第100話 幼馴染は元カノ

仕事終わり、姿をくらまそうとしていた陣の腕をガッチリと掴んでフロアを後にする。いつもはぽえ〜っとした表情の真梨ちゃんがぽかんとした表情で立ち尽くしていた。なにやらこっそりと約束をしていたみたいだけど、そうやすやすと油揚げを持っていかれるわけにはいかない。


 しずちゃん曰く「蝶のように舞い、蜂のように刺す」よ。


 社会人になって再会した陣は、まだ有松先輩と付き合っていて、結婚秒読み段階だった。京都のお寺で鍛えたメンタルでも心折れそうな日々。それでも、最後まで望みを捨てなかった私を神様は見捨てなかった。


「……婚約、破棄?」


 4年前、何日も顔色が優れない陣に違和感を感じた私は、思い切って陣に何かあったのか聞いてみた。

 

 何度も別れて欲しいと願ったよ?


 でもね? 


 あんな表情の陣は見たくなかった。


 ひょっとして、私と別れた時もあんな表情をさせてしまったのかと思うと、胸が苦しくなった。


 別れて欲しいと思った自分をあさましいやつだと思った。


 取り返しのつかないことをしたのかもしれない。でもね? できればやり直すチャンスをください。私はやっぱり……、笑ってる陣が好き。悲しんでいる顔なんて陣には似合わない。だからね? 報われなくても、私は陣が笑っていられる空間を作ってあげたいの。

 

♢♢♢♢♢


 「いらっしゃいませ! お2人さまですか? いまならお座敷もご案内———」

「ぜひっ! お座敷でお願いします」


 店員さんの言葉を遮ってまで食いついた私に、陣は苦笑いを浮かべた。


「毎回こだわるなぁ。お座敷はお前がクダ巻くための空間じゃねぇからな?」


「わ、わかってるわよ」


 陣の指摘に頬を痙攣ひきつらせながら答える。


 素直になれない私は、お酒の力に頼ってしまい、結果飲まれてしまう。いつも陣と飲んだ次の日は知らない間に帰宅している。


「ねぇ、陣。2人っきりで飲むのってひょっとして初めてじゃない? いつも誰か邪魔がいるよね?」


 うっ?! そう考えると緊張してきた。


「まてまて! いつもお前が割り込んできてるんだぞ? この前の朱音だったり、真梨ちゃんだったり。先輩がセッティングしてくれたナースとの合コンにもついてきたよな?」


「うん? やだな〜、私そんなことしてないよ〜。さて、と。陣は何飲む?」


 さすがにね? 合コンに突撃した時のことは反省してるよ? 場違いにも程があったよね? 結果居た堪れなくなった私は飲みに走りタクシーで強制送還させられたんだっけ?


「生中でいいや。あとは適当に軽くつまむもの頼んでくれよ」


 メニューを手渡してきた陣が優しく声を掛けてくれた。その表情に胸がきゅんとなる。


 ああ、やっぱり私はこの人のことが好きなんだと思い知らされる。


「ん? どうした織姫? もう酔っ払ってるのか?」


 陣に見惚れてぽ〜っとしていた私の頬を、陣は軽く手の甲でペシペシと叩いた。


「ま、まだ飲んでないでしょ〜。ちょっとぼーっとしちゃっただけだから」


 きっと顔が赤くなっているだろうけども、陣が相手だから構わない。


 もっと私に興味を持ってよ。


 まだ幼馴染みにすら戻れてないような気がしている。いまの関係は会社の同僚。私はその中のひとり。間違ってはない。その通りだ。会社の同僚でいまは部下。私が望む関係には程遠い関係。

 

 最終目的は「奥さん」。


 西織姫になること。


 当たり前だと思っていた未来は、一生懸命手を伸ばしても届かないかもしれない。



「お待たせいたしました。生中とウーロン茶です」


 店員の若い女の子が元気にドリンクを運んできてくれた。ジョッキを受け取る陣が優しく微笑みながら「ありがとうね」と声をかけた。


「あ、い、いえ! お料理の方はもうしばらくお待ち下さい」


 勢いよく頭を下げて戻って行った女の子の顔がほんのり色付いていたことに陣は気づいてるのかな? きっと大学生のアルバイトの子だろう。あの年代はまだ年上の男性に憧れを持つ年代だ。周りから見れば陣は仕事ができそうな大人の男性に見えるだろう。しかも、あんな風に優しくお礼を言われちゃえばねぇ。とりあえず陣にジト目を向けておいた。


「なんだよ?」


 しかも無自覚とくるからたちが悪い


「別に?」


 まあ、それだけ陣が魅力的だということなんだけどね。


 それにしても、いつも陣の周りには女の影がある。私と付き合う前は……まあ、まだ中学生だったから参考にならないね。私と別れてからは顕著だ。有松先輩しかり、紬、桐生さん、最近では朱音ちゃんや真梨ちゃんまでも陣の魅力に気づいてしまった。


