第111話 信頼してるもの
働き方改革万歳とは言わないが、有給休暇が取りやすくなった。仕事の進捗状況にもよるが年間で5日間は必ず有給休暇を消化しなければならない。おかげで部署では「いつ取る?」と話せるくらいだ。
妙の実家に挨拶に行くにあたり、土日に休まなければいけないかと思っていたが、妙のお母さんも介護施設で働いてるということで、平日の休みの日にお邪魔することにした。
今回の訪問は結婚の挨拶ではなく、ただの顔合わせの意味合いが強い。
ほぼ初顔合わせなので清潔感が出るようにスラックスにカジュアルなジャケットを合わせた。
「ねぇ陣くん。せっかく地元行くんだから陣くんのご両親にもご挨拶したいんだけど」
妙の実家に行く日が決まった時、妙にそう言われて予定を組もうと静に連絡をしたのだが、「慌てる必要なさそうだし、私も妙先輩にいろいろ聞きたいから別の日にして」と断られてしまった。何を聞きたいのかはわからないがいまさら恋バナでもって歳でもないだろう。
約束したのは11時。妙が食事でもしながらと言い出してこの時間になった。
お母さんの負担になるのではと思っていたが、妙がお母さんと一緒に料理をしたいと言うので断る理由がなくなってしまった。
「なんか変な気分。楽しみのような不安のような。ウチに男の人連れてったことなんてないからお母さんの反応が読めないんだよね」
同棲を始めるときに「お母さんの許可はもらってるよ」と言っていたので、特に心配することはなかったけど、妙には不安があるみたいだ。ひょっとして反対される可能性があったりするのか?
「陣くん?」
どうやら上の空で運転していたらしく、心配した妙が助手席から声をかけてきていた。
「おおっ、悪い。ちょっと考えごとしてたみたいだ」
「あれっ? ひょっとして緊張してる?」
緊張をほぐそうとしてくれてるのだろう。茶目っ気たっぷりの妙がからかうように頬を突いてきた。
「お前、ウチの実家行く時、覚悟しておけよ」
他人事だと思いやがって。静のこと知ってるから不安要素は少ないと思ってるんだろうが、その静が一番厄介なんだぞ?
「ふふっ、やっぱり緊張してるんだ。大丈夫だよ。お母さんはいつでも私の味方だから」
♢♢♢♢♢
平日の日中ということもあり、約束の11時よりも15分も早くに妙の実家に到着してしまった。
約束というのは遅刻は論外で早すぎるのもダメだ。俺の感覚では10分前がベストだ。
車庫にはすでに車が停めてあるので、妙を先に下ろして近くのコインパーキングに停めに行く。おかげでちょうどいい時間になった。
「お待たせ。わざわざ外で待っててくれたのか?」
「陣くんが怖がらないように一緒に入ってあげようと思ってね」
「はいはい。じゃあおてて繋いでいきますかね」
「あっ、と。それはちょっと恥ずかしいかも」
冗談っぽく手を握ろうとするとサッと引っ込められた。
「あ〜、拒否された。ちょっと傷ついた」
「もう! 意地悪してないで入るよ」
怒ったような口ぶりのわりに笑顔の妙。こんなくだらないやり取りがいまは楽しくてしょうがない。
「ただい、ま?」
ガチャリと玄関の扉を開けた妙が中に入ろうとせずに固まっている。
「お邪魔しま、す?」
そんな妙の隣に立つと、玄関には腕組みをして威圧的な態度の青年が立ちはだかっていた。
「どうも! 弟の
確か今年19歳で大学生になったばかりの妙の弟。威圧的な態度の割には身長が少しばかり足らずに迫力がない。
「なにしてるの、みっくん」
事前に優しい性格と聞いていた光流くん。何か思うところがあったのだろうか、立ちはだかる弟に妙は呆れた顔をしている。
「み、みっくんって呼ばないでよお姉ちゃん!」
速攻で仮面を剥がされてしまった光流くん。
「はじめまして。西陣です。よろしくね、みっくん」
「み、みっくんって呼ばないで下さい! よ、よろしくお願いします」
なんだ。案外素直でいい子じゃないか。さしずめ大好きなお姉ちゃんを取られて拗ねてるってとこだな。
光流くんに右手を差し出すと素直に握手に応じてくれた。
「こんにちは! 義妹の
光流くんと熱い握手を交わしていると、その背後から可愛らしい女の子が顔を覗かせてくる。
「妹? なあ、妙。妹がいるなんて初耳なんだけど?」
「ひなちゃん? 相変わらず気が早いわね。あのね陣くん。この子はみっくんの幼馴染で彼女よ。今は……高2の17歳だったかな?」
光流くんの背中からスッと出てきた元気そうな女の子が右手を額に当てて敬礼。
「
「ちょっと、ひなちゃん。恥ずかしいからヤメなさい」
日向ちゃんの後ろに回り込んだ光流くんが右手で口を塞ぐと、その後ろから笑い声が聞こえてきた。
「あははは。もう、ひなちゃん。ちょっとはおとなしくしてて」
その声の方に視線を向けると、優しい眼差しをした女性が姿を表した。
「はじめまして。本日はお招きありがとうございます。西陣です。ご挨拶が遅れてしまい申し訳ありません」
「はじめまして。妙の母の
お母さんに促されるまま玄関を上がったところで妙に声を掛けた。
「お父さんにもご挨拶させてくれ」
俺の言葉を聞いた妙は頷き、仏間へと案内してくれた。
『チン、チーン』
仏壇の前に座り静かに手を合わせる。
遺影のお父さんは笑顔で、その目元はまさしく妙に受け継がれていた。
座布団からおり、お母さんたちに向き合って座った。
「改めまして、西陣です。妙さんと一緒に生活させていただいております。ご挨拶が遅くなり申し訳ありませんでした」
一緒に暮らすようになるまでの経緯はさておき、大事な娘さんを預かっておきながら挨拶をしなかったのはよくないだろう。
「もうっ、堅い挨拶はなしって言ったじゃない。それに、妙が押しかけて行ったんでしょ? こちらこそ受け入れてくれてありがとうね」
困ったように笑うお母さんに俺は深々と頭を下げた。
「大事な娘さんですから。お母さんからすればよく知りもしない男のところに行くのは心配でしょう」
「そうかもね。でもね? 妙から陣くんのことはよく聞いてたのよ。高校生の頃からね。だから、この子の好きなようにさせてあげたかったの。だって、いままでウチのために色々我慢して、頑張ってきてくれたんだもん」
お父さんが亡くなってから、妙はお母さんを支えるために勉強もバイトも頑張ってきた。それは社会人になってからも変わっていない。
「最近、私の勤め先に認知症で入所された方がいるんだけどね。私と同年代で数年前までは地元では有名な染料会社の役員さんだったみたい。最近お孫さんが生まれたばかりなのに、ご自分のお孫さんだって認識が持てないの。娘さんも足繁く通ってきているんだけど、徐々に娘さんのこともわからなくなってきてるみたいで。それでもね? 毎晩のように「ごめんね。好きな人と一緒にさせてあげれなくてごめんね」ってベッドで一人泣いているの。そんな姿を見ちゃうとね。妙の好きなようにさせてあげるのが一番だなって。ふふっ。信頼してる娘だもの。だから! いつでも持っていってちょうだい」
妙を信頼しているから。
お母さんの言葉は心の中にスッと入っていった。
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