第113話 無双庵

「お邪魔しました。また寄らせていただきます」


 アルコールのせいで適度な高揚感があったが、妙の家族との時間は有意義なものになった。


「いつでも来てちょうだいね。次はスーツ姿の陣くんが見れるかしらね?」


 こんな冗談を言われても笑い返せるくらい、今日一日でお母さんとは仲良くなった。


「そうですね。仕事中にでも寄らせてもらいます」


 サラリーマンにとってのスーツは戦闘服だからな。ビシッと着こなしているところをご覧いただくかな。


「お母さん、陣くんのスーツ姿はかっこいいから惚れちゃうかもよ」


「そうかもね。陣くん背高いからスーツも似合いそうね。でも、ウチに来てくれたときに留守にしているといけないから、とりあえず連絡先交換しましょうか?」


 お母さんに言われるまで、連絡先の交換をしていなかったことに気づいてなかったなぁ。電話番号とメアド、通話アプリのIDを交換した。

 お母さんのアイコンは、妙と光流くんと3人で仲良く並んでいる写真だった。


♢♢♢♢♢


「ねぇ、陣くん。お腹空いてる?」


 車内の時計は20:15と表示されていたが、ビールを飲みながらおつまみを食べていたので空腹感はない。


「あまりだな。でも夜中に腹減りそうだな」


「だね。だったらうどんでも食べに行く?」


「……いいね。久しぶりに行くか」


「うん」


 

 懐かしい店に着き、こじんまりとした駐車場に車を停めた。時間的にピークは過ぎているはずだがタイミングよく車が出ていってくれた。


「いらっしゃいませ! 2名さまですか?」


 高校生くらいの小柄な女性が対応してくれた。


「うん。空いてるかな?」


「はい。あちらのテーブル席でお願いします」


 こちらでもタイミングよく2名掛けのテーブル席が空いており、すぐに案内してもらえた。


「あまり変わってないな」


 最後に来たのはいつだろう? 社会人になってから数回来たような記憶があるが、それもまだこっちで一人暮らししていた頃。


「そうだね。店長はあまり内装にこだわらないから、薫さんがいろいろやってるんじゃないかな?」


 確か店長とは一回りくらい歳が離れていたはずだから、すでに40歳を越えているんだっけ?


 妙とここで過ごしたのはもう10年以上も前の話。それでも、ここにくると当時のことは鮮明に思い出される。


「いらっしゃ———、妙ちゃん? それに西くん? やだっ! 久しぶり!」


 アルバイト時代に思いを馳せているところに、もう一人のバイト仲間がお冷を持ってきてくれた。


「お久しぶりです薫さん。お元気そうで何よりです」


 店長と結婚して、いまは塩瀬さんとなった薫さん。すでに1児の母であり、身につけているエプロンが体型の割に膨らんでいるところを見ると、いまは身重であることが伺える。


「二人で来てくれるのって初めてじゃない? 特に西くんなんて薄情者だからあまり来てくれないしね」


「いやいや、この辺に住んでるときはたま〜に来てましたって。今は名古屋に住んでるので来る機会がないんですよ」


「へ〜。妙ちゃんなんて定期的に顔出してくれるのに。あ〜、……でも最近は頻度が減ってる?」


 俺に向けていた薫さんの顔がぐるんと妙の方に向いた。相変わらず忙しない人だ。


「あ〜っと。すみません。私も今は名古屋に住んでまして、今日は実家に行った帰りなんですよ」


 申し訳なさそうな表情の妙だが、その言葉を聞いた薫さんの表情はみるみるうちに明るくなっていった。


「二人で妙ちゃんの実家に!? ということは西くん! 『娘さんを僕にください』って言ってきたってことよね? おめでとう! 妙ちゃんから話は聞いてとけど、とうとう———」


「待って待って薫さん。とりあえず声。他のお客さんビックリしてますから」


 妙の言う通り、興奮した薫さんのせいで俺たちは注目を浴びている。


「あっ! し、失礼いたしました」


 妙にたしなめられ薫さんが慌てて他のお客さんに頭を下げる。


「いい大人が興奮しないでくださいよ。それにほらっ。結婚の挨拶に行くような格好してないでしょ?」


 両手を広げて今日のファッションをアピール。


「え〜、いまどきはそれくらいが丁度いいんじゃないかな? って、それは置いておいて。二人で妙ちゃんの実家に行ったんでしょ? 挨拶じゃないの?」


「まぁ、結婚の挨拶ではないですよ」


「ん〜? でも付き合ってるんでしょ? 一緒に住んでるの?」


 右手人差し指をアゴに当てながら考えるような仕草の薫さんが妙をチラッと見た。


「とりあえず今日は顔合わせ? です。お付き合いは一応? してるんだよね?」


 そこは普通に付き合ってるでいいと思うぞ? 薫さんから鋭い視線を向けられただろ。


「付き合ってるだろ。疑問系はやめろ」


「で、一緒に住んでるの?」


 はぐらかしてるつもりはなかったのだが、一連の流れで答えなかったので再度、鋭い視線を向けられた。

 

