第1話 三叉路の前で ~ 三人娘の旅立ち
実名を挙げるのは難なので、件のくすのき学園元保母らの名前を、それぞれ、春川、夏山、冬田として、そのときのことを述べていく。
1977(昭和52)年1月中旬のとある平日 くすのき学園事務室にて
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「園長先生、お話があります」
朝礼を終えた後、3人の保母が揃って、稲田健一園長の前に進み出た。
最近テレビで大人気のアイドルグループでもあるまいし、3人揃って、何の用件があるのだろうか? 一度に3人の、それも特定の保母たちから話を持ちかけられたのは、稲田氏がこのくすのき学園に園長として昨年春に赴任して、初めてのことだった。
「わかりました。ちょっと便所に行ってくるのと、他の要件が1つありますが、10分後には時間が空きますので、それから、応接室でお話をお聞きします」
ひょっとこの3人は、労働組合でも作って、くすのき学園側と団体交渉を始めるというつもりだろうか? だとすれば、基本的にはこちらとしては拒絶できまい。とにかく、できることはできる、できないことはできないと、淡々と処理していくしかない。
彼女たちは、それぞれ短大卒業後、新卒でこの養護施設に就職して2年から4年程度の若い女性たち。共通点があるとすれば、彼女たちは皆、大都市部から少し離れた町の出身で、高校も地元の普通科もしくは商業科のある高校、短期大学はおおむね県内のどこかの短期大学の児童もしくは家政がらみの学科の出身者。家族構成もごくごく普通で、特に家族に政治的な活動をしている人はいないし、国政はもとより地方議会の議員をしているような人などいない。強いて言えば、冬田保母の母方の伯父がB市の市議会議員をしているぐらいだが、並の親戚づきあい程度のもの。まして、彼女たちは左側であれ右側であれ、政党はもとより政治に密接に関わっている団体や、あるいは宗教関連の団体であれ、そういうところと特別な結びつきがあるとも聞いていない。何度か彼女たちがおしゃべりに興じている光景を目にしたことがあるにはあるが、話の内容は、若い女性ならではの、ごくごく普通のものだった。上司である稲田園長や、先輩にあたる白井芳子保母や他の同僚職員らの悪口や、特定人物の仕事ぶりなどを非難するような話も、一切なかった。
それにしてもなぜ、この3人が揃って、話があるなどといってきたのだろうか?
稲田園長は、一体何があったのだろうかと、用件をこなしつつ、考えあぐねていた。
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この3人は確かに、一緒に何か話していることが多い。3人とも住込みで働いているのだが、この3人で休み時間に外に出かけていることも、何度かあったように思う。
まあ、そんなことは個人のことであるから、特にこのくすのき学園の業務には関係ないところであり、特に業務に差し障るようなことをしているなら格別、そうでない以上、こちらの関知するところではない。
稲田園長は、くすのき学園の業務上、彼女たちが特に固まるほどの必然性のある行事や取組みがあっただろうかと、これまでの状況を振り返ってみた。
まず、彼女たちの担当する児童らの性別、年代は、まったく別。春川は幼児担当、夏山は小学生の男子児童、冬田は中高生の女子児童をそれぞれ担当している保母であり、担当の児童らの属性という点において、何か特別な接点があるわけでもない。
養護施設というところは、当時は今以上に施設内外、特に施設内の「行事」を重視していた。くすのき学園もその例外ではなく、例えば、春には花見会、夏には海水浴やキャンプ、秋にはくすのき祭りという地元の人たちにも来てもらう祭り、そして冬にはクリスマス会やお正月の会、それに節分の豆まき会などなど、施設内の子たちができるだけみんな参加する行事を、いくつも実施していた。
1年前に小学校長を定年退職し、このくすのき学園に招聘された稲田園長は、それらの行事について、その年は特に見直すことなく、おおむね前年どおりに実施していた。それらの行事を振り返ってみても、彼女たちが職務上特に一緒になって行動するような機会があったかというと、それもまた、思い当たる節が見られない。
