第95話 新人の真梨ちゃん

「先輩、先輩!」


 本部受付で妙を呼んでもらってる間に、受付嬢の鹿乃ちゃんが手招きしてきた。


「んっ? どうした?」


 焦った表情の彼女を訝しみながらも顔を近づけると、右手を口元につけそっと耳打ちをしてきた。


「怖い怖い先輩たちに脅されました。今晩優しく包み込んでくれませんかぁ?」


 いつものお誘いならメッセージ送ればいいのにと思いながらも、返事をしようと彼女を見ると、俺の背後を引きつった表情で見ている。


「随分仲良さそうですね、西マネージャー。受付では他のお客様の迷惑にならないように迅速に行動してください」


 その声に振り向くと能面のような表情をした織姫が新人の真梨まりちゃんを引き連れて立っていた。


「おつかれさまですぅ」


 そんな織姫に気後れすることもなく、真梨ちゃんはおっとりとした笑顔で声をかけてくれた。


「あ、ああ。真梨ちゃんの今日は初めての打ち合わせか。京極リーダー、しっかりと指導してくれよ」


 右手を上げて何事もなかったかのように去ろうとすると、織姫が鞄をぐっと引っ張った。


「おまっ!」


「西マネージャー。今晩、真梨ちゃんの初打ち合わせの報告をしたいと思いますので、栄の居酒屋「一生」を予約しておきます。ああ、報告なので私と西マネージャーとの2人っきりの予定です」


 不気味な笑顔で死刑宣告をする織姫。


「せめて感想くらいは聞きたいから真梨ちゃんも同席しなさい」


 織姫が2人きりなんて物騒なことを言うので、当事者の真梨ちゃんも巻き込むことにしよう。面倒な先輩でごめんね、と心の中で謝っておこう。


「ううん! いきなり私たちが誘ったら真梨ちゃんも気後れしちゃうでしょ? だから2人の方が———」

「ぜひ〜、わたしもぉ、ごいっしょしたいですぅ」


 笑顔のままグイッと近づいてきた真梨ちゃんは、織姫を隠してしまう勢いだった。この子、実は俺たちの高校の後輩にあたるらしい。なので勝手に親近感が湧いている。身長は織姫より少し高い程度で、黒髪ショートカットのおっとり系。あまり社内で目立つ性格ではないが、唯一目立っているのがブラウスのボタンが弾け飛びそうな豊かな胸。


「お、おう。ちゃんと勉強しておいで」


「ちっ!」


 真梨ちゃんの圧に後ずさってしまうが、織姫は小さく舌打ちをしやがった。


♢♢♢♢♢


 その晩、仕事を定時で終わらせた俺は織姫に指定された「一生」に足を運んだ。


「いらっしゃいませ!」


 大学生くらいのアルバイトの女の子が元気に出迎えてくれる。


「待ち合わせしてるんだけど、京極で予約してあるはずなんだ」


「はい! 京極様ですね。お連れ様お待ちですのでご案内します」

 

 通されたのは店内の奥にある個室。


「失礼します。お連れ様ご到着されました」


「あっ、はぁい」


室内から織姫の声が聞こえ、店員さんが襖をスッと開いた。4人掛けの掘りごたつ式の上座に座り、烏龍茶を頼む。


「あれっ? 陣飲まないの?」


「まぁ、気分じゃねぇしな。ここは食べ物がうまいから食いに走るよ」


 ここのもつ鍋が特に絶品で、企画がうまくいった時なんかはここで祝杯をあげている。


「で、今日の打ち合わせはどうだった? 酔っぱらう前にちゃんとした報告してくれよ」


 すでにジョッキが半分ほどになっている織姫にジト目を向けながら、話を促す。


「あっ、うん。再来月に実施されるワオン店内での婚活パーティーの細部の確認だったんだけど、積極的に意見を言ってくれてたよ。例えばキッチンを設置して、食料品売り場で買った食材を料理できるようにしたらどうかとか、趣味をアピールできるような実演スポットを設けたらどうかとかね。企画の武田くんもアイデアが閃いたらしくて、もう一度企画を練り直そうって言ってくれてたよ。まあ、一つ気になるのはその武田くんがずっと真梨ちゃんの胸ばかり見てたことね」