「一人暮らししていた陣くんの家に私が押しかけました」


 薫さんの視線に気圧されていた俺の代わりに、妙がイタズラっぽい笑顔をしながら答えた。


「へ〜! 妙ちゃんが押しかけたんだ! やるね〜。ところで2人とも」


 ひとり、盛り上がっていた薫さんの表情が突如、真剣なものとなり思わず息を飲んだ。


「は、はい」


「ごめんね〜、話に夢中でご注文聞くの忘れてたよ」


 あはははは、と右手を頭の後ろにやりながら苦笑いする薫さんに、厨房から店長の非難するような眼差しが向けられていた。


「あ、そうでしたね。俺は肉うどんの大にかき揚げトッピングで。妙は?」


「私も同じで量は並でお願いします」


「はい。繰り返しますね。肉うどんの大と並が一つづつ、両方ともかき揚げトッピングですね。少々お待ちください」


 まさに台風一過。


 薫さんはキッチンに戻ると「ひぃっ!」とおかしな悲鳴を上げていた。



「お待たせしました。肉うどんの大と並です」


 しばらくして、席に案内してくれた女性が提供にやってきた。


「ありがとう」


 笑顔でお礼を言うと、少し顔を近づけて小声で話しかけてきた。


「店長からの伝言です。時間があれば閉店まで待ってて欲しいとのことです。お時間ございますか?」


 妙の方を見ると軽く頷いたので「大丈夫と伝えてください」と返事をした。


♢♢♢♢♢


「久しぶりだな陣、妙ちゃん。まさか二人で来てくれるなんて思ってなかったぞ」


 入り口の暖簾のれんを片付け終わった店長が俺たちのところへやってきたのは閉店してすぐのこと。閉店作業はホールで騒いだ罰として薫さんに押し付けたらしい。


「お久しぶりです。近くまで来たので寄らせてもらいました」


「お〜、話し方まで大人っぽくなったな」


 店長は目を細めてうれしそうに話した。


「もうすぐ三十路ですし、会社での立場もあるんで。日頃から気をつけていないとポロッとやらかしそうなんですよ」


「あははは。まあ、そんなものかもな。で、今日は結婚の報告も兼ねてきてくれたんだろ?」


 テーブルに片肘をつきながら揶揄うようように笑う店長。まあ、この年になると久しぶりに再会する相手には必ずと言っていいほど結婚の話題はされる。


「それは。今日はただの腹ごしらえですよ」


「……えっ?」


 俺の答えに店長よりも先に妙が反応を示した。


「そうか! また今度か! いろいろ大変になるだろうけど頑張れよ」


 笑顔でバシバシと俺の肩を叩く店長だが、力加減を誤ってるらしくかなり痛い。


「えっ? お二人はまだご夫婦じゃなかったんですか?」


 店長のはしゃぎっぷりが気になったのだろう。隣のテーブルを拭いていたバイトの子が話しかけてきた。


「ええ。夫婦じゃ、ないの」


 否定をする妙の表情は、照れてるような感じだ。


「そうなんですね。雰囲気がとても似てるからてっきりご夫婦なのかと思ってました」


「ん〜、でもこいつらは昔からこんなんだったぞ。ああ、真理亜ちゃん。この二人、オープン当初のバイトなんだ」


 真理亜ちゃんと呼ばれた女性は、俺たちを交互にみながらニッコリと微笑んだ。


「いいですね。私もお二人のような関係を築けるようにしたいです」


「ありがとうね。でも私たち付き合い出したの最近なのよ?」


 それを聞いた真理亜ちゃんは目を大きく見開いた。


「えっ? それでその空気感ってあり得ないんですけど?」


 さっきまでの丁寧な話し方はよそ行きのものだったらしく、こちらが本来の彼女の話し方なんだろう。


「終わった! ノブくん、キッチンの閉店作業終わったよ! だから私も混ぜて!」


 そこに半ベソをかきながら身重の薫さんが飛び込んできた。


「あ〜、遅くなっても悪いし、そろそろ俺たちは———」


 そう言って立ちあがろうとする俺の腕を笑顔で掴む薫さん。


 結局、自宅に着いたのは日付をまたいでからだった。


 

 

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