 テッサの言った通り、木を伝って上から何かが降りてきた。

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