 最後はため息が出ていた織姫だが、初の打ち合わせでアイデアまで出せたのは期待以上と言っていいだろう。

 まあ、武田が胸ばかり見てたってのも男として、わからなくもないけどなぁ。


「陣?」


 意図せずに男の性というものを見せつけてしまい、織姫からジト目を向けられる。


「うふふ。西マネージャーに見られるのは別に嫌じゃないですよぉ。もっと近くで見てみますかぁ?」


 柔らかい口調でとんでもないことを言う真梨ちゃんが、席を立って俺の方にこようとするのを織姫が肩を掴んで座らせた。


「真梨ちゃん、女性にはね? 慎みというものが必要なのよ? 静ちゃん曰く『蝶のように舞い、蜂のように刺す』よ」


 静ちゃんの格言? はよくわからんが、さすがに俺も織姫に同意だ。


「そうそう。真梨ちゃんは胸だけじゃなく素敵な女性なんだから、もう少し自分を大事にしないとな」


 鹿乃ちゃんが聞いていたら「どの口が言います?」とでも言われそうだな。


「私、素敵ですか? ふふっ、西マネージャーも素敵ですよぉ」


 真梨ちゃんは満足そうに笑い、隣の織姫は不機嫌そうな表情をしていた。


♢♢♢♢♢


「らいらいじんはねぇ? らんれわらしのところにもどってこないのよぉ」


2時間が過ぎた頃、ハイペースで飲み続けた織姫が潰れかけたのでお開きにした。


「すみません、この住所まで。家族には連絡しておきますのでお願いします」


 クダを巻く織姫をタクシーに押し込んで見送り、駅まで真梨ちゃんを送ろうとすると、左腕がフニュんと柔らかい感触に包まれた。


「こらこら。君は酔ってないだろ」


 自然な仕草で腕に抱きついてきた真梨ちゃんは、笑顔のまま離れる気配がない。


「やっと邪魔者が消えましたねぇ。京極先輩は噂通り西マネージャーにピッタリですねぇ」


「まあ、何度言っても離れないんだよな」


「困った人ですねぇ。ああ、私は鹿と同じでぇ、割り切ったお付き合い希望なんですけどぉ?」


 真梨ちゃんの言葉に思わず頭を抱える。


「あ〜、鹿乃ちゃん喋ってるのか」


「う〜ん? 社内ではしゃべってないですよぉ。実は私、鹿乃ちゃん先輩と同じ大学だったんですぅ」


 思わぬところにホットラインがあったらしい。


「若い子は積極的だね」


「西マネージャーもぉ、まだ20代じゃないですかぁ。知ってますぅ? 20代にしてエリアマネージャーの西マネージャーのこと狙ってる子、いっぱいいるんですよぉ? なのでぇ、私は彼女は遠慮しますぅ。それに、そんなことになったらに恨まれそうですしねぇ」


「つむぎちゃん?」

 

 たしか社内でつむぎという名前の子はいなかったはず。


「お姉ちゃんのお友達のつむぎちゃんですぅ」


「お姉ちゃん? ちょっと待って! お姉ちゃん? 真梨ちゃんのお姉ちゃん?」


 真梨ちゃんにお姉ちゃんがいたのか? 確か真梨ちゃんの名字は「神崎」。俺と同じ高校出身でお姉ちゃんの友達につむぎちゃん……。


「あ〜、真梨ちゃん? お姉ちゃんはいまイタリアかい?」


「ですぅ。来月にはぁ、日本に帰ってきますけどねぇ」


 神崎真梨ちゃんのお姉ちゃん。


 バレーボール元日本代表の神崎志乃は現在、イタリアセリエAで活躍している俺の中高時代の後輩。


「かんざしの妹だったのか。じゃあなおさら———」

「もしぃ、私の誘いを断るならつむぎちゃんにぃ、西先輩はセフレがいっぱいいるんだよって、バラしちゃいますよぉ?」


 なぜかセフレにしないと、セフレがいるとバラすと脅してくる真梨ちゃん。この訳の分からない考え方は、なんとなくかんざしを彷彿てさせる。


「なんて脅しだ」


「うふふ。さて、話もついたのでぇ、行きましょうねぇ」


 人の話を聞かないところも姉譲りのようだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る