とりあえず、これ以上彼女たちの話を聞かずに状況を詮索してみても始まらない。
便所で用を足し、用件を済ませ、稲田園長は彼女たちの待つ応接室に向かった。
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3人の保母たちは、すでに応接室に来ていた。2人掛けのソファに、3人が並んで腰かけていた。稲田園長を見て、彼女たちは立ち上がった。
「立って迎えるには及びません。裁判所じゃあるまいし。どうぞお掛けなさい。私は、こちら側に腰掛けます。それでは早速、お聞きしましょう。何かおありですか?」
稲田園長は、彼女たちが座っているソファの向かい側にある一人掛けのソファのドア寄りのほうに腰かけた。
「園長先生、お願いいたします」
彼女たちは、一斉に、封筒を提出した。それらには一様に、こう書かれていた。
「進退伺」
「何ですかこれは? あなた方には、そのような文書を園長の私に出す必然性があるとは、思えないのですが・・・」
「実は園長先生、私たちは、先生のやり方についていけなくなりました。先生が園長になってこの1年間、子どもたちを厳しく叱ることがずいぶん減りました。おかげで、私たち、とてもやりにくくなってしまいました。子どもたちに優しくしろ、大きな声をあげずにできるだけ話して聞かせろと園長は職員会議などでことあるごとにおっしゃいますが、その通りにしようとしたらするほど、ますます、やりにくくなってしまいました。前の園長は、私たちのことを仕事熱心で大いに結構であるとほめてくれていましたが、先生が来られて、職員会議や朝礼などでも、小言をいただくことが一気に増えました。とてもじゃありませんけど、稲田先生のもとでは仕事できません」
夏山保母は、思いのたけをまくしたてるように述べた。
「そうです。去年までは、私が一つ号令をかけたら、担当の子たちはすんなり従ってくれたのですけど、松田百恵さんが高校を出て卒園したこともあって、今年は、誰も言うことを素直に聞いてくれません。去年までは気持ちよく指導できていたのに、今年度になって、随分指導しにくくなりました。子どもたちに、もっと保母のいうことを聞くように、先生からも厳しく指導していただけないでしょうか?」
今度は冬田保母。中高生の女子児童を担当しているのだが、リーダー格の児童が卒園して以来、指導がやりにくくなったとこぼす。
今度は、幼児担当の春川保母が、稲田園長に要望を出す。
「私は幼児の担当ですけど、前はビシッと私が言ったら、子どもたちはすんなり従っていました。でも、厳しい言い方をやめろと言われて、指導がやりにくいことこの上もありません。もっと、子どもたちに厳しく、規律正しい生活をさせて欲しいです」
稲田園長は、黙って彼女たちの「言い分」を聞いていた。
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ひと通り聞き終えたところで、稲田氏は彼女たちに尋ねた。
「あなたたちにとって、このくすのき学園という場所は、何なのですか?」
「職場です」
異口同音に、彼女たちが答える。
「確かにその通り。あなた方にとっても、私にとっても、ここは「職場」です。それはまあ、いいです。では、ここに過ごす子どもたちにとっては、「職場」なのですか? それとも、何なのですか・・・?」
彼女たちは、一斉に沈黙を保ち始めた。少し間をおき、稲田園長は彼女たちに問うた。
「あなたたちには、帰る「家」は、ありますよね」
「はい。両親ともS町に健在です」(春川)
「A町の家には、両親と兄と妹がおります」(夏山)
「B市の実家には、父方の祖父母と両親、それに姉と弟が住んでいます」(冬田)
保母たちは、それぞれ、稲田園長に答えた。
「よろしい。それでは、このくすのき学園にいる子どもたちにとって、ここは、「職場」なのでしょうか?」
稲田園長の再質問に、彼女たちはそれぞれ、「いいえ」とだけ答えた。
