第105話 応えてくれる?

「じーくん! じーくん! えほんよんで!」


 久しぶりの休日、たまには飯でも食いに来いという母さんからの連絡に、面倒だからという本音をオブラートに包みながら断ろうとしたが、「ちーもくるよ」と言われて断れなくなった。


 両手で絵本を差し出してくるちーを膝の上に乗せて絵本を読み聞かせる。


「おや? キミは妖精なのかい? 僕には普通の人間に見えるよ」


 絵本を読んでもらっている間のちーはキラキラとした目でずっと絵本を眺めてる。

 ちーを見ていると純粋にかわいさしか目につかない。まあ、責任のない伯父という立場だからなんだろうけど、静や帯人はかわいいだけじゃすまない。ちーの行動全てに目を配っておかなければならないし、そこには当然責任も伴う。


「んっ? ちー寝ちゃった?」


 絵本を一冊読み終えると、ちーはすでに夢の中。スヤスヤとちいさな寝息を立てている。


「昨日、慣れないことしたから疲れたんだろう」


 静が俺からちーを受け取りタオルケットの上に寝かせた。


 昨晩、二次会から早めに帰宅した静とかんざし親子は、もうすこし遊びたいと言い出したちーの要望を受けて、かんざしの実家に遊びに行ったらしい。


「……ねぇ、お兄ちゃん」


 ちーのお腹をポンポンと優しく叩きながら静は遠慮がちに声をかけてきた。


「ん? どうした?」


 聞きたいことはなんとなく想像できる。昨晩、二次会の後つむつむとどうしたか? ということだろう。


「二次会の後、つむつむと話してくれた?」


「……ああ」


♢♢♢♢♢


 二次会も終わり、三次会に行こうと誘ってきた元サッカー部連中に断りを入れて、つむつむの自宅に向かった。まだ実家にいると言うことだったので車で10分程度の道のりだ。


「そういえば、つむつむを車に乗せるのって初めてだな。自分でも運転するんだろ?」


 俺が免許を取ってから、つむつむと会うとしても実家で僅かな時間だけだったからな。


「は、はい。ちょ、ちょっとだけ、緊張して、ます」


 小さな身体をさらにギュッと小さく縮めたつむつむは、所在なさげに落ち着きなくモジモジとしている。


「ちゃんと安全運転するし、送りオオカミになんてならないから安心しろよ」


「だ、大丈夫です。む、むしろオオカミさんになってもらっても全然、だいじょぅぶ」


 いやいや。さすがにつむつむ相手には不味いということはわかっている。


「はいはい。無事にお届けするのが大人の男の仕事ってもんです。って、もう着いちまうな」


 この次の信号を左折するとつむつむの自宅に到着する。さて、この後どうするかな?


「ん?」


 ハンドルを握る左腕を遠慮がちに突っつく、つむつむ。


「せ、先輩。もう少しだけ、一緒にいたいです。そ、その、車の中でも、公園でも、ホ、ホテ———ぃひゃい!」


 久しぶりに暴走するつむつむを見るところだったわ。


「門限とか……、さすがにもうないか? まだ23時くらいまでやってる喫茶店があったよな? さすがにファミレスのドリンクバーは恥ずかしいからそっちにどう?」


 久しぶりにつむつむと会ったんだから、もう少し話したい気持ちは俺にもあった。


「は、はい! 全然大丈夫、です。一応、連絡だけはしておきます」


 つむつむの自宅を通り越して、駅そばの喫茶店へと向かった。時刻は21時を少し過ぎたところ。駐車場は2台停めれるスペースが空いていた。


「さて、と。つむつむ何にする? あまり食べれなかったから小腹が空いてるんだよな」


「あ、あの、む、胸がいっぱいなので、カフェオレだけに、します」


 まあ、高校時代よりも成長してるとは思って———うん。まあ、相変わらずなんだな。


「そっか、了解。すみません、ホットとカフェオレ、ミックスサンドをお願いします」

 

