第49話 夏の終わり
インハイ予選県大会。
準々決勝を控えた俺たちは連戦ということもあり精神的にも疲れていた。
「こういうの見越して新人戦出なかった高校もあるんだな」
先に行われた新人戦。
県内でも強豪と呼ばれる高校の内、何校かはエントリーしていなかった。
夏の日差しが容赦なく照りつけるグラウンドで俺たちは試合に向けた最終調整をしていた。
新人戦同様、ベースとなるのは帯人と植田先輩のダブルボランチの4-4-2。オプションとしては帯人をトップ下にした3-5-2。この場合は俺と東野がウイングバックに上がり、南雲先輩が控えに回る。
「みんなちゃんと水分と塩分摂ってね!」
練習の合間には紫穂里が中心となりマネージャーがタオルとドリンク、塩分補給のタブレットを配っていく。
「はい、お兄ちゃん」
帯人と一緒に休憩をとっていたこともあり、珍しく静がドリンクを持ってきてくれた。
「おう、ついでにありがとうな」
乙女の顔から一転、俺に顔を向けた時にはいつもの表情に戻っていた。しかし、このついでが新たなる事件の火種になろうとは、この時の俺には予想すらできなかった。
—と、言う程おおげさなことではないが、練習後、いつものように紫穂里と下校していると、「今日はドリンク渡せなかったなぁ」と残念そうな声で言われてしまった。
紫穂里は3年生から順番に配っていたので俺のところにくるのが遅くなってしまったらしい。左腕にしっかりとしがみつきながら頬を膨らませている紫穂里がかわいらしくて、見てるだけで癒される気分だ。
「ねぇ、紫穂里。あのさ、ちょっとお願いがあるんだけどいいかな?」
夕方とは言え、まだまだ気温は高い7月。
生地の薄い夏服の紫穂里が、半袖で肌がむき出しの俺の左腕にしがみついてるので、柔らかい感触を直に感じてしまう。しかも、抱きつかれてるということもあって汗で紫穂里の制服が濡れてインナーが少し透けてしまっている。
「ん?何かな?」
キョトンとした顔で俺を見上げる紫穂里。
当たっていることは気づいているだろうが、透けていることには気付いてないみたい……、まてよ?ここで紫穂里が離してしまったら透けたままの姿を大衆に晒すことになってしまうんじゃないかな。
「あ〜、ごめん。やっぱりなんでもない」
冷静に考えた結果、残り少ない帰り道をそのまま歩くことを選択した。
「えっ?何?途中で話しやめられるとこっちが気になるんだけど?」
言わんとすることはわかるんだけどね?
俺は紫穂里との距離を少しあけて目線で胸元を見るように促した。
「えっ?きゃっ!」
ようやく気づいてくれたみたいだけど、胸元を隠すようにして俺の左腕にしっかりとしがみついてきた。
「踏んだり蹴ったりだな」
夏の日にはこんなサプライズがあるということを初めて知った日だった。
♢♢♢♢♢
県大会準々決勝。
開始早々にカウンターを食らってしまい、いきなりビハインドを背負うことになってしまい、現在までそれは変わることがなかった。
残り10分。
すでに3バックに移行し、帯人は攻撃に注力していた。両サイドの俺たちもそれは同じで、守備は3バックと植田先輩に任せっきりだった。
「前川!」
試合中なので呼び方は無礼講だ。
残り時間を考えて守備固めの相手を崩すために手数を掛けずにシンプルなボール運びをしていた。後になって考えるとそれがダメだったんだろうな。
ことごとく返される攻撃に俺たちは半ば空回りをしていたのだろう。
『ピッピッピー』
無情にもホイッスルの音が響き渡ると、俺たちの夏は理想よりも早くに終わってしまった。
♢♢♢♢♢
インハイが終わると3年生は受験に専念するために引退するのが普通だが、ことサッカーに関しては冬の選手権がメインの大会となっていることもあり、レギュラーに近いポジションにつけている先輩たちはこれまで通り練習に参加するらしい。
インハイ予選が始まる頃、一緒に弁当を食べていた紫穂里に聞いたことがある。
「紫穂里はインハイ終わったら部活どうするの?」
俺の顔をじっと見つめて何かを探っているかのような表情の紫穂里。おかしなことは聞いてないはずだけどなぁ。
「私は冬までやるよ。AO入試がほぼ決まってるから面接だけだからね」
さすが成績上位者は違うなぁ。いつも試験では中位をさまよっている俺とは違い、紫穂里は常に1桁順位らしい。
「本当は永久就職したいんだけど、まだ陣くん学生だもんね。あと5年は待たなきゃ」
上目遣いで何かを期待しているかのような紫穂里は俺の様子を見ながら「ふふっ」と小さく笑った。
「それに、家は自営なんだけどね。後取りが私しかいないから。……兼業になるか、旦那さまが後を継いで私は専業主婦でもいいかなぁ。」
将来のことを話す紫穂里は、少し寂しそうだった。
♢♢♢♢♢
「せ、先輩。あの、何か忘れてません、か?」
朝、いつものように迎えに来てくれたつむつむが袖をクイクイっと引っ張りながら問いかけてきた。
今朝も京極とバッティングしたのだが、珍しくつむつむが強めに拒絶。呆気にとられた京極は戸惑いながらも後から家を出てきた静と登校して行った。
「まだ痴呆にはなってないはずなんだけどなぁ」
つむつむの言いたいことはわかってるし、もちろん忘れてもいない。そのことについてもちゃんと考えてある。
「あ、あの!前に約束—」
「デートだろ?忘れてないから大丈夫だよ」
焦った様子のつむつむの頭をポンポンと叩いて落ち着かせると、照れ笑いを浮かべてくれた。
「えへへへ。はい。デートです。そ、その、今まで先輩がデートって認めてくれてなかったので、先輩からデートって言ってもらえてうれしいです」
抱きついている腕の力をギュッと強めたせいか、俺の腕はつむつむの谷間に埋れてしまった。
「こらこらつむつむ。やり過ぎじゃない?羞恥心はどこに行ったの?」
無理に動かして艶っぽい声でも出されようものなら、周りを歩いている栄北生に怪しまれてしまう。まあ、腕を組んで歩いてる時点で手遅れなんだけどな。
「はい?2人っきりの時に羞恥心は必要ないですよ?だ、だって、他の先輩たちは、その、えっと、もっと先に進んでますよ、ね?」
ジト目を向けてくるつむつむだが、その先輩って多分紫穂里のことを言ってるんだよな?
「待ってつむつむ。誤解だから。紫穂里とは先に進んでないぞ」
紫穂里とはキスまでしかしてない。そしてつむつむとも。
「ほ、他にもいるじゃないですか?だ、だからダメなんです」
そうか、つむつむは正体を明らかにしていない妙のことを言ってるのか。
「それとこれとは話が別だろ?つむつむはつむつむらしく。そんなことしなくても魅力的だから。な、天使ちゃん」
つむつむの目線に合わせてからかうように言うと、頬を膨らませて不満げに口を開いた。
「も、もう!私は天使なんかじゃないです」
真っ赤になりながら頬を膨らますつむつむは、やはりかわいらしい女の子だった。
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