「そうです。ここにいる児童ら、私はあえてそうは言わず、子どもたちと申しておりますが、彼ら、彼女らにとって、ここは職場でないことはもとより、学校の寄宿舎でもありません。不自由を強いられているかもしれんが、子どもたちにとっては、日々暮らしている「家」なのです。あなたたちがそれぞれの実家で、どのような生活を送ってきたか、親御さんから、どのような教育を受けてきたかはわかりません。愛情をたっぷり受けて育たれたこととは思いますが、そうでないかもしれません。もしそうでなければ、今の愛情云々の発言はなかったこととしてくださって結構。それはともあれ、ここにいる子どもたちにとっては、愛情を受けて育つことの難しい場所です。だからと言って、愛情などなくてもいい、保母であるあなた方の言うとおりに、とりあえず大人しく振舞っておけば日々が過ぎていく。そんな場所であって、本当に、いいのでしょうか?」
「仕方ないでしょ。ここは、「施設」じゃないですか。施設の規律を守って生活することが、個々の児童として最も大事なことです。そうすることで社会性を身に着けて、社会に出て行けば、忍耐力もついて、頑張っていけます。去年卒園した百恵ちゃんですけど、紡績工場で働いていますが、くすのき学園にいたから、仕事なんてきついとも思わないと言っています。くすのき学園で鍛えられたおかげだと、私に、感謝していました」
冬田保母が、卒園生の松田百恵という女性を引合いに出して、自説の正当性を述べる。
「どうせここは、養護施設ですよ。捨て犬や捨て猫みたいな扱いを子どもたちにしてしまうのはどうかと思いますけど、しょうがないでしょ、ある程度は。いうことを聞いてもらわないと、施設が無茶苦茶になります。去年までは言うことを聞いてくれていた子どもらが、今年は、妙に反抗的になっています。もっとビシッと厳しく指導して、子どもたちが素直に私たちのいうことを聞いてくれるような体制を作ってもらわないと、とてもじゃありませんけど、私は、やっていけません」
夏山保母が、さらにまくしたてる。稲田園長は、黙って聞いている。だが、顔つきは少しずつ、厳しいものになってきた。その厳しさが頂点に達しかけたちょうどその時、春川保母は、一言、つぶやくように言った。
「どうせ施設の子らじゃがなぁ・・・これが保育園や幼稚園ならしょうがねえけど、何で施設の子らなんかに、愛情とか何とか、ええがな、そねぇなもん・・・」
その言葉を聞いて、さすがの夏山保母と冬田保母も、唖然とした。
稲田園長は、春川保母の言葉に、即座に反応した。
「何だと! もう一度言ってみろ、春川!」
それまで他の職員を呼び捨てにしたこともなく、敬称や役職をつけて穏やかな声で話していた稲田園長だったが、このときばかりは、怒鳴り声をあげた。
「施設の子らに、愛情などいらんというたな、おまえ。同じことを、児童相談所と岡山県庁の福祉関係部署に今すぐ行って、責任者の前で言って来い! 日本国憲法は請願権を保障している。こんなところでぼそぼそ言わずに、おまえの思うところを、これから児相と県の担当部署できちんと述べて来い! 交通費なら、私が負担してやる!」
稲田園長は、ソファの間にあるテーブルを蹴飛ばした。ガラス製の灰皿が、壁にあたって落ちた。落ちた場所が悪かったのか、頑丈なはずの灰皿に、ひびが入った。
春川保母は、鳩が豆鉄砲を食ったような表情から、次第に、顔がくしゃくしゃになりはじめた。今にも泣きだしそうな表情だ。夏山保母が、哀願するような声で容赦を願う。
「園長先生、待ってください。何もそこまで・・・」
「黙れっ、夏山! おまえのような中途半端で生ぬるい人間がいるから、よくなるものもならんのじゃ。この大馬鹿者! 」
稲田園長は、さらに厳しい口調で夏山保母をどやしつけた。
「私たちの考えが間違っていました。申し訳ありません」
冬田保母は、しおらしく反省の弁を口にする。
「ほぉぉ・・・、どやし上げられたから謝罪かね・・・、大の大人を、笑わせよってなぁ・・・。おい、冬田。おまえの御大層な信念は、その程度のものか! 」
呆れるような口調から、さらに厳しい口調に。稲田園長は冬田保母を叱り飛ばした。
春川保母は、ついに声をあげて泣き始めた。
「でも・・・」
夏山、冬田の両保母が、何か言いたそうにしているのを、稲田園長はさえぎって、さらに厳しい口調で、彼女たちに問いかけた。
「デモもストライキもない! 減らず口があるなら答えたまえ! 夏山と冬田、おまえたちも、この春川と同じ考えの持主ということで、いいのだな?! 」
「・・・・・・」
怒鳴り声を聞きつけた中年の女性事務員が、事務室から飛んできた。