「由々しき自体よね」


 運ばれてきたチャンジャを箸で摘みながら呟いた。


「そんなに辛くないだろ? ってか、お前が頼んだんだからな?」


 人の気も知らないで陣はきゅうりの一本漬けに箸を伸ばす。


「ちょ、ちょっと⁈」


 あろうことか、私が楽しみにしていたきゅうりをまるごと1本、1人で食べてしまった。


「ん? どうした?」


 ゴクンときゅうりを飲み込んだ陣が小首を傾げている。


「どうした? じゃないよね! 私がきゅうり大好きなの知ってるよね? ま・さ・か! 忘れてたなんて言わせないわよ!」


 テーブルを回り込み陣の隣に座り込み抗議をすると、ポカンとした顔が徐々に綻び、やがて大笑いしだした。


「あはははは! そ、そういえばお前、きゅうり大好きだったな。悪い悪い、目の前にあったからついな? それにしても怒りすぎ……、あ……そういえばさぁ、高一の時に一緒に行った夏祭りでも冷やしきゅうりで怒ってたな」


♢♢♢♢♢


 あれは高一の夏。


 それまでも一緒に夏祭りには行ってたけど、その年は恋人として行く初めての夏祭りだった。浴衣を新調し、お化粧だって頑張った。


「俺の彼女が1番かわいい」


 私の努力を、陣はそう表現してくれた。その日は幸せな一日になるはずだった……、あの「冷やしきゅうり」を見るまでは。


「あっ、ねぇねぇ陣、冷やしきゅうり買わない?」 


 祭りも終盤、もうすぐ花火が始まるというところで、冷やしきゅうりの屋台を見つけた私は陣の袖を引っ張りながら屋台を目指した。


「すみません、二つ下さいな」


「おう、ごめんなお嬢さん。残り一本なんだ。彼氏と仲良く食べてくんねぇかな?」


 それを聞いた私は、陣に目配せするとコクリと頷いてくれたので、一本を2人で食べることにした。


「えへへ。ちょっとえっちぃね」


 そそり立つ立派な……、うっ! ぅんっ。

 大きなサイズのきゅうりを交互に食べていき、お互いにあと一口と言うところで、お母さんから電話がかかってきた。


「もしもし? ん? 焼きそば? あ〜、うん。買えたらね?」


 内容は少しお祭り気分を味わいたいから焼きそばを買ってきて欲しいという内容だった。


「なんだって?」


 割り箸をクルクルと回しながら聞いてくる陣に、ため息混じりに答えた。


「焼きそばをお土産に買って……、ちょっと陣! なんできゅうりがなくなってるの? まだ私の分が残ってたよね?」


 ん? と割り箸を見つめる陣が小さく「ああ」と呟くと、


「ごめん、食べちゃった」


 と誤魔化しもせずに笑った。


「私がきゅうり大好きなの知ってるよね! ひどい陣! ばかっ!」


 愛する人が相手でも食べ物の恨みは恐ろしいのよ!


 その日の夜は遅くまで陣の部屋で説教からの〜……だった。


♢♢♢♢♢


「あ〜、あったね。懐かしい……、そうね、そうよね! よしっ! 今日もあの日のように陣のお部屋で説教だからね!」


 肩をドンとぶつけた勢いのまま、胸を押し付けるようにして陣の腕に抱きつく。


「おまっ! はぁ、いまさら当たってるとか言っても新鮮味もないな。ならっ、と」


 いやいや、私にだって羞恥心っ……


 陣の腕を挟んでる胸に違和感があったので、視線を下げてみると陣の掌が私の胸を鷲掴みにしていた。


「ちょ! ぃやっ!」


 突然のことに身体を離して両手で胸を庇った。


「ごめん。でも、ちゃんと嫌って言ってくれてよかったわ。お前が毎回、無警戒で身体押し付けてくるからさ。いや、まあ、やりすぎたのは謝るぞ? ごめんな。たぶん俺にしかやってこないんだとは思うけどさ、知らないやつが見てたら軽い女って勘違いされるかもしれないぞ? いまさらだし、過度なアピールは避けてくれよ」


 胸から手を離した陣が真面目な顔で頭を下げた。


「あっ、うん。でも、ちょっと驚いただけで本当に嫌なんて思ってないからね? むしろ嬉しいというか、その……」


 私が口籠ってしまうと、陣は優しく頭を撫でてくれた。


「……前に進めない俺が言うのも、説得力に欠けるけど、お前もちゃんと将来を考えろよ?」


「……考えてるよ? 知ってるよ? 陣が誰とも付き合う気がないって。結婚する気がないって。でもさぁ、それならみんな……、朱音ちゃんだって、桐生さんだって、ひょっとしたら紬だって……。みんな同じスタートラインだよね? 誰が陣をその気にさせれるか」


 陣は将来を見据えた関係を持ちたがらない。だから、私たちとは一線を引いた関係を保っている。


「陣の幸せがどこにあるかは正直わからない。でもね? 私の幸せは陣との未来にあるの。私はそう信じてる。だから、だからね? そのために私は全力で奪いにいくし、全力で邪魔するよ? だって私の幸せは、私がこの手で掴み取らないといけないんだもん。だからね? だから、今日は陣のお部屋にお泊りします! だから今日はアルコールは飲みません!」


「いや、最後の方の台詞。しまらねぇし、泊めないぞ? いつも通りタクシーに詰め込むからな?」


 苦笑いした陣は核心には触れずに追加のドリンクを注文した。


「だかりゃね? きょうはおしゃけはのまにゃいにょよ?」


 気がついたときには、見知った天井を見上げる私が頭を抱えていた。



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