 注文を終えると、改めてつむつむの顔を見た。少し俯いて全体がわかりにくいが、あの頃よりもずいぶんと綺麗になったな。高校時代はかわいさが先行していたが、いまでは年相応の色気も出てきている。


「さて、と。改めて、久しぶりだな、つむつむ。静の結婚式以来か?」


「は、はい。ご無沙汰、してます。お元気そうで、その、何よりです」


 若干、表情が固く見えるのは久しぶり過ぎて距離感がイマイチ掴めてないからなのかもしれない。


「おう。とは言っても、毎日職場と家の往復だけどな。たまに息抜きでフットサルをするくらいだな。つむつむもまだバレーやってるんだろ? お絹やと一緒にやってるって聞いたぞ」


 お絹と東野の愛の巣は、地元を離れた名古屋市中村区になるって聞いたんだけど、お絹はまだ続けるのか? 


「ま、真梨? そ、その! 先輩と、真梨ちゃんはどんな関係なんですか? 私も呼び捨ててもらいたいのに、ず、ズルいです!」


「ズルいって言われてもなぁ。部下に対していつまでもちゃん付けも不味いんじゃないですかって言われてさ。呼び捨てにしてくれって言われたんだよ」


 初めは俺も周りも違和感しかなかったけど、慣れればな? 現に織姫だって職場で呼び捨てだ。


「じ、じゃあ私も……」


「ん〜? つむつむって呼び方には親しみを込めてるつもりなんだけどな。たしか俺と静くらいだろ? そう呼ぶのって」


 俺の中では名前呼びが特別って印象はないんだけどな。名字が一緒ならば名前で呼ぶし。


「あとはちーちゃんくらい、です」


「ウチの身内だけってことだ。まあ、その話は置いといて。最近の……あ〜、これまでのつむつむのこと教えてよ。短大時代とか、保育士になってからのこととか」


 名前呼びをはぐらかされたのが少し心残りだったのか、少し俯いてしまったがゆっくりとこれまでのことを教えてくれた。


 春高に出場した時のこと。

 静と一緒に通った短大時代のこと。

 アルバイトで大きな声が出せずに苦労しこと。

 園児のお迎えがお父さんだと身構えてしまうこと。

 

 つむつむも俺のことを知りたいと言ってくれたので最近の仕事の話をした。


「結局、閉店まで粘っちゃったな」


 楽しい時間はあっという間に過ぎ去ってしまい、もう少し話していたいという物足りなさが残っていた。


「あ、あの! 先輩! ま、また、今度会ってもらえません、か? ま、まだまだ話し足りないです。もっと先輩の話が、聞きたいです」


「そうだな。でもつむつむ土日休みだろ? 俺は平日休みだから短時間しか無理だぞ?」


「い、いいです! 全然、いいです。先輩、今は名古屋に住んでるんですよね? 私も行きます。……だから、また、連絡しても、いいですか?」


 つむつむの態度から勇気を出してくれたのがわかる。

 つむつむの態度からどうしたいのかも、わかる。


 簡単にいいよ。って返事してしまっていいのか? 


 そんなことを逡巡していると、思い詰めたような表情のつむつむが微笑んだ。


「連絡、しますね。あの、今日は会えてうれしかったです。送ってもらってありがとうございました。だ、だからその……」


『カチッ』という音と共にシートベルトを外したつむつむが助手席から身を乗り出してきて頬に……左手を添えて唇を重ねてきた。


「……今日の、お礼です。じゃあ、おやすみなさい」


 俺の返事を待たずして、つむつむは小走りで玄関に向かって行った。途中、こちらに振り返り軽く手を振ってきたので、それにはなんとか反応できた。


♢♢♢♢♢


「ふ〜ん。そっか」


 また会いたいという意思を伝えられたと静に言うと、何かを考える素振りを見せながらそう答えた。


「ねぇ、お兄ちゃん。……お兄ちゃんはさぁ、もう、結婚は考えてない? もし、つむつむが思いを伝えることがあったら、その思いに応えてくれる?」


 遠慮がちな物言いの静に、俺は今の正直な気持ちをぶちまけた。


「結局のところ、俺はまだ———」

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