「園長先生、何かありましたか?」
「何でもありません。持ち場にお戻りください。貴殿の関与は、一切、無用です」
静かだが、しかし有無を言わさぬ稲田園長の声に、彼女は黙ってドアを閉め、事務室に戻っていった。春川保母だけでなく、夏山、冬田両保母も目に涙を浮かべている。
「私も、声を荒げて、申し訳なかった。しばらく、園長室におります。何か思うところがまとまったら、皆さん、どうぞ、園長室にお越しください」
冷静さを取り戻したというより、激しい怒りを装うことをやめた稲田園長は、3人の進退伺を受取り、園長室に向かった。応接室には、3人の若い保母たちが取り残された。
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やがて彼女たちは、事務室に向かった。そこで彼女たちが何を話し、何をしたのかは、あえて述べまい。主のいる園長室に、彼女たちは3人そろって出向いた。
「失礼いたします」
最初に声をあげたのは、春川保母だった。稲田園長の招きに応じ、彼女たちは園長室のデスクの前に揃って立った。彼女たちは、一斉に、茶封筒を提出した。それらの封筒の中には、多少の文面の違いこそあったが、昭和52年3月末日をもって退職する旨の、「退職願」と称する文書が入っていた。退職日とその標題だけは、3人とも同一だった。
彼女たちが去った翌年度より、稲田園長のくすのき学園改革は、さらに加速した。旧態依然とした孤児院の雰囲気を残した場所から、子どもたちが安らげる「家」になるように。稲田氏の努力は、少しずつだが、実を結び始めた。
エピローグ
1977年3月末日。彼女たちは3人揃って、くすのき学園を退職していった。学園に勤めている頃は頻繁に会っていた彼女たちだが、退職後は、それぞれ、まったく会っていない。お互い、ほとんど音信不通のまま、今日に至っているという。
春川保母は、地元の保育園に就職した。優しく、熱心な先生だとの評判が立った。彼女がかつてくすのき学園という養護施設にいたことは、誰も知らない。ただ、稲田園長に叱責を受けたことだけは、今も忘れていない。彼女は、そのことを糧に、保育園という場所で子どもたちのために日々頑張った。やがて結婚し、子どもにも恵まれた。今では孫、つまり娘の子どもたちの世話に熱心に取組む日々を送っている。
夏山保母は、4年制大学の教育学部に編入学し、教員免許を取得した。教員採用試験にも合格でき、小学校の教師になった。彼女もまた、熱心な先生として学校の人気者になった。男性教師らに交じり、高学年の学級の担当をする年度が多かったという。くすのき学園で学んだことが学校の場で大いに活かされたようだ。今は定年退職し、地域活動に熱心に取組んでいる。くすのき学園ではないが、別のある児童養護施設に、学習ボランティアとして参加することもあるそうだ。彼女の授業はわかりやすく、楽しいとの評判が高い。
冬田保母は、地元の会社、といっても、市議会議員を務める伯父が経営する農機具会社に再就職した。彼女は商業高校の出身で、簿記などの資格も持っていたので、経理事務を担当することになった。伯父の会社で働く同学年の営業社員と結婚して退職。やがて子どもも生まれ、現在はすでに、孫もいる。彼女の伯父は政治家であることもあって、ボランティアに熱心な人だった。稲田園長のエピソードを彼女に聞かされた伯父は、姪が申し訳ないことをしたと言って、それから長い間、くすのき学園に寄付を続けた。今は、姪の冬田元保母が、その「寄付」を引き継いでいる。
今もくすのき学園と接点があるのは、この3人の中では、冬田元保母だけである。
彼女たちはくすのき学園に保母として勤めていた頃、大声をあげて子どもたちを従わせることを「指導」と思っていて、その通りを実践してきた。一部の先輩保母も同じようなことをしていたから、それが普通だと思っていた。そして、彼女らのように、自分たちも大声をあげて叱るような口調で、日々、子どもたちに接していた。しかし、くすのき学園という養護施設を去った後、そのような考えが湧いて出ることは、もうなかった。
彼女たちはそれぞれの道でそれぞれ、あの頃の経験を糧に、今を生きている。
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