第109話 悪魔のバク
肩に感じる微かな重み。それは信頼の証なんだろうな。普段の仕事中の隙のない表情からは想像できないであろう無防備な寝顔。スウスウと寝息が俺の耳元を刺激する。
ここ数日間、俺も妙も仕事の調整をし有給休暇を取るためにハードスケジュールをこなしていた。
その甲斐あってか、日帰り旅行が一泊に変更になった。
「ふぁ〜。んっ? あれっ? 私、寝ちゃってたんだ。ごめんね陣くん」
名古屋から東京までの約3時間。新幹線はまだ静岡を過ぎたあたりだ。
トロンとした表情は普段よりも幼く見えて庇護欲を掻き立てられる。いま移動販売がきたらアイスでも買ってやろう。
「まだ寝ててもいいぞ。着いてから眠くなったらもったいないだろ」
「大丈夫。着いたらテンション上がってそれどころじゃなくなっちゃうよ」
無邪気に笑う妙の表情からは、これからの出来事を心待ちしているのがよくわかった。
計画当初は車での移動を検討してたのだが「たまには楽しない?」という妙の一言で新幹線になった。
「それにしても、ディスティニー以外の予定立てなくて良かったか? 一泊するって言っても明日の夕方には東京出るんだからあまり余裕はないぞ?」
「これが最後じゃないから。今回行けなかったところは、また今度行けばいいのよ」
俺の肩に額をコツンと当てた妙は、少し甘えるような仕草だった。
「まっ、そうだな。その気になればいつだって行けるか」
ずっと一緒にいるよと意思表示してくれた妙。その思いを無碍にすることなんてできない。
♢♢♢♢♢
ディスティニーに着いたのは開園時間を30分ほど過ぎた頃。それでも入場ゲートには長蛇の列ができている。
たしか今年は40周年のアニバーサリー。俺たちが生まれる前から今に至るまで、変わることない人気を誇っているのは、ひとえにキャストやそれに関わる多くの人たちの努力の賜物なのだと、社会人になり、またイベント運営の一端を担うようになってようやく気付かされた。
「チケット買っておいて良かったね」
まるで恋人同士のような距離感の俺たちは、当たり前のように手を繋いでいる。
そう。
今日の俺たちは、前回同様に恋人同士という設定だから、
「だな。それにしてもすごい人だな。それを誘導するキャストもみごと」
「うん。ウチのイベントにもこれだけのお客様を呼べるようになりたいね。今日はいろいろ勉強———」
「しないぞ? 今日くらいは仕事忘れろよ。まったく? お前はワーカーホリックか」
即座に否定できないらしく、妙はサッと顔を背けた。
「ほ、ほらっ、陣くんも疲れてるでしょ? 中入ったらコーヒーでも飲みながら作成会議しようね」
今回も俺たちはどのように回るかは事前に決めてこなかった。そのときの状況よって2人で決めようと話してきた。
「誤魔化し方が雑だぞ? まあ、ゆっくりと回るつもりだったし、大人らしく夜明けのコーヒーでも飲むか」
「ああ。そうね」
「俺の扱いも雑だな」
一緒に暮らすようになって、妙は随分と砕けた態度になってきていた。もちろん、それはいい意味で。
今までも親しい間柄ではあったが、それは友達としてのもので一線引いたような関係であった。まあ、今だって恋人同士ではないけど、その一線が最近ではなくなったような気がする。本人も言っていることだけど遠慮がなくなったからだろう。
はぁとため息が出てしまう。
「もう、そんなことで拗ねて———ないか」
身体をくっつけながら俺の表情を読み取った妙が微笑みを返してくれた。
「そんなガキじゃねぇよ。すでにおっさんに片足を突っ込んでるしな。よし、まずは作戦会議……いや、打ち合わせといこうか桐生マネージャー?」
「あらっ? いきなり仕事モード? それは真剣にならないとね西マネージャー」
♢♢♢♢♢
妙との2度目のディスティニーはゆっくり時間が過ぎていくようだった。長蛇の列に並んでも、隣に妙がいれば苦にならない。
これまで心の中で拒否してきた恋人という存在を、今はいるべき存在に思えてくる。俺にも恋人という存在がいてもいいんじゃないかっ、て。燃えるような恋心も、刺激的な関係もいらない。ただ隣にいて安心できる存在。心の拠り所になれる存在。俺にとっての妙はそういう存在だ。
ゆっくりとした時間の中でも体力の消耗はあるわけで、ベンチに2人で腰掛けて目の前で行われている大道芸を見ていた。
「なあ妙。わざわざ手帳を引っ張りだして何をメモってるんだよ?」
「んっ? うん。演目の順番とか、お客様への接し方とか、周りのキャストの人たちの対応とかね。ほらっ、こういうのって言い方がよくないかもしれないけどアトラクション待ちのサブイベント的な意味合いがあるでしょ?」
「ああ。そうだな」
「それでも、ウチで同じことをやってもらうとなるとメインイベントになるじゃない? そういった場合に、何か違いがあるのかなって思って。まあ、同じ人じゃないと比較できないかも知れないけどね」
そう言いながら妙は手帳にペンを走らせていると「あっ」と言う声とともにベンチの下にペンを落としてしまった。
「んっ」
ベンチの下に手を伸ばすと、隣からも手が伸びてきて、お互いの手がピタッと止まった。なにも思春期にありがちな異性に触れるのをためらったわけではない。そのペンの落ちているところに……。
ここディスティニーランドはその名の通り"運命"がテーマの遊園地である。
アトラクションや建物、通路や池の中にもマスコットの天使バクが隠れている。訪れたゲストはパートナーや家族、友人などと隠されたマスコットを探していく。
しかし、見つけたマスコットの中で自分の運命を決めるのは一つだけ。ゲストはパークを出た後に一緒に来たパートナーと運命のマスコットを言い合い、同じマスコットを選んだカップルや家族は末長く幸せになれるのだ。
「「……」」
お互いに身を屈めて固まる俺と妙。
「2度目だからいいよな」
「2度目だもんね」
そっとペンを拾い妙に手渡すと、柔らかい笑顔が返ってきた。
俺たちが見つけた運命は、可愛らしい悪魔に扮したバクだった。
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